2020年10月25日

(証し)ただ者ではない! お父様を「おう」と言わせた男 《梶栗会長》



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故・梶栗会長の説教より
真のお父様に初めて会われた時の
伝説的なエピソードなど、若き日の証しです。


私は北九州の筑豊炭田に生まれました。
筑豊炭田は「炭坑節」とか「青春の門」の映画などで有名です。
とてもエネルギッシュな所です。

相撲取りの魁皇関、俳優の高倉健は隣の村です。
小さいときには、よく集団でけんかをしていました。
強かったです。
亡くなった野球のオリックスの仰木彬監督は同じ高校の出身です。

筑豊炭田の真ん中を南から北へ遠賀川が貫いています。
その流域で生まれた人を「川筋の男」と言いますが、
私はその川筋の男です。
有名人ややくざなど、いろいろな頭領たちが出た所です。


高校時代に空手をやっていたのですが、
柔道の三船久蔵十段にお会いしました。
空気投げの演武を見せてくれました。

「質問がないか」と言うので、私は手を挙げて
「武道とは、何ぞや」と聞きました。
偉い人に聞くのが一番早いのです。
「武道とは、真理を体得することである」ときっぱり答えました。


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大学時代


次に会ったのがビリー・グラハムで、彼のクルセードに毎回参加しました。
何か引かれていったのです。
「間もなく偉い人が地上に来る」と言うのです。

そのあとに原理を聞いたので、原理がスムーズに入りました。


私は最初、「終末論」から聞きました。
三本線を引いて、アブラハム、イエス、再臨主と黒板に書きますが、
私は「再臨主が来たんだ」とピンと来ました。
この方のことを説明するために、これからの理論があるのだなと思いました。

「復帰原理」は泣きながら聞きました。
神様に会えたのです。

講義が終わって下北沢の教会で
西川勝先生(崔奉春宣教師)とお会いしました。
やせこけた人でした。

「再臨のキリストって、こんなにやせているのかな」。
しかし、やせてはいるが、威厳があるのです。
「やっぱり違うな」。


もうその夜から教会に泊まったのですが、
祈祷したときに、火の玉がバーンと体に入ってきて、
ぐるぐると回って、腸がきれいに整理されて、
下からさっと出て行きました。

何だろうと思いました。
これが火の聖霊ではないか。

「わたしのあとから来る人は、……聖霊と火とによって
バプテスマをお授けになる」と聖書にあります。
火の玉がバッと来て、きれいな体になり、
清められた感じがしました。

明くる朝になったら、目が開けて、
見るものすべてがきれいに見えました。
特に自然がきれいなのです。
不思議だなと思いました。

ところが、電車に乗って人間を見たら、
霊眼が開けたのでしょう、悪霊がうようよいるのです。
全部見えました。
人の霊人体が汚いのです。

この霊を救うことほど、大きな仕事はないと思いました。
私は建設の仕事をしていましたが、
それよりも霊を救う仕事のほうが意義が深い。
建物はだれでもできるが、これは気がついた者にしかできないから、
私はこっちの道を行こう。
そうして、建設会社を捨ててしまったのです。


初めて「メシヤ論」を聞いたときのことです。
弟子がみな裏切ります。
ペテロも裏切って、外に出て行って激しく泣いた、
と聞いて、私はわんわん泣きました。

男は泣くものではないという思いはありましたが、
人間の弱さに「この野郎!」と、悔しくて泣いたのです。

「自分がイエスのそばにいたら、絶対に裏切らない」
と心で叫んだのです。

そうしたら「今がその時だ」という声が聞こえたのです。
「時が来た」。
これは避けることができません。
私は従わざるを得なくなりました。


お父様が最初に来られた時、私は霊眼が開けた状態で、
お父様にお会いしました。
私は霊界と共にあったから、再臨主に会った
ということに確信を持っていました。

東京・渋谷の南平台の本部で、
たまたまお父様と二人きりで出会いました。
にこっと笑って私に近づいてこられ、握手してくださいました。

「君、先生をどう思うか」
「先生は再臨主です」
「おお、再臨主か」。

遠くを見つめながら、何か思いにふけっておられました。
そのころはみんなが「大先生」とお呼びしていたのです。
一人も再臨主とかメシヤとか言っていないころです。
私は霊的に見たので、率直にそうお答えしました。

世界平和統一家庭連合 公式説教ブログ
統一教会 第12代会長
 梶栗玄太郎
 <2010 夏季 牧会者説教集 P.31~37>
「真の父母様の軸に合った人間になろう」
(タイトルは編集者がつけました。文責・編集者)


導かれる前からの路程を聞いても、
梶栗先生には、大物の風格を感じます。

どのような形で伝道されたのか、
具体的ないきさつも興味深いところですね。
(以前紹介していますので こちら をどうぞ)

み言にもスパークされ、
再臨主が来ていることを確信された梶栗先生。
実際に南平台でお父様とお会いし、
お父様のことを「再臨主です」と、直接証しされました。

1963年頃のこと。
お父様は40代、梶栗先生は、まだ20代でした。

お父様の方から、梶栗先生のことを霊的に感じて
近づいて行かれたような気もします。

お父様の前でも物おじせず、
お父様が物思いにふけるような
そんな発言を初対面でしてのけた梶栗先生。
『この日本の国に梶栗が生まれた』と
きっと、お父様の記憶に強烈に残ったことでしょう。

まだ続きますので、お楽しみに。。。






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梶栗玄太郎(かじくり・げんたろう、1937〜2012)会長:
 世界基督教統一神霊協会(現・世界平和統一家庭連合)の第12代会長。
 日本統一教会の草創期から教会の基礎を築き、統一教会の要職を歴任。
 会長就任後は、日本統一教会の社会的評価や信頼を高めていくために
 教会の組織強化を図り、牧会者および信徒の信仰指導、
 後輩たちの育成のために尽力されました。
 2012年12月26日聖和。
 真の父母様より、「忠臣奉天」の称号を贈られています。


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あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
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2020年10月24日

苦痛をさけてばかりではいけない 「私の十字架」を正しく越える?! 《李ヨハネ先生》



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李ヨハネ先生のみ言。
今回は、「苦痛の中での『信従』」です。


きょうはイエス様のみ言の中で一番の至上命令として扱われている
「だれでもわたしについてきたいと思うなら、
自分を捨て、自分の十字架を負うて、私に従ってきなさい」
という聖句をもとに、
「苦痛の中での信従」という題目で考えてみようと思います。

「信従」の意味は信じて従うということですが、
苦痛における「従順」という言葉を使わずに、
信従という言葉を選んだのは、従順とは少し違って、
「信じて従う」という内容でお話ししようと思うからです。



自分の十字架を探したか

この一カ月間、私たちは苦痛という問題を考えながら、
信仰の道を正しく行くためには、
苦痛を正しく扱わなければならないことが分かりました。

苦労はしながらも、私たちの心霊があまり復活していなかったのは、
苦痛を私たちの生命の役事として感受できなかったためです。


私たちが受ける苦痛とは、
その中に神が私を呼ぶ声や啓示があるのです。
苦痛を通して訪ねてくる神のみ意を
正しく知らねばならないということです。

十字架は苦痛なのですが、苦痛は罪ゆえに来るのであり、
その罪は「私たちの」堕落性の発露の結果です。
堕落性のゆえに苦痛が来るようになるのです。

それは、初めに私たちの堕落性が神に苦痛を与えたからです。
私たちの堕落性ゆえにイエス様にも十字架を負わせ、
前後左右にいばらのやぶをつくってきたという事実を、
私たちはよく知っています


自分の十字架は自分が負いなさいと語られましたが、
私たちはどういう場合が自分の十字架であり、
堕落性が何であるのかを見分けられずに、
ろくろく成長してきませんでした。

自分たちの生活が正当だと思って生きてきましたが、
気がついてみると堕落性がそのまま残っていました。

カインは自分の考えが正しいと思っていましたが、
気がついてみると堕落性でした。
ハムもそうであり、イスラエル民族もそうでした。
自分たちが空腹の時、それを恨むことが正当だと思って恨みました。


このように今日まで、自分の十字架を正しく負うことができず、
天を悲しませてきた不信の歴史を考える時に、
私たちは果たして自分の十字架を正しく悟った自分だろうかと、
自ら問うてみないわけにはいきません。

私は、私の十字架を発見した私なのか、
「本然の私」と「堕落した私」を正しく分立できる自分なのか、
という自覚が要求されます。


ここで指摘せざるをえないことは、恵みを受けた人たちに
「自分」という堕落性がさらにあるということです。

聖霊を受けさえすれば生まれ変わると思ったのに、
聖霊を受けた人たちに堕落性がなお残っているということは、
どういうことでしょうか? 

信心深い律法学者や祭司長がイエス様を殺害し、
信心深い人が文先生を憎みます。

こういうことを見ると、信じるという人たちがもう一段階生まれ変われず、
白く塗った墓(マタイ二三・27)になっていると
イエス様がとがめられた意味が理解できます。


自分の苦痛と天の苦痛を負って従ってこない者は、
私にふさわしくない、すなわち自分の十字架と主の十字架を負って
従順に従ってこない者も私にふさわしくないというのです。

さらに、自分の両親や夫や妻や、自分の生命よりも
私を愛する者こそふさわしいというみ言は、
自分の苦痛を捨てて主の苦痛を負って、
従ってこない者は私にふさわしくないというみ言として、
肝に銘じなければなりません。


私たちは普通、苦痛を避けようとします。
苦痛が来なければいいと思います。
私たちは苦痛に出遭うと、蕩減を受けるのだと、恥ずかしく考えます。

しかし、苦痛はそれを正しく受け止めれば、祝福であり、神の愛です。
苦痛は神の秘密が伝わってくる通路です。


この苦痛をまず探し出さなければならないのですが、
私の苦痛が何かというと、それは善悪の闘いのことなのです。

すなわちみ言によって自分における苦痛を正しく見いだす人が、
真に自分の十字架を探し、つかむ人なのです。

それは、何が私の中で怨讐であり、
何が私の平和を妨げるのかを正しく見いだす人です。

 
(月刊『ファミリー』一九八二年十二月号掲載)


「聖霊を受けさえすれば生まれ変わると思ったのに、
聖霊を受けた人たちに堕落性がなお残っている」
今回、このみ言がとても印象的でした。

信仰とは、山を登るときと同じだな、と思わされます。
山を極めた時の感動、喜び、その背後には、
山を登るにあたっての苦労、苦痛というものがあります。

さらには、登った後に山を降りなければなりません。
堕落性を脱がないといけない、ということなのだ、
山を登って満足するだけではいけない、
それが、自分の十字架を背負う、ということなのかな、
そのように思いました。

そして、私たちは、「天の父母様を知っている」
「真の父母様を知っている」「祝福を受けた者たちだ」
そのような思いに留まっていることも、
「白く塗った墓になっている」
イエス様がかつて指摘した律法学者たちと
同じ立場になってしまうのではないか、
そのようにも思わされます。







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2020年10月23日

次期総長候補の優秀な後輩のために祈ったら・・・ 《UTS時代の神体験》



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神明(しんみょう)先生の「UTS時代の神体験」より
『UTS次期総長有力候補の兄弟のために尽くす』
を紹介します。


私はUTSの第1期生ですが、第2期生の中に
とても優秀な米国人の兄弟がいました。
彼とは、よく神学的なディスカッションをしたものです。

彼は私と同じ専門分野で、イェール大学で神学博士号を取得しました。
その後は、UTSに戻ってきて神学教授になり、
いずれはUTSのトップリーダーになることを期待されていたのです。

総長も彼に大いなる期待をかけておられたので、
彼は次期総長の有力候補でした。

実は、私自身は1984年に博士号を取得した後、
UTSに行くようにという真のお父様からの人事発令がありましたが、
以前、エッセーでも書いたように、
初めの頃、総長は私をUTSに受け入れてくださいませんでした。

それは、彼の存在があったためと考えられます。
私のような日本人よりも、彼のような優秀な米国人に
UTSに来てもらったほうが、
UTSにとってどれほど良いか分からないからです。

いよいよ彼が博士号を取得し、今後の身の振り方を
総長と話し合うために、UTSを訪問してきました。

その頃までに、私は僕の僕として下から仕えることによって、
総長からは絶大なる信頼を受けるようになっていました。

しかし、やはり総長としては、彼こそ
将来のUTSの最高の有望株だと考えておられたのです。
そして、その旨をそのとき彼に伝えられました。

それを知った私としては、正直言って気分は良くはありませんでした。
男同士の闘いというか、競争というか、そういうものがあって、
後から来た者がこの自分の上にのし上がることに
良い気持ちはしなかったのです。

しかし、私はそのときに祈りました。

「神様、UTSはあなたの神学校です。
しかも米国にある神学校なので、やはり
優秀な米国人がトップのリーダーになるべきでしょう。
ですから、どうか彼が将来、りっぱな総長になれるように、
本当に助けてあげることのできる者とならせてください」と。

ところが、ふたを開けてみると、
彼は条件に不服だったせいか、UTSに来るのを躊躇したのです。

最初からアカデミックのトップである
学術部長(アカデミック・ディーン)の位置を与えられることを期待したのに、
その補佐の位置から始めよと言われたそうなのです。

そのとき私は、すでに
彼の下に回って彼を助けてあげると決意をしていたので、
彼のことを心配しました。
彼がUTSに来るのを躊躇していることを、
自分の出世の絶好の機会だと思うような邪念は一切ありませんでした。

彼を優秀な兄弟として
本当に愛してあげたいという思いでいっぱいでした。

それで、私は彼を近くのレストランに誘ってごちそうしてあげて、
たとえ学術部長の補佐の立場から始めたとしても、
必ず将来は神様が君をトップとして大きく用いてくださる時が来るから、
今のその条件をのみ込んでUTSにぜひ来てくれ、と訴えました。

そして、この自分も必ずサポートするから、とも付け加えました。

彼としては、私に対して「実にありがたい」とは言ってくれましたが、
やはり最終的にはUTSには来ないことになりました。

彼とは今でも交流していますが、
彼はその後、神学を捨てて生物学に転向し、
生物学博士号を取得して、ダーウィンの進化論を論破するための、
ある有名なグループのプロジェクトで頑張っています。

このように一人の兄弟のために仕えて愛してあげようという
気持ちになれたのも、神様が
そういう思いにさせてくださったからであると感じます。
そうでなくては、嫉妬心の強い私に、
こんなことができたはずはありません。

一部編集 文責:ten1ko2

「UTS時代の神体験:ドクター神明の信仰エッセー」
現在、『世界家庭』に連載中


自己牧会プログラムにおいても、
自分にとって、マイナス的な思いになった時、
自分の何が原因かを探り、ワークを通して、
祈り求め、心を解放させることがあります。

一般的な取り組みとしても、
「ホ・ポノポノ」があります。
「ごめんなさい、許してください、ありがとう、愛しています」
これを何度も繰り返していく、というのです。

神明先生は、本当に純粋な方だと思います。
証しを読むと、
後輩のために「祈った」とあります。

そのことによって本心が啓発され、
後輩を愛する心情を持つことができました。

つたない証しですが、昨夜、江戸川土手を散歩していた時、
向こうからやってきた、大柄なおじさんから、
突然、肘鉄を食らいました。

「なんだ、このおじさん!」
食って掛かろうとしましたが、
冷静になって、ホ・オポノポノを実践してみました。

「なんでこのおじさんに
『ごめんなさい、許してくださいなんだ・・・』」
複雑な思いになりましたが、
やっているうちに気持ちが整理されました。

「結局は、複雑な思いを持っている私の問題だったんだ」
すなわち『囚われからの解放』です。

神明先生のように、祈りを通して、
本心の啓発をすることの重要性を改めて感じます。

(冒頭の写真は、本文と直接関係がありませんが、
 今朝、お母様の自叙伝を訓読した中で、
 真の父母様がクレムリン宮殿でゴルバチョフの前で
 祈祷をすると、そのあとの会談が導かれたという記述がありました。
 今日の証しにも通じる内容だと思い掲載してみました。)






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さらに、当ブログの記事に対して
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posted by ten1ko2 at 09:23 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする