2020年09月29日

塩の味を失わない信仰者となるために 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李ヨハネ(イ ヨハン)先生のみ言、
「信仰・希望・愛の路程」より
『神学校にいる間にしなければならないこと』を紹介します。


皆さんが神学校にいる期間を、塩を作る過程に例えるなら、
海の水を集めて水分(堕落性)を蒸発させ、
塩辛い塩の塊(本性)を作る期間だということができます。

ですから皆さんの感情がロゴスの心情と化し、
み言の意欲を持って自分の感情を
よく誘発できる人にならなければなりません。

堕落性はすべて取り除き、
心情にしみ込んでみ言の心情だけを
誘発することのできる人にならなければなりません。

 
神学校にいる間、涙ぐましい悔い改めをしなければなりません。

希望の力と愛の心を持ち、
そして神学校と関係を持ったことを貴重に思って、
講義時間のたびに慕わしさを持って
会うことができなければなりません。

本当に慕わしさの実体、心情の塊になり、
どんな状況の中に追いこまれても、
塩辛さを持って征服していく愛のメシヤ、
贖罪させるメシヤにならなければならないのです。

そして父母の心を持って、
僕の生活を実践することができなければなりません。

そのような人になるための教育期間が
神学校にいる期間だということを、
皆さんはよく知っているはずです。

 
このような路程を準備できないで卒業すれば、
この世に俗化されてしまいます。

こうなると哀れです。
神学校の課程を踏んで教会を任されたら、
塩辛さを出さなければならないのに、
塩辛くなれないなら、その指導者は哀れです。

 
今朝、このような考えがなぜ浮かんだのかといえば、
イエス様の路程を通してです。

イエス様は主従関係の立場を徹底して持ったかたとして、
対象のために多くの涙を流し、哀れみを施しましたが、
行き過ぎた心霊役事のために、彼らが受け止めることができず、
「悪霊につかれた者」「ペルゼブルに触れた者」
という烙印を押されてしまいました。

ですから先生は、イエス様はもっと知恵深く
しなければならなかったのだと言われました。

 
相手を塩辛さで染めなければならないのに、奇跡を行ったがために、
弟子たちは自分のことはそのままほうっておいて、
イエス様が出世されることだけを願いました。

彼らは愛の味、塩の味に染まりませんでした。

ですから、主が十字架で亡くなられるようになったとき、
みんな逃げてしまう結果になってしまったのです。
結局は、父母の心情が子供たちにうまく教育されなかったのだということができます。


李耀翰 
「生活の中の心情復活」
 (『信仰と生活 第3集・私の神様』を改題) 

信仰・希望・愛の路程  
一九八五年十月二十九日(火)統一神学校
この説教はチャペルの時間に語られたもの


『相手を塩辛さで染める』
とてもいい言葉ですね。

イエス様が起こされた奇跡信仰ですが、
結果的には、現象だけを求めた弟子たちが、
塩の味に染まらなかったことを考えると、
私たちも参考にすべきことか、と思います。

真の父母様の心情に通じていないと、
環境に流されてしまったり、
お母様のみ言を不信してしまったり、
という風になってしまいます。

私自身においても、
問われる内容か、と思います。
やはり、孝情の心情で、
真の父母様と完全心情一致していきたいと思います。







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posted by ten1ko2 at 08:20 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする