2019年10月16日

姑が死んでも消えない思いとは?! 幸せをはばむ3つの「れる」 《浅川先生》



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浅川先生の自叙伝書写講話です。



自分と人を苦しめる“横綱級の心”があります。
番付表ではいつでも上位を保っています。
「怨(うら)み」です。

怨んで幸福になった人はいません。
怨みとは誰かを怨むわけですが、実は怨む心が自分を苦しめているのです。

怨みの恐ろしさは、
相手がこの世から消えることを望む思いに進化することです。


お姑(しゅうとめ)さんの命日になると
必ずお墓参りするお嫁さんがいたそうです。
それはそれは、熱心に供養しています。

住職さんは、いまどきのお嫁さんにしては見上げたものだと、感心していました。

ところが、ある命日のことです。
供養が終わってから、お嫁さんが住職に悩み相談にきたそうです。
その話を聞いて、住職さんは仰天しました。

「実は、私は姑の命日がくるたびに苦しんでいるのです。
供養の最中、姑が私に浴びせた暴言を思い出して、
怨みが湧いてきてしまうのです。
どうしたらいいのでしょうか、もう耐えられません」。

姑が亡くなっても嫁の怨みの心は無くならなかったのです。
怨みとは相手が死んでも残存する恐ろしい不治の病なのです。


人は病気になれば、必ず病院に行き、重症であれば入院して手術を受けます。
悪い菌を取り除いたり、腫瘍を切り取ったりします。

ところが、人は不思議なことに、心に付着した腫瘍は取り除けないのです。
悪なる心をしっかり身につけて離しません。
愛蔵品のように大事にしまっておく人もいます。

悪なる心は、あまりにも大切にされるので、
すっかり居心地が良くなって、心に居座っているのです。

日頃は、おとなしくしていますが、
いざとなると激しく活動して“残業”もいといません。
心の持ち主を不幸のどん底に落とすためなら何でもします。

人を傷つける暴言を送信し、
他人の叫びは受信せず、自動消去します。
たちの悪いスマートホンのようです。

このように、苦しみは自分自身の悪なる心が発動して生じているのです。


しかも、悪なる心は、持ち主を
三つの「れる」に拘束して、死に至る病にかからせます。

三つの「れる」とは、まず、
過去の怨みに、「とらわれる」です。

次に、今の苦しみに、「さいなまれる」です。

そして、未来を「恐れる」です。

過去の出来事のために、現在を失い、
まだ来てもいない未来も失うのです。

「あすも、きのうと同じようにひどい目に遭うに違いない」
と、恐れを抱き、希望を捨てるのです。

浅川 勇男・著
(光言社・刊『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ〜心のあり方』より)
第二章 愛の刀で苦悩を断ち切る
自分と人を不幸にする心








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posted by ten1ko2 at 11:00 | Comment(0) | 自叙伝書写(浅川先生) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする