2020年06月21日

私にも良心の声が聞こえる! 自分が正しいと思い込んでいた 《2世スピーチ》



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第58回真の万物の日、おめでとうございます。

今日は、高校生(2世)のスピーチを
紹介します。

2018年11月に開催された
第22回「中和文化祭東日本大会」でのスピーチより
題目は、「思いどおりでなくても大丈夫!」です。


◆本当の世界を見ていますか?
 
皆さんは、囚(とら)われています。
囚われとは、あるものに拘束されている状態をいいます。
 
人間は一日に6万以上のことを考え、
そのうちの95パーセントは昨日と同じ内容だといいます。
さらにそのうちの8割はネガティブなことを考えているそうです。
つまり私たちは、ネガティブな思考に囚われ続けているのです。

こんな状態で果たして、環境や現象を正しく見ることができるでしょうか?
私たちが見えている世界は、本当の世界なのでしょうか?


◆期待はずれの毎日

高校1年の春、始まったばかりの高校生活は、期待はずれの毎日でした。
授業中、騒ぎ出す男子、それを見て笑っている女子。
みんなの良いところを見つけたいとは思っているものの、
悪いところばかりが目に入り、どうすればよいのかずっと悩んでいました。

ある日、体育の時間に、私の大好きなバスケがありました。
「せめてこの時間だけでも、何も考えずに楽しくやろう!」

試合が始まった瞬間、少しワクワクしました。
でもその思いはあっという間に消えていきました。

「何これ? 誰も走らない、誰もボールを取らない、
こんなのバスケじゃない!」

さらに追い打ちをかけるように、
「バスケって性格出るよね、
 周りを気にしないで一人で走っている奴もいるし」
という先生からの冷たい一言。

私の中から全ての力が抜け落ちていきました。
「みんなのいいところなんて見つけられない、もういいや……」
私はその日から、皆を好きになる努力をやめました。


◆良心?
 
でも、心に喜びのない毎日は、すごくつらいものでした。
そこで母に相談すると、返ってきたのは、
「良心に聞いてみたら?」という言葉でした。

良心?
全く心に響きませんでした。
ところが、礼拝で語られるのは良心のことばかり。

「どうやって目に見えない良心の声を聞くことができるの?
 今まで、ちゃんとした答えが返ってきたことなんてなかったのに!
 でも、これしかないのか……。じゃ、やろう」

私はその日から教えられたとおりの方法で、
良心の声を一生懸命探し始めました。

毎日の登下校時や寝る前に、自分のイライラや不安に向かって、
「思いどおりでなくても大丈夫」と何度も心の中で唱え続けました。

1カ月がたち、2カ月がたち、いつの間にか半年がたっていました。

私は一度決めたらやり抜きたい性格です。
だから、「いつか良心の声が聞こえてくるはず!
いつかこの環境も変わっていくはず!」と信じて、
どんなことがあっても足を止めずに走り続けてきました。

でも結局、良心からの答えは返ってくることなく、
ついに私の足はピタリと止まってしまいました。
「もう、ダメかもしれない……」


◆無意識に自分が正しいと思っていた

でもある日突然、良心は人を通して私に語り掛けてくれたのです。
 
「中学の時は、人や環境のことを疑ったり、
 否定的に見たりしていなかったんじゃない?」

はっとさせられました。
確かに私は最初から否定的で、
無意識のうちに自分が正しいと常に思っていました。

「授業は静かに受けるべきだ、だからうるさい男子は間違ってる!」
「バスケは汗を流して楽しむものだ、だから走らないのはおかしい!」

私が見ること、私が考えること、その全ては囚われていて、
それが私を苦しめていたのです。

このことに気付いた時、雷に打たれたような衝撃を受け、
なぜか心がすっきりしました。


◆環境を変えるためではなく、状況を受け入れるため

今までは環境を変えるためにやっていましたが、
その日からは自分を変えるためにやり始めました。

学校で友達から言われた一言にイラッとした時、
「思いどおりでなくても大丈夫」と唱える。

私はあの子に嫌われているんじゃないかと思った時、
「これは私の妄想だ!」と唱える。

こんなふうに、自分の中の囚われに気付いては、
そんな自分を許しながら、
今ある状況を受け入れることを続けていきました。

すると、今まで一番憂鬱(ゆううつ)だったはずの学校までの道のりで、
道端にある花や、木や、風景を
いつの間にか楽しんでいる自分に気が付きました。


◆あの子ってこんなにいい子だったっけ?

学校でも、友達に対して感じていた疑いや見下しの思いが
いつの間にか消えていて、
今まで感じることのなかった相手への感謝の思い、
信頼したい思いが、自然と心から溢れ出てきました。

そして、そのような思いで相手に接すると、
相手からも同じように言葉や態度で返ってくるようになったのです。

「え? あの子ってこんなにいい子だったっけ?
 このクラスって、こんなに楽しかったっけ?」

同じ場所、同じ環境なのに、見え方や感じ方が全く変わってきました。
 
「こんなに心がワクワクしたのは、何カ月ぶりだろう?」

私の中の囚われが消えていくと、
目に映る一つ一つがキラキラと、まるで宝石のように輝いて、
心から溢れる喜びを、体全身で感じるようになったのです。


◆幸福は環境で決まるのではなく、私の心で決まる

囚われを捨てて、良心を選択することで、
本当の世界が見えてきます。

私は今まで、「自分の思い描いたとおりの環境でないと
幸福になんてなれない」と思い込んでいました。
皆さんもそう思い込んでいませんか?

でも違うんです。
私の幸福は、環境で決まるのではなく、私の心で決まるのです。

皆さんも、本当の世界を見てみたいですよね?
ぜひ、この言葉を唱えることから初めてみてください。
「思いどおりでなくても大丈夫!」

(10代 女性)

思いどおりでなくても大丈夫!
(第22回「中和文化祭東日本大会」2018年11月)
私の心の中にいる神様
Blessed Lifeより


高校生のみずみずしいスピーチでした。

とても学ぶところが多いです。
人というのは、年輪を重ねたら、
その分、人格も深まっている、
ということはないのだな、と思います。

先日、久しぶりに伝道前線をしたのですが、
自粛期間中、どんな風に過ごしたか、
一人一人に聞いていきました。

一人の婦人が、「24時間できるだけ、
真のお母様を意識している、同時に
自分の足りなさも感じている」
そんな証しをしていました。

天の父母様(神様)は、
良心を通して、いつも私たちに語りかけています。
意識しないと、
それを感じることができません。

24時間、気づけば意識する
そのように生活しながら、
足りない私たちであったとしても、
父母様が愛してくださることに
感謝していきたいと思うのです。




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2020年06月20日

「野の花のように美しく、松のように強く」 *浅川先生『平和の母』人生の道しるべ



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お母様の自叙伝に関する話題が続きます。
今回は、浅川先生の新シリーズ、
『平和の母』から学ぶ13の人生の道しるべ@
「野の花のように美しく、松のように強い心を持つ」
をお伝えいたします。


人生は、思うどおりにはいかないものです。

自動車の運転は、ナビ(到着地地図)をセットして、
目的地に到達できますが、
人生は目的地が不明であり、
幾多の障壁や困難が道を遮(さえぎ)っていくものです。

信じた人にだまされ、愛した人から裏切られる。
夫婦間でも、言葉で傷つけ、傷つけられる。
病気、事故災難、経済的問題、自然災害、
最近ならコロナ災禍などが襲い掛かることもあります。

純粋な夢と希望を抱いて出発した人生が、
傷心の日々の中で、不信と不満と猜疑(さいぎ)心で、
心に汚れが付き、なえてくるのです。

会社や親族、町内の人間関係の煩雑さで、
人からどう思われ、どう評価されるかを気にするようになり、
自分らしさを見失い、
心の美しさと強さを失っていきます。

そのため、ひどく臆病な人生を歩むようになることがあります。


では、どうしたら、心が汚れず、美しさを保って、
何事にも動じない強さを持って生きることができるのでしょうか。

そんな時は、道端でけなげに咲いている野の花を見ればいいのです。

花にも、人間の手を介在して咲く花と、
自然のままで、一切人の世話を受けずに咲く花があります。

花壇で咲く花、花屋に陳列される花、
温室で手厚く育成される花は、
人が丹精を込めて育てるので、
暴風雨や日照りで、枯れ果て、なえる心配はありません。

もし彼らに、「あなたが一番信頼するかたは誰ですか」
と問えば、きっとこう答えるはずです。

「私を育ててくださる花屋のご主人さまです」


野の花に、同じ質問をしたら、こう答えるでしょう。

「私の主人は、天の父母様、神様です。
神様は、いつでも、私を愛してくださり、
なんの不足も感じたことがありません、
喉が渇けば雨を降らせ、
運動したいと思えば、風を吹かせて揺らしてくださいます。

私は、ひたむきに天の父母様を信じ委ねています。
心配したことは一度もありません」

 
人生は、人だけを見つめていると、
一喜一憂、心配で、疲れるだけです。
しかし、天の父母なる神様を信じて、
委ねていけば、必ず道は開かれるのです。

純粋に、神様の愛を信じて疑わず、至誠感天、
ひたむきに、神様の道を歩んでいく強さがあれば、
全ての困難と障壁は消滅するのです。

神様は、信じて求める人を決して失望させないからです。

世界平和という最も困難な道を歩まれた、
文鮮明先生と韓鶴子夫人は、
全てを神様に委ねきって精誠の道を歩まれました。
 
このお二人は、野の花よりも美しい心と、
松よりも強い心を持たれていました。
 
人類の涙をぬぐう平和の母、韓鶴子夫人は言われます。
 
「私は世の中のすべての人が野の花のように美しく、
 松のように強い心を持ち、
 この芝生のように清く生きていけるように、
 一人、祈りを捧げるのです」


(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』31ページ)

『平和の母』から学ぶ13の人生の道しるべ 1
野の花のように美しく、松のように強い心を持つ
浅川 勇男
「平和の母」シリーズ第2弾


自然を通して、神様の深い愛の世界を
実感しておられる真のお母様。

私たちは、人間関係のちょっとしたごたごたで、
すぐに心を奪われてしまいます。

人間の心というものは移ろいやすく、
かくも弱い存在であることを痛感します。

しかし、お母様は、野の花を見て、心の美しさを感じ、
松の木を通して、強い心を持つことを
神様が願われている、と感じておられます。

お母様のように、
心を正していく者になっていきたいと思うのです。






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posted by ten1ko2 at 08:55 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月19日

僭越ながら私の感想文を紹介します! 「お母様の自叙伝には恨みの言葉がない」



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大母様と叔父の洪順貞(ハン スンジョン)氏と共に☆


真のお母様の自叙伝
「人類の涙をぬぐう平和の母」
感想文コンクール。

大変僭越ではありますが、
私自身が応募した感想文を紹介させていただきます。


「お母様への書信
〜共に天一国の旗を掲げ、万歳を叫ぶ日まで〜」


真のお母様。

あなたの書かれた自叙伝(人類の涙をぬぐう平和の母)を手に取ったのは、
3月半ばのこと。新型コロナウィルスにより、
日本でも感染者が増えてきたころのことでした。

中国に端を発したコロナ禍に対して、憤りを感じつつ、
お母様の自叙伝を、訓読し祈りを捧げると、その憤りは消え去り、
お母様がどのような思いをもって、
今の事態を見つめておられるのだろうか、そう思うようになりました。

ちょうど、徳野会長より、お母様が、
世界各国の感染状況を食い入るように見つめ、
切に祈っておられるという報告がありました。

『平和の母』として、全人類を見つめておられるお母様は、
子供たちが苦しんでいる状況を見て、発生源がどこなのか、
誰の責任なのかということよりも、
ただただ事態の終息を願っておられるに違いありません。


昨年末、天寶苑を見学した際、
お母様のお写真に心が強く惹きつけられました。

自叙伝にも一部、掲載されていますが、
お母様の学生時代と看護学校時代の姿は、
何か達観され、別の世界におられるような、
そんな印象を受けました。

すでにご自身の使命を感じておられたのではと感じたのですが、
自叙伝を読み、確信しました。

お母様は、趙元模ハルモニから、
「神様が、お前の父親だよ」と言われ、
洪順愛大母様からは、主の娘として、育てられました。

幼い頃からいつも神様を意識して生活され、
使命の自覚をしておられた、
だからお写真から特別なオーラを感じたのでしょう。

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また、この母と祖母の信仰と精誠が、
今のお母様を作りあげられたと思います。

幼い大母様、お母様を背負い
「大韓独立万歳」を叫ばれた趙元模ハルモニ。
お母様の誕生時の霊的な試練、北韓からの南下、
漢江の爆破前に渡ることができた奇跡には、
二人の守りがあったのです。
 

お母様が素晴らしいと思うのは、
決意が最後まで変わらないことです。
私たちはちょっとしたことで一喜一憂し、
「あの時、こうすれば良かった」と過去を振り返り、後悔します。

お母様は17歳で聖婚された時、
「私の代でみ旨を終わらせる」と決意されました。

その後、行かれる道は思うようにはいかなかったでしょう。
お父様が聖和されたことも、子女様の様々な問題も
予想だにしなかったでしょう。

それでも、お母様の決意は変わりませんでした。
その決意が道を開いていったのですね。


正直に告白をすると、私自身が試練を受けた時、
お父様の歩まれた道や、困難を克服された心情路程と
心を合わせることはありましたが、
お母様に対してはありませんでした。
それは、お母様のことをよく知らなかったからです。

人間は母の胎中から生まれ、母乳を飲んで育ちます。
ですから、先に父の愛ではなく、
母の愛を受けて成長できればよかったと思うのです。

自叙伝を通して、そのことにも理由があることを悟りました。
序文に、「神様の男性格である『天の父』の立場を中心とした、
男性中心の歴史が展開された」とあります。

神様の本当の姿は、証されることなく、歴史は流れてきました。
真の父母様を中心とした摂理においても、
真のお父様が前面に出られ、お母様は陰に隠れるような立場でした。

しかし、お母様が歴史の表舞台に立ち、
独り娘であることを堂々と宣布され、
神様が「天の父母様」として、正式に顕現される時を迎えました。

神様の呼称にも理由があったと思います。
「すべてが私の責任」そのように受け止めておられるお母様が、
最近『天の父母様聖会』*という名称を発表されたのも、
神様を知らないことが問題の核心であると知っておられるからだと思います。


今、妻と毎日、自叙伝の訓読をしています。
二人で聖歌を賛美し、訓読し、祈祷を捧げ、ハグをして終わる、
この時間がなんとも幸せなひとときです。

期間中、テレワークのミスで、30分くらいの仕事が無駄になったり、
子供のことでちょっとした事件があったり、
夫婦間でも些細ないざこざがあったり。。。

ところが、夫婦で訓読して祈祷すると、複雑な思いが消えるのです。
自叙伝には、恨みの言葉がひとつもありません。
すべてに感謝している真のお母様です。

いつの間にか訓読を通して、勝利されたお母様の真の愛に
触れることができるのだ、と感じました。


実は、この自叙伝を、一つの期待をもって読んでいました。
ありました!

私は二度、拉致監禁に遭っているのですが、
336ページに、「拉致監禁」の文字を見つけ、
お母様が覚えてくださっていることに、
ちょっとした心情の結びつきを感じました。
 
お母様。
この自叙伝を、これからも訓読し続けます。
お母様の心情にもっと近づきたいと思うからです。
心から「私のお母さん」と実感できるようになるためです。

どんな時、何を感じられたのか。
すべてを克服し、勝利された真のお母様を相続していきたいです。

そして、天一国実現の時、お母様とともに喜びの旗をあげて、
「万歳」と叫びたいと思うのです。
平和の母、真のお母様、心から感謝します。

*応募後に更にお母様が
発表されたので変更しました


昨日紹介した最優秀作品に比較すると、
自分のお母様に対する心情の乏しさに、
恥ずかしいばかりです。

今回は日の目を見なかったのですが、
何人かの方から、感想文を掲載してほしい、
そんな要望もあり、
(私なりにですが)内外ともに
本当に投入したものだったし。。。
あえて紹介の機会を作らせていただきました。

読んでくださり、ありがとうございました。




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