浅川先生の霊界メッセージ。
今回は、お釈迦様のメッセージを紹介します。
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では次に、日本でなじみ深い釈迦の霊界からのメッセージを紹介します。
日本では九千万人以上の人々が
仏教とかかわりをもっているとも言われています。
釈迦は王様の子供として生まれました。
しかし、釈迦は本心があまりにも高すぎたために、
王子としての生活に心が満たされることはありませんでした。
あるとき城の外で、あまりにもかわいそうな人々の姿を見てしまったのです。
病人、死人、老人などの人生の苦を見たとき、
釈迦は愕然(がくぜん)としました。
「生老病死」の四苦から、人間はいかにしたら解放されて
平安な境地に至るのかを悩み、そのために真理を求めて、
妻子を捨てて出家し、難行苦行の道に出発したのです。
そして、自分の肉欲を克服して平安な境地に至り、真理を悟ったのです。
修行によって、死後、極楽に至ることを信じたのです。
釈迦の教えに従って、精誠を込めた仏教徒ほど、出家、修行をし、
自分の肉欲をそぎ落として極楽浄土を求めたのです。
☆
では、釈迦はどのような霊界に行ったのでしょうか。
釈迦が霊界で修行している姿を見た人の報告によると、
釈迦のいる霊界は楽園の一番下です。
いつも山の中にこもり、独りで瞑想(めいそう)しているというのです。
釈迦は霊界で、多くのことを説いたが、
一番大切で根本的なことを説くことができなかったと悔いています。
それは神様の実在ということです。
☆
人間の幸せにとって絶対に必要な存在であり、
命の主人である神様がいらっしゃったのに、
そのことを説くことができなかった。
肉欲に打ち勝つことは教えたけれども、
すべての森羅万象と命の主人である神様のことを
解き明かすことができなかったと悔いています。
神様について説かなかったことが、天国に行けなかった
最も重要な原因であろうと嘆きながら、
多くの仏教徒に次のようなメッセージを語っています。
☆
「人間がこの世に生まれていかに生きるべきかという問題も重要であるが、
死んでからどこに行くかという問題のほうがもっと重要である。
釈迦は霊界で大宇宙の根本主人としての神を発見した。
私は自分自身が自ら悟れば仏陀(ぶっだ)になれると考えていたが、そ
れは神の前に頭が上げられぬほど恥ずかしいものである。
いくら人のために奉仕しつつ生涯を生きたとしても、
人間を創造なさった神に仕えることができなければ
極楽世界に行くことはできない。
永世の福楽を得られない」
このように述べているのです。
釈迦は、誠実な仏教修行者たちに、
神様を知ってほしいと、切に叫んでいるのです。
浅川 勇男・著
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第七章 霊界人からのメッセージ
四大宗教聖人からのメッセージ
B釈迦
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第七章 霊界人からのメッセージ
四大宗教聖人からのメッセージ
B釈迦
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お釈迦様のように悟りの境地を極めるために、
難行苦行の道、修行の道を行った方たちがいます。
心身統一の世界、悟りの世界に入っていくというのは、
本当にりっぱなことだと思います。
しかし、お釈迦様が嘆かれているように、
神様の存在、神様に到達しなければ、
真の愛の世界を悟ることはできません。
神様のおられる天国には、行くことができないのです。
神様の願いは、三大祝福です。
個性完成の道を極めていっても、
神様と一つにならなければ、
完成することはできませんし、
なおそれ以上に神が私たちに願っているものがあるのです。
お釈迦様は、魔の正体を発見できなかったといいます。
悪魔の存在は認めても、それが何なのか、
悟ることはできませんでした。
お釈迦様たちのように修行の道を歩まれた方たち以上に、
厳しい試練の道を歩んでいるか、
そう問われると恥ずかしい限りです。
しかし、勝利された真の父母様を信じるということ、
さらには、侍って、み旨に同参している、ということ。
これほど素晴らしいことはありません。
真の父母様がおられるこの時に、
み旨を歩めることを心から感謝して、
お母様が語られる「責任」を果たす者になっていきたいです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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