2020年08月21日

怒ったら失格?! 子の前で、天情に通じ涙したことがありますか 《李ヨハネ信仰サプリ》



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李ヨハネ(イ ヨハン)先生のみ言
「信仰・希望・愛の路程」より
『父母の心情、僕の生活』を紹介します。


イエス様の路程で、イエス様が悩んだことが何かといえば、
自分は神との縦的関係が確実であり、
神のものであることは間違いないのに、
実生活に入ってみると、神の立場で対する人がいないということです。

それゆえに自分の立場を隠して、対象の立場で
同僚と同じ相対基準を結んであげなければならない、
悔しさと悲しみがありました。
ここに涙がありました。

涙の中でどんな涙が貴いかといえば、
自分は間違いなく心情的に天の父との関係を持ったのに、
実生活でほかの人たちが皆それぞれの事情だけを持って自分に対するとき、
ここで彼らと調和しようとする切ない涙が、貴い涙なのです。

自分の事情を中心として私を必要とする人だけが
大勢いるときには、大抵、俗化されます。
自分の事情と生活観を持った人たちのために
生きようとするときは、私の立場を秘密にしなければなりません。

自分を中心として生きる人たちのために生きようとするとき、
涙ぐましい立場になるのです。
これが、父母の心情、僕の生活であるといえます。

父母の心は秘密なのです。
イエス様が持たれた心が父母の心です。

天の心情と事情を持って来られましたが、
貧しい者と病んだ者のために生き、
誠を尽くしてあげなくてはならないイエス様でした。
これが涙であり哀れみなのです。


このようなところで間違えれば、
神の立場を離れる危険性があることを、
皆さんは経験したはずです。

周囲をかわいそうに思って、天情が人情になりやすいのです。
天情をもって人を哀れに思い始めたけれども、
その人の立場と事情に主管されるようになり、
人情的に流されていきやすいのです。

ここで人情に流されないようにしようとするとき、
涙が混じるのです。
父母の心で僕の生活をするとき、涙があります。


父母が子供を育てながら何かを願うのは、
子供を愛しているからですが、
子供は自分かってに協助されることを望むのです。
自分かってにしながらお金を好んで使い、
父母の心を利用しようとするのです。

子供が幼いときには心配もし、しかりもするでしょう。
その叱責を、子供がありがたく思い、感激するなら、
そのしかったことは善なる叱責になりますが、
もし恨めしく思うなら善なる叱責にはなりません。

叱られた子供が悲しく思うときには、
父母が父母としての心を持ち、僕の生活ができなかったのです。
父母という立場が露骨に現れたら、子供は葛藤します。
そのときは父母の心で現れることができません。

自分のとる態度が、父母の心を痛めてしまって
申し訳ないという悔い改めの心になれば、
子供にとって薬になり、善なる教育になります。

しかし、父母が涙を流すべき場でかんしゃくを起こせば、
子供と全く同じ立場になります。
父母も子供も全く同じだというのです。

父母の立場を内的にとり、
とめどもなく涙を流さなければなりません。

「この野郎!おまえの思いどおりにしようというなら、
さっさとこの家から出て行け!」。
もし、このようにしかりながら、敵愾心を持って、
子供の前でかんしゃくを起こしたとすれば、
父母としての資格がない人です。

1985年10月29日(火)統一神学校
「信仰・希望・愛の路程」
(この説教はチャペルの時間に語られたもの)


「親の心、子知らず」とはよく言ったものですね。
子供の課題を指摘しても、
本人の自覚がないとただの叱責になってしまうということです。
そして、怒りにかられてしまったりするのは、
親の資格がない、とも言われています。

心当たりがあるので、
頭を下げるしかないですね。

さて、イエス様も神様を「父なる神」と呼ばれました。
しかし、当時のユダヤ人にとっては、
冒涜行為であると見なされ、迫害を受けました。

これがどれほど、イエス様にとっては、
悲しみの極致であったかしれません。
ヨハネ先生のお話を通して、
そのもどかしさが、今更ながらよく理解できました。

そして、今「神様は父母である」
とお母様が強調されています。

神様のことを思うと涙されるお母様。
そして、7年路程を通じて、
少なくとも人類三分の一には、
天の父母である
神様を正しく知ってほしい、と叫ばれるお母様。

その心情を、子たる私たちも悟り、
実感していかなければならない、と思うのです。






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posted by ten1ko2 at 09:23 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする