2020年02月26日

韓国の有名誌が、真の父母様の業績を紹介! 韓マスコミ、家庭連合と独生女のフォロアーに?!



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韓国の月刊誌に
今回の真のお父様御聖誕100周年を記念しての
特集が掲載されました。

以下、本部からの紹介文(一部編集)と
記事の内容です。

記事は10ページにもなるので、
一部だけ抜粋しています。


 韓国の著名な月刊誌である『新東亜』(東亜日報社発行)
 2020年2月号に、真のお父様御聖誕100周年
 追悼特集の記事が掲載されました。

 記事のタイトルは
 「平和を愛する世界人 文鮮明誕生100年が残したこと
  “ただ平和だけを語った宗教指導者”」で、
 真のお父様の御生涯を、史実や
 真のお父様の自叙伝をもとに整理された記事です。

 一般メディアとして客観的でありながら、
 真のお父様の世界的な業績を高く評価している
 素晴らしい内容の記事です。




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2020年は、故文鮮明世界平和統一家庭連合総裁誕生100周年
(1月30日・陰暦1月6日)である。

論争的宗教指導者であり、平和運動家として活動した
93歳の人生は波瀾万丈だった。

韓国が世界の中心だという統一原理を説破し、
特有のカリスマ的説得力で世界の人々をつかんできた。

ソ連のゴルバチョフ大統領 に会い、
共産主義と民主主義の和解を試図し、
また北韓の金日成主席と会い、韓半島の平和について談判した。

思想的混乱期に世界秩序がもつ限界を克服する代案思想で
統一原理、統一思想、頭翼思想を主唱した。


“聖人の大部分が既得権勢力から追われたように、
文鮮明総裁も迫害を受けた。

文総裁は自分たちの持った地位を明け渡そうとしない
既得権層ではなく、それに立ち向かう側に立って
新しい道を提示したので、
迫害があとについてくるしかなかった。

イエスやソクラテスが同族の告訴と裁判によって
死刑になったように、祖国は文鮮明総裁を遠ざけた。
特にイエスがユダヤ教から‘異端者’として取り扱われ、
反体制の人として追われて死の道を行ったように、
キリスト教団から‘異端’として追い払われながら多くの受難を経験した。

そうだとすれば、文総裁はなぜ多くの迫害の中でも
ダルマのように何度も起き上がり、
前だけを見て走ってきたのか。
世の中を動かす力はどこから出てきたのか。

それは早くから神様がどのような方なのかを知り、
その神様の‘恨’が何なのかを切に感じたからだ。
だから神様の恨を代身として背負うようになり、
神様をすべての判断基準にしながら生きてきた。

そうしてみると、神様に狂って生きざるを得なかったし、
その恨を解いてさしあげるため、
自らのすべてのものを犠牲にせざるを得なかった。”


世界平和統一家庭連合は、文鮮明総裁の生涯を次のように説明する。

“文鮮明総裁が人類歴史に大きな業績を残せたのは、
ほかの人にはない召命意識と執念、
そして誰もついてこられない
超人的能力のおかげだと見ることができる。

文総裁に対してどのような分野からも
視線をそらすことができなかったのは、
人類救援と世界平和実現という重荷を両肩に自ら与えたためだ。

文総裁は自身が語ったことは、すべて自ら実践した。
それで数多くの業績を収めることができた。

言い換えれば、文総裁が人類に残した業績が
一つ一つ数えられないほど多いのは、
言葉と行動が伴っているためだ。
そのために文総裁はいつも摂理の最前線に立っていた。


世界平和統一家庭連合は
“文鮮明総裁が主唱してきた‘統一原理’‘統一思想‘’頭翼思想’が
文明史的大転換を要求している状況において、
既存の世界秩序がもつ限界を屈服する代案思想として
新しく評価を受けている”とし、
“神様の愛と真理の光を照らしてきた文総裁の生涯を知り
その道に従うことは、人類の役割であらざるを得ない”と語った。

新東亜 2020 年 2 月号
‘平和を愛する世界人’ 文鮮明誕生 100 年が残したこと
“ただ平和だけを語った宗教指導者” より

(トップ写真は
掲載された新東亜2月号の表紙ですが、
表紙の見出しには出ていません。)


教会長がおっしゃっていましたが、
韓国は、朝刊紙と夕刊紙の発行会社が違うようで、
朝刊紙で一番売れているのが、朝鮮日報。
そして、夕刊紙で一番売れているのが、
今回の月刊新東亜を発行している、
東亜日報なのだそうです。

月刊新東亜は、以前、家庭連合に対して、
とても批判的な記事を書いたこともあります。
ところが今回は、上記にあるように、
客観的、肯定的に書かれています。
批判的な箇所は一切ありませんでした。

昨年の聖和7周年記念行事(真のお母様のお手紙も)と
今回のワールドサミットについて紹介し、
聖誕100周年を迎えた真のお父様について、
家庭連合側の紹介を引用する形で、
御父母様の実績を証す、素晴らしい内容になっています。

まとめ方もさすが本業の方ですので、
私たちが伝道や渉外用に、
使いたくなるようなものです。
日本本部でカラーで翻訳したものを作ってくださっています。

家庭連合に対して、見方が変わった、
と言わざるを得ないのではないでしょうか。

真のお母様が、韓国のマスコミの
代表者を集めては、かつて独生女宣言もし、
愛して来られました。
今では完全に
お母様のフォロアーに変わってしまった印象です。

今回の御聖誕100周年行事も
韓国では知らない人がないくらい
様々に報道されたということです。

いずれにしろ、韓国のメディアも
この基元節7周年を起点として、
大きく変わった、というのは、
間違いないと思いますし、
私たちが、お母様と一つとなっていけば、
日本もいずれはそうなる日も近いだろう
と、思うのです。





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2020年02月25日

お父様のみ言が長い理由と、短くする方法?! 霊の子が離れるワケ 《金元弼先生》



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久しぶりに金元弼(キム ウォンピル)先生のみ言です。
ある食口が質問をしたとき、
回答した内容がそのままみ言になっています。


問 わたしには霊の子女が何人かいたんですが、
  離れてしまいました。
  どうしてそういうことが起こるのでしょうか。


霊の子女になった時に、どれくらい面倒を見たのですか。
例えば人が子供を生んだのに、世話をしなければ病気になってしまいます。
霊の子女もよーく見てあげると、落ちないんです。

生む時も重要ですけれども、生んでから自分一人で歩き、
自立できるまで育てることは、もっと大事なことです。
そうしないと子供は親からどんどん離れていくのです。

子供をたくさん生んだのだから、面倒をみる時間がなかった、
一人ぐらいだったらよくできたのに、というのは言い訳です。
要するに面倒をみてあげればそうは落ちません。

自分が十分にできない時には、人の手を借りてでも面倒を見なさい。
一般の人も子供を自分で面倒みきれない時には、
託児所に預けてほかの人に面倒をみてもらうでしょう。
そうしてあげないと、その子供はどうなるのですか。

犬も世話をしてあげると、よく家を守ります。
放ったらかしておいたら家を守りません。
動物もそうならば、人間はなおさらです。


   聖別してみ言を受ける

神の復帰摂理は、ただメシヤ一人だけを求めるとするならば
時間はたくさんかからないでしょう。
一人だけを救うとするならば、救いの摂理は早く終わるでしょう。

先生のみ言も一人だけに恵みを与えるとするならば、
たくさんの時間はかからないでしょう。
すべての人に恵みを与えたいという心があるから、
先生がみ言を語られる時間は長くなるのだろうと考えます。

先生は非常に疲れていても、長く話されるのはどうしてでしょうか。
それは私たちのためです。
それも何人かのためだけではなく、
来たすべての人が神の恵みをたくさん受けるようにするためなのです。

たくさんの子供がいた場合、親が何人かの子供にだけ物をあげて、
ほかの子供にあげなかったならば、
その子供たちは寂しい思いをするでしょう。
ですから全部の子供に与えて、喜んで帰るのを見たくなるのです。

私たちはその心が分からないから、
「ああ、もう話は早く終わってほしい。
もう寝たい」と言うかもしれません。

しかし先祖は、「もっともっと聞いてくれ」と
願っているということを忘れてはいけないと思います。
先生のみ言の価値が分かる霊は、
子孫がなぜ聞かないのかと焦るのです。
後孫がみ言を聞くように、目が覚めて早く聞くように願うのです。


皆さん、このように考えてみてください。
学校で勉強しているところへ、親が授業参観に来たとしましょう。

先生が何人かの子供にだけしか発表させなかったとすれば、
親はどう考えるでしょうか。
自分の子供にもチャンスを与えて、発表させてくれたらいいのにと考えるのです。
時間がオーバーしても私の子供にチャンスを与えてくれるように願うものです。

そのように、先生は一人一人にまでも恵みを与えてあげたい
という心が常にあり、話も長くなることがあるのです。

お医者さんが治療していて、手術の時間を五時間と決めたけれども、
五時間では治りそうもなくて、もう一時間やれば治るという時に、
時間がきたといってやめるでしょうか。
一時間延長しても手術してあげるでしょうか。


私たちは、先生のみ言が長くなったら、
十時間も話してくださる先生がかわいそうだ、
だから先生は話を短くしたらいいのにと考えますか。

そうではなく、私の体がきついから先生のみ言が入らない、
短ければもっと分かるのに長いから疲れて頭に入らない、
それが私たちが指導している教会員の考えです。

それよりも、先生がこんなに長く話されるのは、
私たちが分からないからだろうと考えるのです。
私たちが早く分かったら、先生は短く話すこともできるのです。
そしたら先生も楽になるだろうと考えなければいけないと思います。

では、先生のみ言を短くして、先生がみ言をたくさん語ることで
苦労させないようにするためにはどうしたらいいのでしょうか。
どうしたら先生は楽になれるのでしょうか。
先生が楽になれば私たちも同時に楽になるのです。
そう考えなければいけないと思うのです。


それではどうしたら良いのでしょうか。
それには道があります。

それは、私たちがメンバーをよく教えて、
先生のみ言を聞く前に私たちのすべてを聖別して、
先生のみ言を聞くためにすべての心情を備えるとするならば、
先生のみ言は早く終わるようになるでしょう。

また、器に神の恵みを入れるのだと考えてみます。
器の汚いものをきれいにするのは私たちの仕事です。
ところが私たちが責任分担を果たさないので、
先生御自身が私たちの責任分担も全部やってくださるのです。

自分できれいにしておいたら一時間で器にいっぱいになるのです。
そうではないから説教は三時間もかかるのです。

伝統の源流
U 先生の道は我々の伝統  
 第七章 何よりも神のものを愛す


お父様のみ言が長い理由、
なるほどな、と思いました。
一人一人の心に思いを残したい・・・
そのような切なる心情だと思います。

さらには、元弼先生の例えのように、
手術をしている医師と同じく、
霊的な手術をされているお父様だったのですね。

もちろん、長く話せばいい、
というわけではないと思います。
お母様はお父様と正反対に、
み言は短いです。

ただ、共通しているのは、心情の世界です。
今日もこれから路傍伝道ですが、
救いの心情をもって、演説をし、
声をかけていきたいと思います。





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2020年02月24日

いつか甘いニンジンになる日まで?! 過酷な迫害に耐えた野菜物語 《橘先生》



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Blessed Lifeより、
橘先生のコラムを紹介します。


先日テレビで、イチゴと同レベルの糖度を持った
ニンジンを紹介していました。
地元の人に大人気で、皆大量に買っていきます。
子供たちもそのニンジン、大好きです。

甘さの秘密は、これでもかというほどに
ニンジンに与えるストレス。

畑は砂地のため水はけがよく、
ニンジンにとっては水不足になります。
さらに畝(うね)を高くして、水を一層得難くします。

そんな過酷な環境でも生き延びようとするニンジンは、
自体の中で糖をたくさん作るそうです。
結果、とても甘いニンジンになるのです。


似たようなことは以前にも聞いたことがありました。
寒い地方で、収穫後のキャベツを
雪の下に埋め込んでおくというものでした。

氷点下で生き延びようと、
キャベツが糖分を増やして凍らないようにするので
甘くなるといいます。

ストレスのかけ方は違いますが、甘くなるのは同じです。


他にもあるかもしれないとネットで検索してみると、
過酷な環境で甘くなる野菜は
雪下野菜あるいは雪中野菜と呼ばれる
キャベツやニンジン・大根にとどまりません
(それらは、光合成で作ったデンプンを体の中に蓄えていて、
それを酵素の働きで糖に変えるそうです)。

ピーマンやトマトも、
あえて与える水分量を抑えて甘くしている
農家さんがありました。

白菜やホウレンソウは、
冬場の寒さが厳しくなってからのものの方が
甘くておいしいそうです。


野菜たちは、厳しい環境の中でおいしくなる。
では、人間も同じ、もしくはそれ以上であるはずです。

苦労や試練を乗り越えてこそ、人は成長し、
他者の痛みが分かるようになり、寛容になれます。
柔らかく、味わい深い人となるでしょう。


では、甘くなる野菜たちのように、
私たちが厳しい環境を生き抜いて、
より愛ある人間になるための“糖”は何だろうかと考えました。

自分が持っている“デンプン”を“糖”に変えないと、
枯れたり凍ったりしてしまいます。
苦労によって、いじけたり人間不信になったり
気力を失ったりするのです。

“糖”は、それまでに受けてきた
さまざまな愛や親切、楽しい思い出、
自分を生かしてきてくれた全ての要素を思い起こして、
愛されている自分であることを再確認し、
感謝することかもしれません。

苦しい中にあればこそ、他者の中の真の優しさに気付けること。

今の苦労が一時的なものであり、
必ず光が射すことを信じ、希望を持つこと。
天の父母様が共にあることを確信すること。

そんなふうに考えていたら、
イエス様がいつまでも続くと言われた「信仰と希望と愛」
(コリント人への第1の手紙 第13章13節)に思い至りました。

夫婦愛を育む 103
過酷な環境で甘くなる野菜たち
ナビゲーター:橘 幸世



昨日紹介した、お母様のみ言、
「忍耐」に通じるな、と思い、掲載させていただきました。

ニンジンなど自然万物は、
環境さえ与えられれば、甘くなりますが、
人間は果たしてどうでしょうか。

先日のお母様のみ言では語られていませんでしたが、
忍耐の背後には、感謝が伴ってくると思います。
我慢するだけだったり、
恨みを持って忍耐しても、
決して甘いニンジンには、ならないでしょう。

与えられた環境を甘受して、感謝する、
それが、お母様の言われる「忍耐」だと思います。





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