2020年09月21日

神に帰るにはどうしたらいいか?! 徳野会長が語る信仰生活の核心テーマ



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徳野会長のビデオメッセージ、
今回は、真の父母様のみ言と
「見落としてはならない
信仰生活の核心テーマ」ということで
語ってくださっています。


[T]真の父母様の信仰指導のゴール

真の父母様は常に天の父母様(神様)第一主義を唱えて、
私たちを指導してくださいました。

一つの例として、1975年7月13日、
ニューヨークのベルベディアで語られた真のお父様のみ言を引用します。

「理想的人間に向かって進むよりは、
 神に帰れという結論がここに下されるのであります。
 ……神に帰らなければ、人間は正しいことを
 生み出すことができない、
 という結論になるのであります」
(『御旨と世界』431頁)


また、私が9月6日、日曜日の朝に訓読した
『平和経』の中に、このようなみ言がありました。

「真の父母様は、血を流す道を通して、
 地上に神様をお迎えする使命を遂行しているのです。
 真の父母様が十字架を背負うのは、
 神様を地上にお迎えするためです」
(1243頁)



このみ言と同様の内容を、真のお母様も
最近、一貫して語っておられます。

「天の父母様に帰りなさい。
 人類77億の最低3分の1を
 天の父母様に侍る、そのような民にしたい」 

「天の父母様に帰らなければならない。
 地球上の全ての難問題は、
 人間の知恵や努力だけでは絶対に解決しない」


したがって、私たちに対する真の父母様の、
おふたり共通の信仰指導のエキスでありゴールは、
「神に帰れ、天の父母様に帰れ」ということにあります。


[U]天の父母様を正しく理解するための唯一の道

ところが、その天の父母様に帰る道が簡単ではありません。
私たちがどんなにお父様の願いが神に帰ることだと教えられても、
実際に神様を正しく知ることは、私たち人間にとっては簡単ではないのです。

たとえ家庭連合に所属していたとしても、
真の父母様の解釈や解説を参考にしない限り、
私たちは正確に神様のみ意、願いや心情世界を知ることはできません。
つまり、神様を知るためには、むしろ
真の父母様に帰らなければならないという結論に至るわけです。

このことがはっきり分かっていれば、
わが家庭連合から分派が発生することはありませんでした。

真の父母様を全ての判断基準にする。
真の父母様のみ言、真の父母様の願い、とりわけ、
その時々の真の父母様の具体的なご指導やご指示に
絶対信仰で従っていれば、絶対に分派というものは発生しないのです。

家庭連合といえども、食口一人一人の、
神様のみ意や願いに対する捉え方がまちまちなだけに、
真の父母様に対する絶対的な基準の中心性が立っていなければ、
本当の意味での統一はありえないということです。

真の父母様のみが、家庭連合を中心として
全世界の人類が一つになる道を提示できる唯一の存在であるのです。


[V]復帰摂理歴史の勝敗の鍵

ここで、天への信仰と、実体的に「侍る」ということについて、
違った角度から考えてみたいと思います。

『原理講論』の復帰原理の部分を読むと、
「信仰基台」と「実体基台」という概念が出てきます。
中心人物が「信仰基台」を立て、「実体基台」を形成して、
初めて「メシヤのための基台」ができて、メシヤを迎えるというわけです。

信仰基台は、絶対的で揺るぎのない神様の前に、
相対的な存在である人間が信仰を立てます。

人間さえ「天に対する信仰の闘い」に勝利して、
縦的な信仰を立てれば、信仰基台は勝利します。
これが信仰基台の特徴です。

ところが、実体基台は違います。
中心人物であるアベル、そしてカインも相対的な存在であり、
堕落性を持っています。

お互いに裁き合えば、カイン、アベルの一体化はありえません。
お互いに足りないところを補い合い、一つになるためには、
許しが必要であり、横的な愛の闘いに勝利しなければならないのです。

つまり、信仰基台が信仰の闘いであるのに対し、
実体基台は愛の闘いです。
しかも、まだ完成していない、堕落性のあるアベルが、
不完全なカインを愛して自然屈伏せしめ、
お互いに尊敬し合えるような関係を築かなければならないのです。

したがって、実体基台の勝利は信仰基台よりも難しいという側面があります。
そのような観点から、実体基台の勝利こそ、復帰摂理歴史の勝敗の鍵なのです。


[W]摂理的勝利の鍵は「中心性」と「一体化」

結論的に言えば、み旨の道は信仰と愛、
この2つを勝利しなければなりません。

天の父母様と真の父母様に対する「中心性」の勝利。
そして、カインとアベルが一つになる「一体化」の勝利。

この「中心性」と「一体化」の勝利こそ、
復帰摂理を勝利するための核心であり、鍵です。

天寶入籍勝利家庭になるためにも、この2つの条件が必要です。

一つは先祖解怨、先祖祝福のための縦的な精誠条件です。
そしてもう一つが、430家庭の横的な基台です。
まさに、信仰の子女を立てる愛の闘いです。

とりわけ、核となる43家庭の基台を立てるという、
この愛の勝利の実績なくして、天寶入籍勝利家庭になることはできません。

どうぞ、この内容を参考にして、決して分派に惑わされることなく、
日々の信仰生活におけるさまざまなサタンの誘惑や試練を乗り越えて、
信仰基台、実体基台を共に勝利し、天寶入籍勝利家庭になっていってください。

天の父母様を正確に知るためにも、真の父母様と一つとなり、
真の父母様を正確に知るためにも、
目の前のアベルと一つになりましょう。

そうして、信仰生活の核心テーマである「中心性と一体化」を勝利して、
真の父母様の願いである天寶家庭となり、
共に一丸となって救国救世の基盤造成を果たしてまいりましょう!

会長メッセージ
世界平和統一家庭連合会長 徳野英治

本シリーズでは、最新の天の摂理とみ言の要点、
祝福家庭や教会員が持つべき信仰姿勢のポイントなどについて、
世界平和統一家庭連合・徳野英治会長のメッセージをお伝えします。
今回は、私たちが「見落としてはならない
信仰生活の核心テーマ」についてです。
9月度のU-ONE TV動画版と併せてご活用ください。
(編集部)
中和新聞より


徳野会長が語られるごとく、
私たちは神様を正しく知らなければならないと思います。

同じ神様を信じているはずなのに、
こんなにも宗教が分裂し、相争っています。
その理由は、本当の神様を知らないからです。

本当の神様を知るためには、
どんな神様なのかを教えてくださった、
真の父母様を知らなければなりません。

私たちが天の願うように、
真の父母様の願うように一つとなることは
実際、簡単ではありません。

本当に真の父母様の価値がわかり、
その心情に通じるなら、
誰でも簡単に一つとなれるでしょうが
伝えることでまず躊躇してしまい、
家庭にしても、み旨にしても、本当に課題ばかりで、
私の力では、いきづまってしまいます。

祈りながら、天と真の父母様から力をいただき、
愛の言葉を掛け合いながら、
授受作用の力を得ていく。。。

そして、もっともっと天の父母様である
真の神様を知っていきたいと思うのです。






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posted by ten1ko2 at 08:37 | Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月20日

よかったから感謝するのは当たり前?! 3段階から4段階目の「感謝」へ 《礼拝説教》



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家庭連合・説教ブログから
「感謝の信仰生活」という説教を紹介します。


お母様は感謝ということを何度となく強調されています。

それで感謝について、
三段階という観点から考えてみたいと思います。


まず第一段階としては、恩恵があったら感謝をする。

これは一般の人でも当然するでしょう。
しかし、一般の方は「ありがとうございます。おかげで助かりました」
と言って、目の前の人に感謝しますけれども、
私たちはさらに神様にも感謝します。

自分の子供が無事に生まれた、孫が無事に生まれた。
子供が成長して小学校に入学した。
あるいは難関を突破して、何々大学に合格した。
これはうれしいことで感謝すべきことですが、
神様に感謝を捧げることを決して忘れてはなりません。

その時、ただ感謝するのではなく、
謙虚である、謙遜であるということが必要です。

このような恩恵と恵みを受けるにふさわしい私たちではないにもかかわらず、
そのような恩恵と恵みを頂くことができた。
このように思うべきでしょう。


お父様はこのように言われました。

「あまりに足りない自分に
 望みもしなかったものを整えてくださった
 神様に対して感謝しなければなりません。

 恥ずかしさを感じながらもらったので、
 与えながらも恥ずかしさを感じることができる
 心の姿勢を持つ人は、
 絶対に滅びることがありません。

 そのような人は
 感謝する生活を忘れないということを
 皆さんは知らなければなりません」



「もし、アダムとエバが
 取って食べてはならないという
 神様のみ言を聞いたとき、
 このみ言を感謝して受け、

『あまりにも高く尊いお方が
 恥ずかしい我々に
 このようなみ言を下さるとは……』

 と言って、恐れ多い心で頭を垂れ、
 自分たちは慎重に行動しようという
 心をもって生活していたとするならば、
 堕落はしなかったはずです」



このように恩恵に対しては謙虚さと謙遜さと持つことが大切です。


これが第一段階だとすれば、第二段階は何でしょうか。
 
第二段階は何もなくても感謝するということです。
恩恵があって感謝するのは、ある意味、当たり前でしょう。
しかし、何もなくてもいかに感謝していけるか。

きょう私は礼拝の場に来るのに電車に乗り、橋を渡り、
116段の階段を上り、1時間かけて来ましたが、
その間、特別に良いことはありませんでした。

しかし、電車を造ってくれた人や橋を架けてくれた人、
そして階段を造ってくれた人がいたおかげで、
1時間で来ることができたのであって、
そうでなければ、私は昨夜、自宅を出発しなければ、
この時間にここには立てないのです。

何事も良いことが起こっていないようだけれども、
実は神様によって支えられ、生かされているという、
感謝すべき内容がたくさんあるという話です。


ですから一段階目の恵みを下さった神様を、
分かりやすく、「見える神様」と表現するならば、
二段階目の神様は「見えない神様」と言えるでしょう。

「見える神様」に感謝するだけではなく、
「見えない神様」にも感謝するのです。

神様はシャイな方です。
「俺がやった」と出てこない方です。
姿形を現さずに、謙虚に、謙遜に、神自らが、
分からないように、私たちを生かしてくださっています。

ですから、私が「見えない神様」をあちらこちらに探し出して
感謝しないといけないというのです。
そのように、何気ない中に神様を発見できる感受性を持ちたいものです。


三段階目は試練があってもいかに感謝できるかです。
困難な状況に陥ったとしても、難しい局面に放り出されたとしても、
いかに感謝できるかということです。

「見える神様」に感謝、「見えない神様」に感謝、
そして三番目は「居ない神」に感謝ということです。

神様が居ないわけではないけれども、
神に捨てられたような、神がどこかに行ってしまったような、
そういうような状況で、「神も仏もあったもんじゃない」というような状況で、
いかに神に感謝するかということです。


昔、中村久子さんという、手足のない方がおられました。
五体が不満足であるということのゆえに、
苦労をたくさんされましたけれども、
そのことから得るものがたくさんあったというのです。

そのことで人間として成長して磨かれたというのです。
むしろ手足がないことが自分の財産だというのです。
人生というものを恨むことなく、肯定的に捉え、
多くの人たちに夢と希望と力を与える人になったという話です。

貧しい家に生まれた人は、努力したら立身出世もあるでしょう。
しかし、手足は生えてきません。
心を変える以外ないのです。
そして、心さえ変わるならば、五体が満足な人以上に立派な人間にもなるし、
多くの人に影響を与えることもできるという話です。

人間の精神の素晴らしさ、心の素晴らしさ、
環境とか肉体がどうのこうのという問題は我々にとっては
言い訳でしかないということを教えられます。


私たちも、困難や試練があっても神に感謝していくのです。

「神様、私よりもあなたのほうがもっと困難なのでしょう?」と、
自分が困難な状況にあっても、神様の事情を考えてあげることができ、
「私はこれくらいのことでは負けないので、神様、大丈夫です」と、
むしろ神を慰める、そのような者がいたら、親としては、
その子供を見てどう思うでしょうか。

親であるならば、子供にああもしてあげたい、
こうもしてあげたいと思うでしょう。
しかし様々な事情があって何も買ってあげられない。
いつも同じ物しか着せられない、穴の開いた物しか着せられない、
ろくな文房具も買ってあげられないと思うのです。

しかし、子供が「お母さん、いいよ。
それでも僕は一生懸命勉強するからね」と、
そういう子供の姿を見たら、親は泣けてしょうがないでしょう。


恵みがあった時に、神様に感謝する。
何事もなかった時に、神様に感謝する。
どんな困難が起こっても、神様に感謝する。

これで一応三段階ですが、実は、さらにもう一段階があります。


お父様は「神様に感謝される者になれ」と言われました。

ですから四段階目は、
神様から感謝される私にいかになるかです。

お父様は生前、自分が霊界に行ったときに
神様とどのように出会うかということを考えているとおっしゃいました。

その時に、自分が神の玉座に走って行くのか、それとも神様が、
その玉座から転がり落ちるようにして私のほうに走ってきて、
私を抱きしめて迎えるのか、
どのようにして神様と出会うのか、というみ言があります。


私が霊界に行った時に、神様から

「お前は地上でそのような困難な道でありながらも、
信仰を棄てずに、曲げずに、
事情もよく分からなかったにもかかわらず、
感謝しながら一途に歩んだ。
お前に話してあげられなかった、いくつもの事情がある。
今だからこそ、やっとお前に話せる」

と言って、神様が泣きながら、
地上にいた時にああもしてあげたかった、
こうもしてあげたかったけれども
することができなかった事情の全てを、
霊界で私たちに感謝しながら
語ってくださるような場面がなければならないでしょう。

傲慢かもしれませんが、そういうことを夢見ながら、
私たちは地上における信仰生活の質を高め、
神様との父子の深い絆を結んでいきたいものです。

以上のような四段階の感謝の生活をすることが、
私の「孝の生活」です。
生涯を感謝で歩む孝子・孝女となりましょう。

家庭連合・説教ブログ
「感謝の信仰生活」


『感謝』に対して、とてもわかりやすく解説してくださいました。

三段階目の感謝の基準は、試練に感謝する、
まさにピンチをチャンスに変える、
ということになるかと思います。

苦しい時、ハプニングが起こった時、
そういう時に感謝する、というのは、
大きな転換になると感じます。

そして、四段階目の感謝の基準は、
「孝情」ということになると思います。

自分の良心基準を高めて、
天に喜んでいただけるように、
「感謝」の生活を送っていきたいものです。





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訓読:父母様のみ言から

 私が与えても恥ずかしがる心の姿勢、もらえば恥ずかしく、おそれ多くて、どうしたらいいのか分からないという心の姿勢を常にもって生きる人が、感謝の生活をする人です。
このような人を通して新しい歴史が展開するのであり、このような内容を通して天国が成し遂げられるということを、皆さんははっきりと知らなければなりません。それゆえに皆さんは、自分が処している位置で、涙を流しつつ感謝しなければなりません。
 あまりに足りない自分に望みもしなかったものを整えてくださった神様に対して、感謝しなければなりません。恥ずかしさを感じながらもらったので、与えながらも恥ずかしさを感じることができる心の姿勢をもつ人は、絶対に滅びることはありません。そのような人は、感謝する生活をせざるを得ないということを、皆さんは知らなければなりません。もし、アダムとエバが『取って食べてはならない』という神様のみ言を聞いたとき、このみ言を感謝して受け、あまりにも高く尊いお方が『恥ずかしい我々に、このようなみ言を下さるとは』と言って、おそれ多い心で頭を垂れ、自分たちは慎重に行動しようという心をもって生活していたとするならば、堕落はしなかったはずです。
(中略)
歴史過程には立派な人々がたくさんいましたが、与えても足りないことを感じ、もらうときは有り難く受け取る人がいなかったのです。その格好はどうであっても、感謝してもらい、有り難くもらう人のみが神様を愛することができるということを、皆さんは知らなければなりません。

 将来、私たちは何を誇るのでしょうか。神様が下さるものをいつでも感謝して受け取り、いつでも有り難くもらえることが私たちの誇りであり、また、有り難く与えられる心をもったということが私たちの誇りです。このような伝統を立てていく皆さんであるならば、その伝統は、世界の歴史とともに切れることがなく、永遠であることでしょう。そのように生活する人のみが、神様に感謝する生活をなす人です。

 私たちが世界に残ることができる道は、全てのことに感謝する生活をする道だけであるということを、皆さんははっきりと知らなければなりません。生死の問題を中心として堕落したことが起源となり、このような曲折の道をつづってきたのですから、これを越えていくためには、現実を否定し、未来を肯定しなければなりません。現実において未来を肯定する心を受け継ぐためには、感謝する思いで、『全てを与えられる』という心をもたなくてはなりません。このような心がなくてはならないというのです。これを知って実践していく人は、間違いなく神様の息子、娘となれるはずです」
(1970年10月25日)



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posted by ten1ko2 at 09:33 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月19日

永遠に戦争がこの世からなくなるべき。。。! 平和の母、幼き日の涙 《浅川先生》



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浅川先生の「『平和の母』が流した七つの涙」
今回は、『【第四の涙】祖国に流した涙』です。


誰もが自分が生まれた故郷を慕っています。
山や川、春夏秋冬に彩る花や木々の色鮮やかさ…。

韓鶴子夫人の故郷は、朝鮮半島北部の安州です。

「私の故郷、平安南道安州の美しい風景や、
 自然が奏でる音色は、七十年以上経(た)っても、
 私の心の中にそのまま残っています。

 必ずまた訪ねたい、慕わしい故郷です。
 私がいつかは帰るべき、本郷の地です」


(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』46ページ)

韓鶴子夫人が誕生した時、朝鮮半島は日本の統治下にありました。
1945年8月15日、朝鮮半島は解放されますが、
北部にソ連と中国と連携した共産主義勢力が浸透して
北朝鮮国家を、南には自由主義国家が建国され、
北と南に分断されてしまいます。

熱心なキリスト信者だった韓鶴子夫人の祖母と母は、
弾圧を受けて一時牢獄に入れられますが、
解放されて南に向かいます。
幾多の困難と奇跡的な神様の守護によって脱出できました。

1950年6月25日、軍備を整えた北朝鮮軍は
一挙に38度線を越えて南に侵攻します。
大混乱の中、九死に一生を得て、家族は命を守られました。

この時、韓鶴子夫人は数えで8歳。
戦時下の悲惨な光景を目撃したのです。


「私は幼い年でしたが、戦争の残酷さを直接目撃し、
 悲惨な避難民の生活を経験しました。

 純朴な人々がまるで虫けらのように死んでいき、
 親を失った子供たちが泣き叫びながら
 街頭をさまよっていました。

 私は数えで八歳にして、
 戦争は地上から永遠に消え去らなければならない
 という思いを強く持ちました」


(同85ページ)

韓鶴子夫人にとって、世界平和と祖国統一は
単なるスローガンではありません。
幼い頃に目にした悲惨な光景が
揺るぎない決意と信念を醸成しているのです。

故郷は北朝鮮共産国家の支配下にあり、
祖国は分断国家となっています。
東西ドイツが統一されて自由主義国家になった今でも、
分断されています。

朝鮮半島は、世界平和のために重要な役割をもっています。
東洋と西洋の文明が出合い、
大陸文明と海洋文明が出合う場所です。

これまで栄えてきた大西洋文明が過ぎて、
新しく環太平洋文明が開き、
その中心はアジアであり、朝鮮半島なのです。

各国の利害関係が衝突する朝鮮半島が、
世界平和の重大な役割を担わなければならない時が来ています。

韓鶴子夫人の祖国朝鮮半島は、国を奪われ、
分断された悲しみの中にありますが、
祖国に流す涙は、統一のための悲願だけではなく、
世界平和のためでもあるのです。


「文鮮明総裁と私は、
 神様の祖国光復のために
 一片丹心の生涯を生きてきました。
 決して振り返ることなく、
 ひたすら前だけを見つめて歩んできたのです」


(同402ページ)。


「平和の母」が流した七つの涙 4
【第四の涙】祖国に流した涙
浅川 勇男


今、天正宮博物館において、
特別祈祷室を作られ、そこに韓国の地図と
世界地図を貼られて、お母様は
毎日祈りを捧げておられるそうです。

韓半島を一つにするための涙の祈りは、
ただ、自国のためだけに祈るのではなく、
世界平和、天一国実現のための、
涙の祈りであると思います。

それが、親なる天の父母様の
切なる願いであることを、
心に刻んでおられるので、
神様の解放のために、
心血を注いで歩まれるお母様であると思うのです。







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