2020年10月28日

「顔は人のためにある」 マスクの弊害をこんな工夫で 《橘先生》



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橘先生のコラム、
今回は、「表情が見えないので…」です。


マスク着用が日常となって既に半年以上。
その影響が思わぬ所から報告されています。

保育所では、保育士の表情が見えにくいため、
子供との意思疎通がうまくいかず、
その結果乳幼児の様子に変化が出ている、
という内容の記事が地元紙に載りました。

食事の進みが悪くなったり、問い掛けへの反応が
鈍くなったりする事例が発生しているというのです。

幼い子ほど表情を通じたコミュニケーションが大事だそうで、
それが十分でないと子供の発達に大きな影響を与えかねない、
と専門家は言っています。

感染予防か健全な発達促進か、現場はジレンマを抱え、
保護者の意見も分かれているとのこと。

幼少期に情の啓発が十分にできなかったら、
先の世代の情が薄くなってしまうかもしれません
(既に薄くなってきていると感じている人もいます)。

今年度、新入生や新社会人になった人たちは、
いろいろな意味で気の毒だと感じています。

新しい同僚やクラスメートとは初対面からずっとマスク着用ですので、
相手の顔を十分に見ることができません。

学生ならば、昼食時や体操の時間に
「あ、こんな顔なんだ」と辛うじて分かるくらいでしょう。

かく言う私も、新しく入塾してきた子たちとは、
お互いマスク顔しか見ないままきました。
たまたま水分補給にマスクを外すところを見て、
「あら、そんな顔だったのね」という感じです。

そして、マスクの下の部分を想像して抱いていたイメージと
実際の顔のギャップに驚きます。
印象が本当に違うのです。

反対に生徒からも
「先生ってそういう顔だったんだ」と言われました。

生徒の顔認識と記憶を、頭の中で書き換える作業に、
元々顔や名前を覚えるのが苦手な私は苦戦しています。

先月、生徒用の机の3方がアクリル板で仕切られ、
講師にはマウスシールド(透明なアクリル製のマスク)が支給されました。
そのせいもあってか、生徒がよく質問してくるようになり、
その変化に驚きました。

そんな時に上記の記事を読んだのです。

マスクを着けてニコッとしても、単に
目を細めているようにしか見えないかもしれません
(遅まきながら鏡を見て確認しました)。

今年の3年生はおとなしい子が多いな、
とやや寂しく感じていましたが、
どんな人かよく分からない、という
無意識下の隔たりがあったのかもしれません。

そんなことを思っていたら、テレビドラマで、
マスクを着けた会社員が互いに
「初めまして」とあいさつを交わす時、
一瞬マスクを下げて顔を見せ合っていたのがとても印象的でした。

ああ、こういうふうにすればよかったのか、と今更ながら知った私です。
やっぱり顔は相手のためにあるのですね。

コロナ禍でのより良いコミュニケーションを工夫していかなければ、
その影響が後々出てくるかもしれません。
情緒を育むこと、心の問題は後回しにはできませんね。

夫婦愛を育む 136
表情が見えないので…
ナビゲーター:橘 幸世


「顔は人のためにある」
本当にそうですよね。

コロナ事態を通じて、
人との接触ができない状態なので、
握手やハグなどのスキンシップもできないですし、
にっこり笑ったつもりでも、
マスクをしていると伝わりません。

「ために生きる」ということが、
簡単にはできないような状況になっています。

しかし、日常生活のささいなことも
一つ一つの物事に対して、
見方を変えればどうでしょうか。

確かにちょっとマスクを外して笑顔で
会釈をするくらいは問題なさそうです。

真のお母様が、物理的にどんな大きな会場でも
集まることのできない世界中の人たちを、一度に
オンラインで大会に参加するようにしてくださったように、
ピンチをチャンスに変えることもできると思うのです。





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2020年10月27日

1973年の日本へのみ言とお手紙 「軍隊」・10日に一度は〇〇をしなさい 《小山田先生》



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小山田秀生先生の自叙伝より、
『日本の行くべき道とは、〜10日に一度ずつ、
親、兄弟に手紙を出しなさい〜』の一部抜粋です。


(1973年)7月8日、旧松濤本部でお父様は
「一心不乱 一生懸命」と題してみ言を語られています。

日本は国難を乗り越えるために岐路に立たされていると指摘されながら、
5万人の核心要員と50万人の賛同会員の、
数的な伝道基盤の必要性を強調なさいました。

お父様はそのみ言の中で、日露戦争で活躍した
乃木希典・旧陸軍大将の話をよくされました。

乃木大将は、ロシアとの激しい戦闘の中で
2人の息子を失いながらも、後退することなく、
数多くの日本の青年たちに攻撃命令を下し、
国のために死を覚悟して突き進んでいった愛国者です。


お父様は、日本が直面する危機に言及されながら、
次のように語られました。


「世界的に恐ろしい軍隊があるとしたら、
恐ろしいほど訓練された軍隊です。
素晴らしい軍隊があるとしたら、
素晴らしいほど訓練された軍隊です。
それ以外にありません。

…訓練が必要です。
でたらめな訓練ではありません。
計画的であり、科学的であり、理論的であり、
実践的な計画の訓練が必要です」



そして、

「10日に一度ずつ自分の親、兄弟に手紙を出しなさい。
 君たちが社会に向けて活動する3分の1の
 努力があったら、氏族復帰は可能です。

 天国づくりは氏族基台を中心として、
 それから社会につながる12弟子と72門徒です。
 それがなければ、社会を率いることはできません」


と、氏族伝道について強調されています。


1973年3月13日、お父様はアメリカから
日本の食口たちに励ましの手紙を下さいました。


「皆様! 強く正しく、また、雄々しく励んでください。
 …数千年間に無き一時たる今の二年は、
 我らはもちろん、人類の運命が掛かっています。
 各自が責任分担を果たすように願います…」



このように日本における伝道の推進を期待し、
励ましてくださいました。

小山田先生の自叙伝
真の父母様の御跡を慕って 7

乃木大将についてのみ言
「日本の行くべき道とは、〜10日に一度ずつ、
親、兄弟に手紙を出しなさい〜」


私は献身する前、勤労青年として、
証券会社の営業マンをした時期がありますが、
ちょうど支店の目の前に乃木邸がありました。

乃木神社や、乃木邸を独りで巡り、
よくお祈りしていました。

この邸宅で明治天皇が崩御された時、
ご夫婦で自害されたのでした。

「お国のため、天皇陛下のため」
そんな崇高な精神を持っていた乃木大将。
私たちも学ぶべきところが多いでしょう。

また、お父様の「軍隊」に関するみ言、
10日に一度、親に手紙を書くように語られたみ言、
どちらも胸に刻むべきみ言ですね。




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2020年10月26日

「息子が勉強しなくてもよい」全てあるがまま、受け入れてみると 《自牧プログラム》



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自己牧会プログラムの証し。
今回は、「全てを受け入れて良しとする」です。


子供たちの春休み期間のことです。

ある夜、ゆっくりする時間があり、子供たちと一緒に風呂に入りました。
布団も敷いてあとは寝るだけ、明日の準備でもしようと、
かがんでカバンを開けていたら、
後ろから娘(11歳)が「パパ−」と言いながら抱きついてきました。

少しびっくりして立ち上がった拍子に、
観葉植物の鉢(プラスチック)に頭をぶつけてしまいました。
痛かったものの、それだけならまだよかったのですが、
その鉢が落ちてきて、
開いていたカバンの中に砂がザーッと入ってしまったのです。

それまでのゆったりした気分はどこへやら、
途端にイライラしてきました。
しぶしぶ砂を片付けていると、妻と、
高校進学を控えた息子の会話が耳に入ってきました。

聞くともなしに聞いていると、妻が、
高校から配られたパンフレットを見ながら、
「学校推薦の電子辞書があるんだね。36000円かあ」
と言っているのが聞こえてきました。

私は、「えっ、36000円?」と反応してしまい、
思わず息子に「何年か前に買った電子辞書、あるよね。
あれ使ってないんじゃないの?」と聞いていました。

すると息子が、
「あれ、古いし、電池入ってないもん」と言うのです。

私のイライラはピークに達し、
「電池くらい自分で入れたらいいじゃないか」と
きつい口調で言い放ってしまいました。

さらにそれでは収まらず、「春休みは自主学習の時間だろう?
ちゃんと計画を立てて予習、復習やってるの?」などと、
電子辞書とは関係ない話をたっぷり5分間、
息子にぶつけてしまったのです。
 
その後、息子は何とも言えない表情で寝てしまいました。


翌日、教会で「自己牧会プログラム」について学ぶ機会がありました。

「全てを受け入れて良しとしたら、どんな感じがするんだろう」
とイメージし、「全てを受け入れて否定するものがなくなったら、
平和な世界、一つの世界が見えてきます」というふうに導かれました。

この言葉が、私の心深くにしみ通っていきました。

そこで、「頭を鉢にぶつけてもよい。
かばんに砂が入ってもよい。
電子辞書が高額でもよい。
息子が勉強しなくてもよい」と言いながら、
全てを受け入れる努力をしてみました。

すると、「息子は自分のペースで勉強しているよ」
という良心の答えを感じたのです。
そうだな、彼は彼のペースでやっているなと思えてきました。

平安な気持ちで帰宅し、息子に
「昨日はすまなかったね。電子辞書、欲しいの?」と聞いてみました。
「うん、欲しい!」
「じゃあ買ってあげるね」

すると息子はニコーっとして、目を輝かせました。
口角が上がってのぞいた白い歯を見ながら、かわいいなあと感じました。

息子は、「僕、勉強頑張る!」と言って、
実際、その夜は12時くらいまで勉強していました。

全てを受け入れて良しとしていくと、
親子の心がつながって平安な世界が見えてきました。
こういう体験を積み重ねていきたいと思います。

(男性 40代)

全てを受け入れて良しとする
blessed lifeより


日常の何気ない証しですが、
心がほのぼのしてきます。

うちの上の子たちも、こんな頃があったなぁと、
懐かしい気持ちになりました。

ちなみにうちの末の子は、
本当に勉強をしませんが、
なのでそれを考えただけでストレスです。

気持ちがなんだか収まらない時、
ムラムラとした思いが湧くとき、
一度立ち止まって、自分自身を見つめ直す、
とても重要なことだと思います。

日常生活の積み重ねが、
未来の生活環境に影響を与えます。

いつも自分の「本心(良心)」に問いかけながら、
本心の願うとおりに歩んでいきたいです。





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