2020年04月30日

Stay home ! 人の堕落は神の声を聞かないことから始まった 《入山部長》



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入山部長の
『地域化講座』の2回目、
「復帰の心情」です。

「取って食べるな、食べたら死ぬ」と言われた
神様の言葉を聞かなかったために
人間は堕落したのだといいます。
そして、代々、その堕落の血筋は
受け継がれてきてしまいました。

「Stay home !」これも天の警告だとしたら──

コロナ対策とは直接関係のないお話ですが、
すべての問題解決に通じる
「不可能を可能に変える」
とても貴重な内容です。どうぞ。


「復帰摂理とは、堕落した人間に
 創造目的を完成せしめるために、
 彼らを創造本然の人間に
 復帰していく神の摂理をいう」

(『原理講論』「緒論」271ページ)


これは、『原理講論』の後編、「緒論」の最初の一文ですが、
この一文の中に、これから復帰摂理を始めようとされる、
「神様のこころ」、魂が込められていることを感じます。

人間は、神様の愛の結晶としてこの地上に現れました。
ところが、人間は堕落し、神様を裏切ってしまったのです。

それは、神様の真(まこと)の愛に対する裏切りでした。
自分を真心から愛してくれた方を裏切り、
その心を踏みにじったのです。

それが罪の本質です。
堕落人間は、この、「愛の負い目」を今日まで背負い続けてきたのです。

神様の息子、娘として、天使もうらやむような
光り輝く存在だった人間は、堕落によって
サタンの息子、娘の姿を見せるようになりました。
どれほど醜く、絶望的な姿でしょう。

理想高き、真の父母なる神様からすれば、
見たくもない子供たちの姿でしょう。
「そんな現実は見たくない」、
と切り捨てたくもなる気持ちは、
私たちが同じ親の立場で考えても理解できることでしょう。


しかし、私たちが知った神様は、そのような人間に対して、
どのような態度を取られたのでしょうか?

「堕落した人間に創造目的を完成させる」。
これが、神様の決意です。
しかし、それは極めて困難なことでした。
少なくとも、二つの理由で困難なことです。

第一に、時間の問題です。
過ぎ去った時間は元に戻せません。
堕落する前の時間に戻すことはできません。

第二に、血統の問題です。
一度生まれた血統は子々孫々、続いていきます。
それゆえに命懸けで血統を守らないといけないと戒められたのです。

一度堕落による偽りの血統が成立したなら
消し去ることは難しいのです。
原理的に見て、極めて困難なことなのです。

しかし、神様は、その困難な状況から、
それを実現すると決意されたのです。


それを実現する一つの方法がありました。
それは、原理の力よりも強い力を使うことです。

それは、愛の力です。
真の愛の力だけが原理の力を超越するのです。

神様は、真の愛で、堕落した我が子である人間を、
堕落する前の創造本然の姿に戻すことを決意されたのでした。

神様の摂理は最初から、ある意味で
「不可能を可能にする」という道だったのです。


しかし、現実には、その道は困難を極めました。

真の父母様がこの地上に現れ、勝利されるまでの
(聖書歴史)六千年間、復帰の摂理は失敗の連続でした。
すべては人間の責任分担が果たされなかったゆえの失敗でした。

それでも、神様は最初の決意を貫かれました。
「我が子を救う」という最初の決意が、
六千年の苦難という岩盤をも貫く強さをもっていたのです。

それが、神様の人間に対する意志であり、
変わらないこころ、すなわち愛なのです。

そのような神様の復帰の心情が、最初にありました。
それが今日の私たちに、救いの奇跡をもたらしたのです。

入山聖基・著
『地域化講座〜地域づくりは国づくり〜天一国時代の伝道論』(2)
第一章 カインの祭物
復帰の心情

Blessed Life
 「スマホで立ち読み」コーナーより


不可能を可能に変える力、
それが真の愛です。

その神様の愛によって、
私たちは生かされているということを
はっきりと知らなければいけません。

記事の内容とは、ずれるかもしれませんが、
今回のコロナ禍を通して、改めて感じるのは、
私たちは「人類」である、ということです。

あまりにも当たり前なのですが、
共通の一つの有機体であるのです。

IS(イスラム国)を主張している人たちも、
コロナに感染したら、医師や看護師の助けが必要であり、
いずれワクチンが開発されても、
入手できなければ、どうしようもないでしょう。

私たちは助け合って生きる、
ために生きるように神様が創造されたのです。

ウィルスもパンデミック(世界的大流行)となるように、
いいことも悪いことも、
一つの国に収まることはできません。

今、「国」という単位から、
「世界」という単位に、
物事を見つめる新たな段階に入ってきていると思います。

そして、共通の親である神様を
真の愛を持たれている神様を
私たちは抱くことができるのであり、
人類は救いの道に至ることができる、
そういう時にきているのだと思うのです。




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2020年04月29日

(証し)礼拝で見掛けていたあの女子高生が、天の花嫁に! 



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お母様が絶対服従したので、
短期間内で、
すべて越えてきました。


真のお父様



60年前、真のお母様は、17歳でご聖婚されました。
それから、家庭的基台を立てるまでの期間は、
特に忍耐と苦労と犠牲の路程をいかれたとのこと。

36家庭・鄭大和(チョン テファ)先生の証し
『いつもたくましく雄々しくあられた』です。


ご聖婚前、真のお母様は、
前本部教会の礼拝に来られていました。

当時は高校生でお下げ髪に
短いチマチョゴリを召していらっしゃいました。
口数も少なくていらっしゃったので、
私はその方がどなたであるかも知らないまま、
一緒に礼拝を受けていました。

そのうちに、そのお方が
「真のお母様」として認定されたのです。

お母様はその後、
目立って成長していかれました。
背も高くなられ、胸も大きくなられ、
脚も長くなられました。


1960年のご聖婚式では、
真のお父様が非常に喜ばれて、
踊りを踊られたことを覚えています。

その日は、40種類くらいの祝典の供え物が、
高さ70センチくらいに盛大に調えられました。

そのときお母様は17歳で、
そこに侍る女性の誰よりも、
若くていらっしゃいましたが、
なぜか私の目には、そのお姿が大きく見え、
一切’幼い‘とは感じられませんでした。

この「子羊の婚宴」で、
私が最初に真の父母様に食膳をお捧げしたのですが、
それを今でも誇らしく思っています。


ご聖婚後まもなく、お母様は身ごもられました。
父母様の最初のお子様は
男のお子様であると思い込んでいました。

ですからお産が始まると
「王子様が来られる」と書いたケーキを準備して
祈りながら待ったのです。

ところがお生まれになったのは、
女のお子様でした。

けれどもお父様は、最初からお母様に
「12人の子女を生まなければならない」
とおっしゃっていましたから、
お母様が早く妊娠されたこと、
そして王子様であれ、王女様であれ、
健康なお子様をお生みになったのは、
本当に喜ばしいことだったのです。

それでもお母様は後に、
当時の困難な環境での出産を回想されながら、
「非常につらかった」
とおっしゃったことがあります。

当時のお母様のお部屋は、
すきま風の入る寒い部屋で、
暖房といっても練炭ストーブだけでした。

生活環境が良くない中、無理をされたために、
出産後、お母様が健康を回復なさるまでには、
長い時間がかかりました。


ご聖婚前も、そしてご聖婚式をおえられてからも、
女性食口の中に、
夫や子供がいる身にもかかわらず、
「自分がお父様の相対であるという啓示を受けた」
という人たちがいました。

甚だしきは、
お母様がいらっしゃるお部屋まで、
押しかけてくる女性もいたのです。
お母様におかれては、心労が絶えず、
人知れず多くの涙を流されたことと思います。

しかしながら、お母様はいつも
たくましく雄々しくあられました。

非常に忍耐心が強く、
感情的な表現をなさいませんでした。

そうして黙々と歩まれ、
お母様に対する批判を消化していかれました。

そして、「真のお母様」としての、
位置と威信を見事にお立てになったのです。

光言社発行
「真のお母様、感謝します」
『心を打つ50の証し』より


お母様のご聖婚当時の証し。
とても貴重な証しです。

お母様の自叙伝にも書かれていますね。

お母様の試練は、
特にご聖婚されてからの方が
たくさんあることがわかります。

子女様を身ごもり、育てながら、
心身ともに試練を乗り越えていかれました。

鄭大和先生は、当時のお母様を
「たくましく雄々しく」
そのように表現しておられます。
この言葉は、
どちらかというと男性的な表現です。

つまり、華奢でか弱そうに見えるお母様は、
内的にはとても強いお方である、
そのように言えると思います。

自叙伝にはお母様がご聖婚される動機は、
「私の代でみ旨を終わらせる」
と書かれています。

この思いがあったから、どんな試練があっても、
微塵ともされなかったのではないでしょうか。






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posted by ten1ko2 at 06:57 | Comment(0) | お父様・お母様の路程 証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月28日

悪くないのに反対されるとき── もっと尽くしなさい 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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天正宮に向かう桜並木☆


李ヨハネ(イ ヨハン)先生のみ言、
「何よりも神のものを愛す」より
「怨讐を愛する」です。


先生が牢屋におられた時、一週間もの間、
口にもすることもできないような食事が出たことがありました。

その穀物の名前はよく分からないのですが、
皆さんよく御存じの、麦の皮がついたままの食事でした。
韓国ではそばを作る時の材料ですけれども、
皮をむかないものは非常に固く、
刃物のように角張っているのです。
それを皮をむかないまま煮て揚げるのです。

今まで皆様にお話ししてきたように、非常にひもじかったので、
量が多いだけありがたいという心持ちで食べましたが、
非常に固いので胃に痛みを感じる日が七日間も続いたそうです。

その時に、先生はどういう気持ちで
それを受け取られたのかを話したいと思います。

先生は、たとえ看守たちが囚人を早く死なせるために
このような食べ物を出すとしても、それは
人間の先祖が神のおきてに背いた堕落の報いであり、
それがどんなに厳しいものかということを考えました。

先生としては、かえって感謝の心で本当に真剣に
み旨の道、復帰の道を勝利していかなければならない
という深い決意に燃えたそうです。


例えば、統一原理を人々に伝えていた時に、
反対してきたたくさんの牧師や政府の人たちに対して、
先生は何一つ弁明しようとされませんでした。

ある時、神様は先生に、
「牧師たちのお祈りを聞かせてあげよう」と言って、
スピーカーを先生の方に向けたそうです。

すると、「神様、どうか文を早く天にお呼びくださいませ。
早く死ぬようにしてくださいませ」
という祈りをするのを耳にしたのです。

先生は、彼らを恨むより、かえってこの人たちは
分からずにそうするのだから、
愛をもって伝えるみ言を牧師たちがたとえ聞き入れなくても、
その牧師の子供たちは神の方に帰ってくるだろう、
という強い決意をされたのです。

その当時、私たちは麦飯を食べることもできない
という困難の中にいました。
犬が残した物を食べるような状態でしたけれども、
先生はお金を全部かき集めて、
反対する牧師をホテルに呼び寄せて、
立派な食事でもてなし、立派な部屋に泊めて
統一原理のみ言を教えたのです。


このように先生は人を憎むのではなく、かえって
迎えて愛していくというやり方をされました。

先生がそこで私たちに教えてくださったことは、
「お前たちは反対された時に、弁明しようとするな。
逆にその人たちが反対することによって喜びがわき、
神にもっと近づくというならば、私たちは
彼らが反対するのを願わなければいけない」
と、このような気持ちでした。

弁明しようとせず、やることだけきちんとやって、
実績を立てていこうというのが、先生の強い決意でした。


先生がアメリカに来られた時、政府やキリスト教、
ユダヤ教がそろって反対しました。

先生は、「私が三十年前にここに来ていたら、
こういうことはなかったはずなのに、
遅れてきたのでこういう目に遭うのだ」と考えられました。

反対の声を、「なぜ早くこの国に
おいでにならなかったのですか」と聞き取ったのです。

そこで先生は、遅れた分までも、
この時間に全部やらなければいけないという気持ちで、
何倍以上もの心をささげられたのです。


私たちが、色々やっていますと、
自分としては悪くないと思っても、
私たちに反対する人がいます。

そういう時にでも、その声は私に対して
「あなたはもっと心を尽くして、
神のために実績を上げるようにしなさい」
と言っているように感じ取らなければいけないと思います。

兄弟から、三六〇軒の人から、街頭の人から
反対されるような時にも、もっと人のために尽くしなさい
という言葉として感謝して受け取って、
もっともっと尽くすならば、結局は反対する人をも
神に帰属させる大きな力となるだろうと思います。

普通、怨讐を憎しみや力で裁きますけれども、
私たちは反対に、神に人にもっと尽くすことによって、
裁いていくという点で異なるのです。

憎しみの代わりに愛で、恨みの代わりに神のため、
人のために尽くすことによって、
憎しみでいっぱいになっている世の中を
変えていかなければいけないと思います。

U 先生の道は我々の伝統
第7章 何よりも神のものを愛す
「怨讐を愛する」


お父様の愛の世界は深いですね。
「恩讐を愛する」という言葉に集約されますが、
口で言うほど簡単なことではありません。

お腹が空き、体が大変になれば、
それ以上自分を犠牲にしたり、
憎むものまでも愛す、ということはなかなかできません。

ヨハネ先生が話されているように
お父様は、本当に具体的に
実際的に乗り越えておられるのですね。

お父様の愛は強く、大きいので、
私たちなら到底向かっていけず、
避けて行ってしまうような所も、
お父様はストレートに向かっていくのだな、
そういう風に感じました。

よく、「真の愛は、直短距離」と言われますが、
神様に通じる垂直のその道は、
火の中、水の中、茨に覆われたその先にあるのかもしれません。

限界の、追い詰められた状況の中で、
それでも真実に生きることができるのか、
その人の本当の姿が現れるのだと思います。

どこまでも真の愛を貫かれる
真の父母様に敬服いたします。





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posted by ten1ko2 at 08:54 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする