2020年06月16日

たとえ信仰10年たったとしても、変われないのはなぜ・・・?! 《金元弼先生》



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天正宮の道☆


金元弼先生のみ言、「悔い改めは出発の時と同じ」
今回は、『信仰歴と心霊基準』です。


信仰の道に入って十年たったとします。
ところがいつも同じ繰り返しで、
結局信仰とは何だろうということになります。

十年たっても分からない。
こういうことがあるのです。

信仰の道に入って、目的を立て、
目的に向かって十年の年月が過ぎたとします。

肉体の人間は十年たったのですが、内的な人というのは、
どの位置にあるかというと、落ちて、悔い改めて、
決意して出発したのですから結局A点(出発点)でしかないということです。


皆さん、統一教会に入って、
七年あるいは十年たった人がいると思います。
そういう人がこの道は真の道であると思って出発しました。

そして七年あるいは十年たちました。
ところが途中で失敗して落ちてしまいました。

そして悔い改めて、復興会に出たりみ言を聞いてとても心が復興し、
再び決意して出発します。
そして年月は七年あるいは十年と経過しています。

けれども、自分を振り返ってみる時に、
勝利したような実感が出てこないというのです。
本当に真の道ならなぜこうなるのだろうかと考えるというのです。

五年たっても、七年たってもいつも繰り返しなので、
むなしさを感じるのです。

真の道であるならば、五年たったらそれなりに
発展していかなければならないのに、
自分の内面の世界を見てみると、
全然成長したような感じがしてこないというのです。

かえってこの道が、本当の真の道であるかどうか、
分からなくなったということが起こるのです。


なぜですか。
私たちは普通決意したり約束したりすると、
私自身が人の前に、先生の前に、神様の前に心を決める、
そういうふうに考える人が多いのです。

しかし、一歩進んで考えると、サタンも必ず身構えているというのです。
背後にサタンがいるということに全然気を遣わないのです。
私たちはこのことを忘れてはいけません。

このように神の前に、先生の前に、人々の前に決意し、
約束したのに守れなかった時には、
約束する前の位置C点に落ちるのです。

そして、自分の間違いに気が付いて悔い改めた時に
A点(出発点)まで戻るのです。
B点(以前到達した地点)まで上がってくるのではなく、
そこまで上がることのできる象徴的条件しか
成り立たないというのです。

B点に立ち返るためには、失敗を取り戻すことのできる
勝利の実績が必要なのです。

 
サタンは、皆さんが決意してそれを成しえなかった時には、
それをそのままにしているでしょうか。
それとも、それを讒訴する条件とするでしょうか。
言うまでもありません。

サタンの目的は、私たちが神に向かわないように、
神から引き離そうとすることであるということを知らなければなりません。
私が神と人の前に決意して、それを成しえなかった時には、
それをサタンは讒訴条件として提示するというのです。

「悔い改めて勝利した。だから今は、私は勝利したでしょう」と言っても、
サタンは「さっきあなたは失敗したではありませんか。
だから今勝利したって、無の立場、勝負をつける前の立場ですよ」
とこう言ってくるというのです。

もう一度失敗した事柄が再現されて、
勝利した実績をもたない限り、サタンは讒訴するというのです。

(「悔い改めは出発の時と同じ」 
1975年11月2日 川崎・楚麗邑)


最初にみ言を聞いた時には、ものすごく復興します。
伝道も頑張ったり、霊的な体験をしたり。。。

しかし、いつの間にか、心霊が下がるというか。
このままでいいのだろうか、と思ったりします。
個人的な体験ですが、
みなさんも同じような経験をしているか、と思います。

下がっている、と思う時には、
サタンが讒訴しているのだ、ということです。

ようするに、決意したり下がったり
また決意して続かなくて。。。というのは、
サタンにやられっぱなしの状態といえますね。

普通にしていても
サタンに引っかかりますから、
天と真の父母様をもっと求めて、
命綱としていくしかないでしょう。

天に捧げた目標を果たさない時に、
サタンのささやきが来たとしても、
主管されることなく、天を見つめて歩む、
そのような者になっていきたいと思うのです。






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posted by ten1ko2 at 10:17 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする