2020年09月12日

この人の神様になってあげなさい 妻・夫がくじけそうな時に 《平和の母に学ぶ・浅川先生》



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浅川先生の『平和の母』から学ぶ13の人生の道しるべ
今回は、「愛を生活の中心に据える」です。


物まね芸人のコロッケさんが真面目に歌う歌があります。
「人間って何だろう?」(作詞:岡田冨美子、作曲:杉本眞人)です。

歌詞がいいのです。

「人間はなぜ生まれるの 
 なんで生きているの 
 どうして愛するの」

「神様が決めたこの人と 
 おまえは結ばれる 
 神様が決めたこの人が 
 おまえの神様になる」

「神様が決めたこの人が 
 負けそうになった時 
 神様が決めたこの人の 
 おまえは神様になれ」


結婚して夫婦となったら、
伴侶は「神様となる」というのです。
 
年末年始になると神社に参拝に行きますが、
家の中に夫と妻という名の神様がいるというのです。

そうすると、家庭は夫婦神様が住みたもう
家庭神社ということになります。
家の玄関におさい銭箱を置いてもいいくらいです。

夫にとって妻は女神様です。だから妻におさい銭をあげて、
願い事をしなければなりません。
時には、手を水で清めてから妻に触れなければなりません。

妻を神様のように貴く接するのです。
妻神様に喜んでもらえば、福運が家庭に到来します。

もし妻神様が子育てで疲れ果て、
家事の忙しさで「負けそうになった時」、
夫は妻の神様になればいいのです。


神様は親です。
親とは父母です。

だから夫は、妻の父のように真理を教え、
人生の正しい生き方を諭すのです。

冒頭の歌詞にある
「人間はなぜ生まれるの 
 なんで生きているの 
 どうして愛するの」という、
それらの疑問を全て教え諭すのです。

また神様は母でもあります。
それゆえ夫は、妻の母となって
無条件にひたすら妻を愛すればいいのです。

母親は赤ちゃんに無私、無償、無条件にお乳を与えます。
妻がくじけそうになった時、夫は妻の母神様になるのです。
母なる神様になって、お乳を与えるごとく、
無私、無償、無条件で妻を愛するのです。

夫婦が互いに神様のように貴く接し、
神様となって愛し合ったら、
家庭はまさしく神様が住む家庭神社となるのです。

 
「平和の母」韓鶴子夫人は、
天の父母様の天母の愛を人類に注ぐかたです。

つらすぎた歴史を持つアフリカの黒人指導者たちが、
無条件に「平和の母」を歓喜して迎える理由はそこにあります。
無私の母の愛を感じ取ったのです。

平和の母は語られています。


「私はいつも、愛を生活の中心に据えました。

 …赤ん坊が泣けば、母親は
 どんなに疲れていても無条件にお乳を与えますが、
 そんな無私の愛こそ、最も偉大な愛です。

 …子女や家族のため、妻や夫のため、
 全人類のため、全世界のために生きている、
 という思いを持ってこそ、
 自分自身が幸福になれるのです」


(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』316ページ)


浅川 勇男
『平和の母』から学ぶ13の人生の道しるべ 12
「愛を生活の中心に据える」
Blessed Lifeより


コロッケって、意外にいい歌を歌いますよね。
「人間って何だろう?」という歌もあるんですね。

いつも一緒にいる人が「神様」
真のお父様は、素晴らしい真理を解き明かしてくださいました。
そして、それを完成させたのは、
真のお母様ゆえでしょう。

私たちも、夫婦を「神様」だと常に思えればいいのですが、
そう思えない時もあったりして。。。

ブログは夫婦で作っているので、
この文章は妻に見られていますが、
やはり、神様、だと思えないのは、
自分自身の傲慢さのゆえであると思い、
謙虚に悔い改めないといけないですね。

真の愛を実践し、勝利し、それを
私たちに示してくださる父母様に
心から感謝して、
「夫婦一体」を目指していきたいです。








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2020年09月11日

許せないことがあったとき──どうしたら霊界で引っかからないか?! 《金元弼先生》



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「先祖解放の基点は私」
金元弼(キム ウォンピル)先生のみ言です。


皆さん、私たちの先祖には、色々悪いことをした人がたくさんいます。
良いことをした人もたくさんいます。
良いことをしたり、悪いことをしたり、
いろんな先祖たちがいるのです。

神の苦しい心情を、神が周りの人々を通じて
知らせようとした時に、彼らは全部
自己を中心として解決しようとしたので、
全部霊界にいって引っかかっているというのです。

その恨みを私たちを通じて解放していかなければならない
とするならば、昔あったそういうことが、
私たちの現世の中にあって、再現されてくるというのです。

ですから、そういう苦しい、死にたい、忍び難い、
理解し難い、許し難い、こういうことが
私の周りに起こった場合は、
まず何を考えなければならないのですか。

先祖の霊たちが、このような境地にあって
全部、自己中心に解決をしたから、
全部引っかかっているのです。

ですから再現された現実に対して、
私たちが「ああ、神様はどうだったのでしょうか」
というような心情で解決し、勝利したとするならば、
私たちによってその先祖たちの恨みが
全部解かれていくというのです。

私の周囲にそういうことが起こった場合、
その人と私との間において起こった次元として考えないのです。

私の先祖はこういうことがあった時に、
自分を中心として耐えきれずに、
勝利しえないで霊界に行ったから、
引っかかっているんだなあ、と考えるのです。

そして、私だけは私を中心としないで、
神を中心として、メシヤを中心として、
こういう問題に対していくのです。

このようにして勝利したならば、勝利した私によって
先祖たちの恨みが解放されていくのです。
そういうことが分かりますか。

(「悔い改めは出発の時と同じ」 
一九七五年十一月二日川崎・楚麗邑)



このみ言が語られたのは、1975年ですので、
清平の摂理がなかった時代です。

私たちが祝福家庭として責任を果たしていれば、
先祖も解放される立場でした。
しかし、果たすことができなかったので、
お父様は、新たな摂理を始めざるを得ませんでした。

ですから、原理講論(復活論)にはない、
清平摂理が出発しました。

『原理にはないから、清平はおかしい、間違っている』
のではなく、私たちが責任を果たせなかったので、
本来なかった摂理を、
父母様が立ててくださったのです。

また、元弼先生が語られた内容は、
清平摂理が行われている今だとしても、
本来の私たちが目指すべき歩みです。

私に足りないもの、課題があるなら、
それは先祖から来ているものかもしれません。

そういう時ほど、神様に感謝して、
私が乗り越えることが先祖の救いにつながる、
そう思って歩んでいきたいと思うのです。






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2020年09月10日

突然怒鳴り出したお客さんに、感謝して対応できた日 《自己牧会プログラム》



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毎回好評の、自己牧会プログラムの証し。
今回は、『私を怒鳴る人の心に寄り添う』です。


コンビニで働き始めて7年になります。
 
接客にはマニュアルがあり、それに従って応対すれば
大抵のことは何とかなるのですが、
時にそのとおりにいかないこともあります。

お客さまには一人一人、そのかたの考え方、常識があるので、
こちらがそれに沿わないことをすると、
怒りやクレームとして返ってくるのです。

そういう場合は、「自覚を取り戻す」ワークをして、
意識を「今ここに」置き、
「今のこの状況を正しく見させてください。
心の目で見させてください」と祈りながら対応しています。

ある時、60代くらいの男性がコンビニ決済の手続きに来られました。
処理をして、控えの用紙をお渡ししたところ、
そのかたが突然、怒り出したのです。

よくよく聞いてみると、そのお客さまは、
用紙を小さく折りたたんで渡してほしかったようです。

「そんなこともできないのか。
ちゃんと習わなかったのか!」と、
ものすごい剣幕で怒鳴られてしまいました。

7年働いて、これほどに怒鳴られるのは滅多にないことなので、
こちらも一瞬、頭が真っ白になりました。

それでも必死に「自覚を取り戻す」ワークをして、
意識を「今ここに」置くように努めました。

気持ちが落ち着いてくると、不思議と
そのお客さまの気持ちに寄り添えるようになりました。

「このかたも、何か思いどおりにいかないことがあって、
いっぱいいっぱいなのかもしれない」

そのように考えたら、このかたのために
何でもしてさしあげたいという気持ちになり、
「気が付かず失礼しました」と、心から謝ることができたのです。

すると、そのお客さまもすぐに機嫌が直り、
何事もなかったように帰っていかれました。

その後ろ姿に、「どうぞ、きょう一日、幸せでありますように」
と祈りながら、光を送りました。

接客の仕事は、いろいろなケースに臨機応変に対応することが要求されます。
「自覚を取り戻す」ワークで守られることがたびたびあり、
ワークの恩恵を感じています。

(女性 40代)

私の心の中にいる神様 33
私を怒鳴る人の心に寄り添う


ちょっとしたことかもしれませんが、
日常生活においてのささいな出来事が、
一日を左右してしまうような、
そんな状況になったりしますよね。

やはり、「自覚を取り戻す」ワーク。
自分の良心を目覚めさせることで、
「私の神様」が私のために働いてくださるのです。

何かあったときに、
良心の声を求める
『善なるくせ』をつけていきたいですね。






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  「私の心の中にいる神様」シリーズ

良心との対話で、ワクワク感が止まらない!

真の父母様が、「第二の神様」であると言われた“良心”。
自分の心の中にいる神様―良心―と対話(瞑想、祈り)することによって、
自己中心的な思いに囚われていたことに気付き、
本然の自分を取り戻していくことができます。

そんな真の父母様のみ言と解説、それに基づいた
実践(ワーク)を軸に展開されている自己牧会プログラムの中で
多くのかたが感じた体験をお届けします。

(Blessed Lifeより)


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