2020年10月30日

お父様に、「キスしなさい!」と言われたら?! *6500双10年目、ジャルジンで



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☆6500双の祝福式☆


6500双祝福32周年、おめでとうございます!

今回は、6500双の方の証しを紹介します。
以前、松戸教会に来られて講話をしてくださいましたが、
そのうちの一部です。

真のお父様にまつわる心に残る証しです。


南米ジャルジンの修練会に夫婦で参加をしました。
第3回目の修練会で、もの凄く人数が多かったのです。

妻と相談して、「明日は、前の方に座ろう」
ということになり、
朝の3時におきて、
前から3番目に座ることが出来ました。

お父様のみ言が始まります。
お父様が、
「この中で夫婦で来ている者、手を挙げて」
もちろん、基本的にジャルジンは
夫婦で参加するわけですから、
ほとんどの人が手を挙げるわけです。

ふと、お父様は私たち夫婦の前に近づきました。
そして、突然両手を出して、頭をつかみました。
そのあと、「キスをしなさい」
と言われて、キスをしたのです。

この時、本当に解放されたんです。
それは、キスをしたことが良かったというのではなく、
隠されたエピソードがありました。


6500双の祝福のとき、
お父様に初めてお会いした喜びがあり、
そして、貴いみ言を受けたにも関わらず、
疲れて眠くなってしまいました。
実は、妻も同じでした。

ふと、何か全体が盛り上がっている、
騒がしい雰囲気に気づきました。

一体何があったのか、
そう思って、周囲に尋ねてみると、
お父様がカップル全員に、
キスをするように言われたのです。

それを聞いて、とても悔やみました。
それは、「妻にキスが出来なかった」ということではなくて、
初めてお父様にお会いして、
初めてお父様から指示されたみ言を成就できなかった、
そのことがお父様に申し訳ない・・・
心から申し訳ないと思ったのです。

その思いを10年間持ち続けていました。

そして、ジャルジンでのお父様との出会いがあったのです。

文責:ten1ko2


お父様が6500双の時に、
「キスをしなさい」と語られたのは、有名な逸話ですよね。

まさか、こんなところで、
10年間負債に思っていたことを
成就できるなんて、考えもしなかったことでしょう。

ずっと負債に思っていた、というのですから、
お父様はご夫婦のところに来たときに、
当然、何か感じられたのだと思います。

また、朝の3時から起きて、前の席を取った
その精誠もよく理解されたに違いありません。

今は、実体のお父様はおられませんが、
真のお母様がおられます。

私たちの過去の負債や、勝利できなかったことを
親として、清算する道を与えてくださっているのだな、
そのように感じさせていただきました。





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  お父様のみ言

神様が人間を堕落のなかった世界に
回復させるということは必然的なことです。

神様は、堕落のなかった完成したアダム世界のために、
すべての怨讐を収拾しなければなりません。
そこには怨讐がありません。
すべてが兄弟であり、
一つの家庭であるという概念しかありません。
のみ込むのです。

パンタナールの魚世界では、
大きいものが小さいものをのみ込んでしまいます。
そこに何かの汚いものがあろうとなかろうと関係なく、
すべてのみ込むのです。
内臓の糞だろうと何だろうと
丸ごとのみ込んでしまうのです。


環太平洋摂理 より



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2020年10月29日

私が、真の父母様の言うことを、親より優先するのはどうしてか?! 《金元弼先生》



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1976年に、日本で語られた
金元弼(キム・ウォンピル)先生のみ言
「神を慰める者となりましょう」より、
『愛は生命の根源』です。


歌のことを話しましたが、私たち自身も同じなのです。

私たちは先生を非常に尊敬し、愛し、お慕い申し上げています。
自分の実の親の言葉と先生のみ言が対立する場合、
私はどの言葉についていくかということがあります。

それを自分に当てはめて考えてみますと、
私は自分の実の親よりも先生の言葉についていくと考えます。
なぜそうなったのでしょうか。

それは、実の親が愛するよりも、
もっと高い次元で先生は私を愛してくださるからです。


愛はすべての存在の生命の根源です。
ですから、どういう存在であっても、
サタンであっても、一番大事なものは愛です。
それは生命の根源です。

ですから神がサタン圏の人を神の圏に移行させるためには、
話だけではだめなのです。
サタンがサタン圏内にいる人を愛する以上に神が愛すると、
サタン圏内にいた人はサタンの人ではなくなります。

その人をサタンが愛する以上に愛するとするならば、
愛はすべての存在の生命の根源ですから、
その愛にすべてのものはついていくというのです。

ですから我々がサタンの圏内から神の圏内に行くのは、
より高い愛を見付けたからです。


その歌も、その人が神の心情を愛して歌を作り、
歌って神を賛美し慕うのです。
ですから先生は、その人が神を愛する以上の愛をもって、
またその歌を愛して歌われるのです。

そうするとその歌はその人が作った歌ですけれども、
その歌の主人は誰になりますか。
作った人以上にその歌を愛した人が、その歌の主人になるというのです。

 
我々の実の親が我々を愛する以上の愛で、
私たちを愛する人がいるとするならば、我々は誰のものになりますか。

それは、私自身の親、実の親ではないのですけれども、
私を実の親以上に愛してくれる人のものになるのです。

そういうことなので人類の誰よりも神を愛する人がいるとするならば、
その人こそ神に愛される人になるというのです。
中心になれるのです。

では教会の主人は誰がなるのでしょうか。
本来ならば、誰よりも教会を愛する人がいるとするならば、
その人が教会の主人になるというのです。

 
ここに宝物があって、私がこの宝物を持っているとしましょう。
そうするとこの宝物を私は愛します。

貴重なので、誰にも言わないで、見ることのできない
奥深い所にこれを保管して、私だけが見たいと思うのです。

私はこういう考えですが、この私の宝物を私以上に貴重にし、
大切にする人がいるとするならば、
この宝物はどこに行くでしょうか。

きっと私は、私以上に大事にしてくれる人があって、
それを私が知った時、この宝物を
その人にあげなければ気が済まないようになるでしょう。


そのことが理解できますか。

あなた方が大事にしている万年筆があるとしましょう。
それは何かのお祝いの贈り物として、誰かからもらったとします。
だからそれを大切にするのです。

ところが傍らにいる人が、私が大事にする以上に、
この万年筆を大切にするとします。
この万年筆を一日使わなければ、あるいは触れなくては
気がすまない、といって大切にしてくれるのです。

これが一日だけではなく、一年も何年もかけて
大切にしてくれるとするならば、
その人にその万年筆をあげざるを得ないというのです。

『伝統の源流−主と歩んだ教会創立以前の道』
金元弼
(「神を慰める者となりましょう」 
一九七六年四月四日東京教会)
※本書は、『信仰と生活第二集伝統の生活化』
を改題したもの


『作った人以上にその歌を愛した人が、
その歌の主人になるというのです』
なるほど、本当にそうですね。

私たちは、真の父母様の愛を受けた者たちです。
実の親以上に私たちを愛して下さっている。。。
そのことを実感しているので、
どんな困難、試練にも耐え抜いてきたのではないでしょうか。

クリスチャンたちも2000年前に来られたイエス様に対して、
「私のことを親以上に愛してくださっている」
そう確信しているので、今もなお変わらずに
信仰を継続しているのだと思います。

イエス様の愛、同じレベルで愛してくださっている
真の父母様を正しく述べ伝えて、
一人でも多くの人に、真の父母様の正しい姿を、
知って頂きたいと思うのです。





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2020年10月28日

「顔は人のためにある」 マスクの弊害をこんな工夫で 《橘先生》



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橘先生のコラム、
今回は、「表情が見えないので…」です。


マスク着用が日常となって既に半年以上。
その影響が思わぬ所から報告されています。

保育所では、保育士の表情が見えにくいため、
子供との意思疎通がうまくいかず、
その結果乳幼児の様子に変化が出ている、
という内容の記事が地元紙に載りました。

食事の進みが悪くなったり、問い掛けへの反応が
鈍くなったりする事例が発生しているというのです。

幼い子ほど表情を通じたコミュニケーションが大事だそうで、
それが十分でないと子供の発達に大きな影響を与えかねない、
と専門家は言っています。

感染予防か健全な発達促進か、現場はジレンマを抱え、
保護者の意見も分かれているとのこと。

幼少期に情の啓発が十分にできなかったら、
先の世代の情が薄くなってしまうかもしれません
(既に薄くなってきていると感じている人もいます)。

今年度、新入生や新社会人になった人たちは、
いろいろな意味で気の毒だと感じています。

新しい同僚やクラスメートとは初対面からずっとマスク着用ですので、
相手の顔を十分に見ることができません。

学生ならば、昼食時や体操の時間に
「あ、こんな顔なんだ」と辛うじて分かるくらいでしょう。

かく言う私も、新しく入塾してきた子たちとは、
お互いマスク顔しか見ないままきました。
たまたま水分補給にマスクを外すところを見て、
「あら、そんな顔だったのね」という感じです。

そして、マスクの下の部分を想像して抱いていたイメージと
実際の顔のギャップに驚きます。
印象が本当に違うのです。

反対に生徒からも
「先生ってそういう顔だったんだ」と言われました。

生徒の顔認識と記憶を、頭の中で書き換える作業に、
元々顔や名前を覚えるのが苦手な私は苦戦しています。

先月、生徒用の机の3方がアクリル板で仕切られ、
講師にはマウスシールド(透明なアクリル製のマスク)が支給されました。
そのせいもあってか、生徒がよく質問してくるようになり、
その変化に驚きました。

そんな時に上記の記事を読んだのです。

マスクを着けてニコッとしても、単に
目を細めているようにしか見えないかもしれません
(遅まきながら鏡を見て確認しました)。

今年の3年生はおとなしい子が多いな、
とやや寂しく感じていましたが、
どんな人かよく分からない、という
無意識下の隔たりがあったのかもしれません。

そんなことを思っていたら、テレビドラマで、
マスクを着けた会社員が互いに
「初めまして」とあいさつを交わす時、
一瞬マスクを下げて顔を見せ合っていたのがとても印象的でした。

ああ、こういうふうにすればよかったのか、と今更ながら知った私です。
やっぱり顔は相手のためにあるのですね。

コロナ禍でのより良いコミュニケーションを工夫していかなければ、
その影響が後々出てくるかもしれません。
情緒を育むこと、心の問題は後回しにはできませんね。

夫婦愛を育む 136
表情が見えないので…
ナビゲーター:橘 幸世


「顔は人のためにある」
本当にそうですよね。

コロナ事態を通じて、
人との接触ができない状態なので、
握手やハグなどのスキンシップもできないですし、
にっこり笑ったつもりでも、
マスクをしていると伝わりません。

「ために生きる」ということが、
簡単にはできないような状況になっています。

しかし、日常生活のささいなことも
一つ一つの物事に対して、
見方を変えればどうでしょうか。

確かにちょっとマスクを外して笑顔で
会釈をするくらいは問題なさそうです。

真のお母様が、物理的にどんな大きな会場でも
集まることのできない世界中の人たちを、一度に
オンラインで大会に参加するようにしてくださったように、
ピンチをチャンスに変えることもできると思うのです。





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