2020年06月17日

アベルはなぜ殺されたのか、そして何を失ったのか?! 《入山部長》



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入山部長の地域化講座、
今回は、カインの祭物「アベルの立場」です。


このような神様のこころを誰が理解すべきだったのでしょうか? 
アベルです。
そうすべきだったのがアベルの立場であり、使命でした。

アベルは神様から供え物を顧みられ、祝福を受けました。
その時、「祝福」と同時に摂理の中心人物としての
「責任」も授かっていたのです。

そこには大きく見て、二つの責任(使命)がありました。
 

第一に、摂理の中心人物は、
「神様のこころ」を知らなければなりません。
そして「神様のこころ」を「私のこころ」としなければなりません。

アベルが、アダム家庭を見つめる「神様のこころ」を
正しく知っていたとすれば、
「堕落した人間に創造目的を完成させる」という、
神様の決意が分かったはずです。

そして、神様が、兄カインをも愛し、
「カインの祭物」をも受け取りたいことを知ったはずです。

「ああ、神様は兄さんも愛していて、
供え物も受け取り、救いたいのだ」
これが分かったとするなら、
まったく違う摂理的展開がなされたでしょう。

復帰原理では、「信仰基台」とは、中心人物が
ある条件を立ててある期間を守ることだとあります。
それは外的な行動目標にすぎません。

その内的な復帰目標は、
「神様のこころ」を知ることではないでしょうか。
そしてそれを、「私のこころ」とすることでしょう。

 
第二に、摂理の中心人物は、
「兄カインのこころ」を知らなければなりません。

カインは、「地に顔を伏せて憤る」ほどに、
供え物を受け取られなかったことにショックを受けました。

カインは、サタンの血統を受け、粗暴な性格であったとしても、
そういう自分に満足していたでしょうか。
悪人においても、良心は、「神様に帰れ!」と命じるのです。

兄カインの「救われたい!」という心の叫びを、
アベルが知ってあげなければなりませんでした。

「神様のこころ」を知り、「兄のこころ」を知り、
それを一つに結んであげること、
それが「アベルの立場」に課せられた「責任」だったのです。

 
もし、その責任を果たしていたら、
アベルは殺されることはなかったでしょう。
アベルは、「カインのこころ」を知ることができなかったために殺されたのです。

「恨み」というのは、大変な思いをしたこと自体が
その原因ではなく、それを誰にも分かってもらえなかった、
という愛の減少感が原因となって心に蓄積されていくものです。

ですから、それを分かってくれる人が現れると、
それ以上恨むことができなくなってしまいます。
まさに「解恨(解怨)」です。
アベルはカインを解恨する使命を持っていたのです。


しかし、実際には、聖書に描かれたアダム家庭において、
アベルが「神様のこころ」を理解していたでしょうか? 
そして、「兄カインのこころ」をつかんでいたでしょうか?
そうではなかったと思われます。

アベルの心のアンテナは、
ただ「祝福を受けた」という
自分だけの喜びに向けられていたのです。

こうして、アダム家庭における神様の摂理は
失敗となってしまいました。

神様のこころだけが残っていました。
そのこころはどれほど痛んだでしょうか。

こうして、摂理的な「アベルの立場」は空席となりました。

その後、復帰摂理の中心テーマとして、
「アベルの立場を復帰する」
「アベルの立場に立つ」という表現が、
『原理講論』に繰り返し登場してくるのです。

この、失われた「アベルの立場」を全うする者を、
神様は探し続けられました。
それが、復帰摂理歴史の表題なのです。

『地域化講座〜地域づくりは国づくり〜
天一国時代の伝道論』(6)
入山 聖基・著
第一章 カインの祭物
アベルの立場


中心人物、というのは、
ただ外的な目標を成すだけでなく、
それを通して、復帰しなければならない心情がある、
ということを感じさせていただきました。

アベルも供え物を捧げて、神様が受け取ることにより、
信仰基台の中心人物になることはできましたけれど、
本当の意味では中心人物に立ったとは言えなかったのです。

「神様のこころ」を知り、
「カインのこころ」を知る。。。
私たちにも突き付けられた課題だと言えます。







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