2020年04月25日

私たちは一人ではない *地域化*は、神時代の言葉、共になす国づくり 



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「天勝殿」奉献式2.8


本部・入山部長の地域化講座が「Blessed Life」で
シリーズ化されています。

『地域化講座〜地域づくりは国づくり〜天一国時代の伝道論』
より、冒頭部分をどうぞ。


  はじめに

「地域化」という言葉が
よく使われるようになったのはつい最近のことです。

なぜこのような言葉が出てきたのでしょうか? 
それは、「時代が変わった」からです。
時代の要請で生まれてきた言葉なのです。

天の摂理の目的は不変なものですが、
その手段は時代に合わせて変化もします。

「今は成約時代ではなく、天一国時代です」と、
真(まこと)のお母様が語られています。
「天一国時代」にふさわしい教会づくりが始まったのです。

「天一国時代」は、神氏族メシヤの時代です。
ですから、神氏族メシヤが活躍できる教会づくりが必要です。

今まで、教会の活動と氏族メシヤ活動は希薄でした。
しかし本当は、教会の成長(発展)と氏族メシヤの勝利は、
車の両輪のように、同時並行的に、共になされるはずだったのです。

今日を迎えるまで、誰もが全力投球、
死生決断、実践躬行(きゅうこう)で歩んできました。

いったい、何が足りなかったのか。
それを明確にすることが、新しい出発には必要になるでしょう。

これまで、氏族メシヤ活動といえば、
ともすれば各家庭がなすべきものと考え、
孤立しがちであったように思います。

神氏族メシヤの立場に立つ祝福家庭は、氏族のアベルです。
もう一度、アベルのなすべきこと、カインとの関係などを、
復帰摂理と真の父母様の勝利路程を確認しながら、
神氏族メシヤの勝利の道を探りたいと思います。

「天一国時代」は、天一国を定着・安着させていく時代です。

長かった、荒野移動時代は終わりました。
したがって、天国は「行くところ」ではなくなりました。
私たちは、天国に「到着する」時代を迎えたのです。

ですから、「天国はどこですか?」と聞かれたなら、
「ここですよ」と、自分の足元を指し示すべき時代となりました。
これまでの経験では、誰も答えを出せない、新しい時代なのです。

一人のリーダーだけが答えを知っていて、
そのリーダーに従ってさえいれば勝利できる時代ではなくなりました。

何をつくりたいのか、何をすべきなのか、
一人一人が知っていて、協力し合いながら、
共に考え、共につくり出すことが必要なのです。

「天一国時代」は、実体的な天一国主人の時代です。
真の父母様は、天国は、
「つくるもの」だということを教えてくださいました。

主体的に天国をつくる人が、「天一国主人」です。
自分の家は自分で建てるように、
自分の国を自分でつくる時代です。

それは、自分の住んでいる足元の「地域」から始まります。

地域化とは、地域の天一国化です。
そこには、苦労もありますが、
建設する喜びと希望が生まれてくるでしょう。

「地域教会づくりが国づくり」であり、
「地域集会づくりが国づくり」なのです。
本書が、そのための一助になれば幸いです。

二〇一八年十月
入山聖基

『地域化講座〜地域づくりは国づくり〜天一国時代の伝道論』(1)
入山聖基・著
 「スマホで立ち読み」コーナー第9弾
Blessed Lifeより


時代の最先端が、「地域化」です。
ちょっとハードルが高いキーワードのような気もします。

しかし、実際に取り組んでいる教会もありますし、
本当に復興していると言います。
近くの食口同士が集まって、集会をすると、
その場が離れがたくなるほど、
ずっと授受しているそうです。

このように地域化は大切ですが、
さらにコアになるのが、「家庭集会」かと思います。
家族が一つになるところは、神様も喜ばれます。

そういう意味では、コロナ事態のこの時、
家庭礼拝をおこなう、ということが、
どれほど貴重なのか、ということを感じます。

お一人様家庭は、地域の結びつきが
より重要でしょうが、
家庭集会の延長線上に、地域化があります。
ですから、土台の土台作りである、
家庭集会、家庭礼拝をしっかりと行っていきたいと思います。






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