2020年10月22日

「聖歌」に対するお父様の接し方 作った人以上に愛される 《金元弼先生》



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初来日の日に開かれた「大先生歓迎大礼拝」で
聖歌指導される文鮮明先生
(1965年1月28日、渋谷区南平台・東京教会)


1976年に、日本で語られた
金元弼(キム・ウォンピル)先生のみ言
「神を慰める者となりましょう」より、
『聖歌を愛する心情』です。


私たちは、いつも先生をお手本としています。

あるいは夢の中に、あるいは他の形を通して、
世界中の統一教会の兄弟が色々教えていただいています。
きょうは先生から教えられたことを皆様にお話ししたいと思います。

日本の兄弟が聖歌の編集ということで、
韓国へいろいろと聞きに来られましたが、
聖歌には、先生が作られた歌もあり、
我々が作った曲もたくさんあります。

また既成教会でよく歌われている歌もあります。
そして、聖歌を作って、教会から一時離れている人もいます。

私たちは、兄弟の中で何か良いことがあると、
その人の良いこととして考えます。
しかしその人の良いことが、私の良いこと以上の良いこととして、
それを見守ってあげるということが非常に難しいと思います。

先生は、神との触れ合いで、いろいろと感激された喜びを書き表したり、
作曲されることがたくさんあります。
先生御自身が作詞されなくても、作詞したその人以上に、
また作曲したその人以上に、その曲を、その歌詞を非常に愛されるのです。

皆さんが一つの歌を作ったとしましょう。
そうすると、作った人は非常に感激して作ったのですから、
その歌を非常に愛します。
自分が作った歌だから愛するのだろうと思います。

ところが先生は、その歌を作った人がその歌を愛する以上に、
その歌を愛されるというのです。
これは簡単な話ですけれども、非常に意味深い話だと私は考えます。

聖歌の中には、世の中の人が作った歌もあれば、
また既成教会の人たちが作詞した歌もあります。

その歌を作った人で我々の教会に反対するという人もいるでしょう。
あるいはその歌を作って、また世の中に帰ってしまった人もいるでしょう。

だからといって、この歌を作った人はこういう人であるから、
その歌を私は絶対に歌う必要がないと言うのではありません。
その歌を作った人がどういう人であってもかまわないのです。

その歌が神の心を歌ったものであり、
神の心情が描かれているとするならば私は歌う、それでいいのです。

その人は大変神の心情に触れて、その心情を描いたのです。
先生は、その人が神の心情に触れた程度を数字で表すということを
決してなさいませんが、その人が特別、自分の心を表現しようとしたのを、
先生御自身が書く以上のものとしてこれを受け入れるということなのです。

私たちが神のためにささげ物を大事にしたいとする時、
天から見ればこれは非常に低いものですが、
先生はそれを低いものとして見るのではなく、
もっとそれを高めて、そして神のものとして見つめてくださるのです。

私たちは神のためにみ旨のために働いたけれども、
その実というものは、私たちから考えても、そう大きいものではありません。

しかし、先生はそれを受け入れる時に、
天の摂理路程において非常に大きな貢献をしたかのように、
褒めたたえてくださることを、私たちはたびたび見ます。

私が心を打たれたのは、そういうように、
歌を作ったその人以上にもっとその歌を愛されたことでした。

『伝統の源流−主と歩んだ教会創立以前の道』
金元弼
(「神を慰める者となりましょう」 
一九七六年四月四日東京教会)
※本書は、『信仰と生活第二集伝統の生活化』
を改題したもの


人が作った聖歌を愛されるお父様。
本当に素晴らしいですね。。。

離教してしまった人の作った聖歌も
いまだに残っている理由、
以前聞いたことがありましたが、
今回、明確にわかりました。

確かに、聖歌の中には一般の人が作ったものや、
キリスト教で良く使われる讃美歌もあります。

その人自身は、私たちの教会に対して、
いい思いを持たれていなかったとしても、
神様を愛する心情は不変のものです。

その心情を愛するお父様なのですね。

私たちも教会に偏見を持たれる人に対しても、
「神を愛する」という観点においては、
謙虚になっていく姿勢を持たなければ、と思います。








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posted by ten1ko2 at 09:26 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月21日

*祝福家庭への福音* 証し続出の「自己牧会プログラム」、始めてみたいという方に



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自己牧会プログラム、
いつも証しを紹介していますが、
「『ワーク』とはなんぞや?」
そのように思われている方も多いのではないでしょうか。

私自身も多少かじったことはあるのですが、
本格的にチャレンジしていきたいと思い、
光言社刊の「自己牧会プログラム」を購入しました。

今回は、「はじめに」を紹介します。


「自己牧会プログラム」は、正しく行動しようとする
良心との対話を土台に、三大祝福の実現を目指して、
人格向上のプロセスを体感するためのプログラムです。

本書はその実践のための指導書であり、
信仰生活の“補助教材”です。

これから、良心との対話(祈り)とワークの方法を示していきますが、
このプロセスを通じて人格の向上を体感した上で、
さらにみ言をより深く理解、体恤していただきたいと思います。

本書では理論面に重きを置くのではなく、
実践に役立つためのワークに取り組みながら、
“囚われの自分”(自己中心的な思いに囚われる自分の意)から
解放されることを目指していきます。

同じようなワークが何度も繰り返し出てくるところがありますが、
あらかじめご理解いただきたいと思います。


(注)・『原理講論』に「生心と肉心との関係は、
性相と形状との関係と同じく、それらが神を中心として
授受作用をして合性一体化すれば、
霊人体と肉身を合性一体化させて、
創造目的を指向させる一つの作用体をつくる。
これが正に人間の心(本心)である」(88ページ)と説明されています。
この本心のことを本書では良心と呼んでいます。


ここで、前もってお伝えしておきたいことがあります。

各種ワークを実践した人たちは、良心との対話を通して
「気づき」が得られることが多くあり、
過去の“囚われの自分’から解放された喜びを体験しています。

許せなかった人を許し、愛せなかった人を愛し、
一つになれなかった人と一つになれたという経験を多くの人がしています。
しかし、それだけでは不十分であるということです。

真の父母(メシヤ)の祝福を受けなければ、根本的な解決はできず、
三大祝福を実現することはできないのです。

この「自己牧会プログラム」は、基本的に真の父母による「祝福」を受けた
祝福家庭、さらには祝福二世や祝福三世を対象とするものです。

祝福を受けながらも、堕落性を脱げず、
家庭や社会での人間関係で葛藤することがあります。
そのような問題を克服し、愛と喜びと平安のある生活をしていくために、
本プログラムは企画されているものです。


真のお父様は、良心について次のように語っておられます。 


「第一の神様の前に、(人間には)第二の神様として
 良心があるのです。
 それが蘇生、長成(期)基準で堕落したのだから、
 神様と関係を持つには、完成圏が残っています。

 それで、神様は堕落したアダム(人間)には
 干渉できないのです。
 長成基準で止まってしまった良心に、(神様は)
 下がってきて干渉することはできません。

 ……神様が主体です。
 人間の良心は、第二の神様、客体として、
 ぴったり一つになるようになっています。

 それがなぜできないのかというと、
 長成期完成級基準の堕落圏を残しているからです。
 完成基準の7年間が残っています。

 (そこで)祝福を通して、長成期完成級基準以下に
 留まっていたところから、上に向かって
 (完成期の)7年間を越えていくのです」


(『文鮮明先生の日本語による御言集 特別編1』54〜55ページ)

したがって、「祝福」を受けることで原罪を清算し、
長成期完成級を超えなければ、本プログラムによって、
真の意味で“囚われの自分’から解放されることは難しいのです。

「祝福」を受けてみ言を実践してこそ、
良心との対話(ワーク)による本プログラムによって、
愛と喜びと平安のある生活を得ていくことができるのです。


ここで「自己牧会プログラム」のこれまでの経緯について紹介します。

その原点は、16万日本女性幹部特別修練会において、
真の父母様が「真の自分を探しましょう」というタイトルで
み言を語られたことです。

真の父母様が語られた「真の自分」とは何かを探究し、
良心に関するみ言が意味する内的世界を追求する中で、
この「自己牧会プログラム」にたどりつきました。

人格向上、個性完成は、み言を信じ実践することによって成されます。
そのためには、み言をより深く体位する取り組みが必要です。

「まず“良心との対話”を軸とした生活によってこそ、
その目的を達成することができるのではないか」
ということから、このプログラムが生まれました。

第二の神様=良心と対話する(尋ねる)と、心が平安に導かれる、
さまざまなことで悩んだり苦しんだりしていても、原理的に整理される。

この良心の声に聞き従っていくことによって、
心と体が一つになっていくのを実感できる―。
このような恵みを体験します。


2015年、南東京教区が教区をあげて
「自己牧会プログラム」に取り組むようになると、
教会から遠のいていた食囗が積極的に通うようになり、
二世教育にも進展が見られるようになりました。

さらには喜んでみ旨を歩む食口が一人、また一人と
立ち上がるようになり、伝道文化の変化が
もたらされるようになりました。

その復興は拡大し、日本の各地で
このプログラムの恩恵に浴する食囗が増えています。

復興を願う食囗たちが、この「自己牧会プログラム」の
内容を実践し、活用できるようにしたい、
そんな願いを込めて本書をここに発表するものです。

2019年11月
世界平和統一家庭連合「自己牧会プログラム」編集委員会

「信仰生活補助教材 自己牧会プログラム
『囚われの自分』からの解放を目指して」
はじめに


ここで重要なのは、「良心」です。

お父様の言われた「良心革命」
「良心は両親にまさる…」
という「良心」のことをいっています。
(原理講論でいう「本心」)

ただ、気を付けなければならないと思うことは、
私に働く「良心」を、神様からの啓示や、
メッセージとして受け止めて
自分なりにとらえてしまわないように、ということです。

それは、お母様のみ言を否定し、お母様ご自身を否定する、
そういうことになりかねません。

ですから、あくまでも真の父母様を中心として、
み言を前提とした「良心」ということになるわけです。

南東京・杉田教区長が長年かけて進めてこられた
この「自己牧会プログラム」。

個人で出発すると、その人に繋がる心配もあるので、
公式的なものとして、家庭連合、として発刊してくださっています。

天一国時代を迎え、
さらには、「天の父母様聖会」時代を迎えました。

本然の時が来ているから、
このようなプログラムが出発したのであり、
天の導きである、というほかないですね。

これから少しずつ紹介していきますので、
よろしくお願いいたします。






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2020年10月20日

「あなたの先祖はイエスを槍で刺したローマ兵だ」 お父様に伝道された米兄弟の証し



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アメリカで、お父様から直接伝道され、
お父様の運転手をされた方がおられます。

最初にお父様に出会ったのが、1971年。
お父様は、彼の過去と未来を言い当てられ、
先祖についても話されましたが、
紆余曲折を経て、5年後、
ワシントン大会の後に、伝道されました。

この方はすでに聖和されていますが、生前の証しより、
お父様との衝撃的な出会いの部分を
要約して紹介します。


20歳となる年、私は、長い髪をし、酒を飲み、マリファナを吸い、
共産主義者のチェ・ゲバラや毛沢東を信奉するヒッピーで、
マンハッタンのタクシー運転手をしていました。

ある朝、二人の東洋人(お父様と朴普煕先生)が
手を上げて私のタクシーを止めました。
そして、目的地を告げずに、「運転しなさい」と言いました。

すると、私にいろいろ尋ねてくるのです。
「人生についてどう考えるか」
「人生の意味は。」
「あなたは神様の存在を信じるか?」など。

「共産主義についてどう思うか?」と聞かれ
私が、とても好きだと言うと、
「北朝鮮の収容所に入っていた」と言ってきました。
嘘だろう。
私は彼の言う事をを信じませんでした。

私の人生哲学を表す様な歌を聞かせて欲しいと言うので、
私が好きなサイモンとガーファンクルの歌の一曲である
「I am a Rock」を歌いました。

乗客(お父様)も私の歌のお返しに歌を歌ってくれました。
この人の選曲は「No Man is an Island」で、
韓国語で歌ってくれました。

また、「今まで酒を一滴も飲んだことがない」、と言ったので
驚いて後ろを振り向き、信じられなくてこの人を眺めました。

50歳を過ぎたばかりだ、といわれましたが、
大きな頬、健康と純真さそのものが溢れ出ている
絵画に見るような大きな笑いに、私には少年の様に見えました。

私の心の中に何かとてもこの人に惹かれるものがありました。
とても真剣で、理想家で、私がいつも出会う様な、
すでに体制に食い込まれている様な旅行者やビジネスマン
ではありませんでした。
しかし、一方、私を怒らせるものもあったのです。

「あなたの世代がベトナム戦争に責任がある」と非難すると、
この人は「そうではない」、私が振り向くと、
私の目を直視して「あなたに責任がある
──あなたには神様が与えた使命がある」と言うのです。

そして、私が仰天する様な事を言い始めました。
「あなたの先祖はイエス様を槍で刺したローマ兵だ」 
・・・・・・・・!!!

また、12年前、8歳の時、
神から啓示を受けた出来事を、
言い当てられました。

その2年後、母は癌で亡くなりました。
「あなたのお母さんが何年もずっとあなたのために祈っている。
それ故、今日、タクシーで私達は会えたのだ」

通訳者(朴先生)は「この方はメシアだ」と、
とても厳粛に宣言しました。

私は恐れを感じた反面、下手な冗談のようにも聞こえました。
「この人がメシアなら、私は洗礼ヨハネだ!」
このピーンと張った雰囲気を少しでも和らげるために言ったのですが、
逆に益々張り詰めた雰囲気になってしまいました。

この人(お父様)は、「私についてきなさい。」と、促しました。
(正しくイエス様がペテロ達に語った言葉です。)
「私と一緒に来て、私の妻と子供たちに会いなさい」

そして、彼の使命を助けるために、
ドライバーになるように勧めてきました。

私は、そんなつもりはないと、当たり散らしました。

「今すぐ祈りなさい。あなたには
多くの悪霊がついている」と言われました。

私も激情して言いすぎたと思いました。
それで、カトリック教会で教えられて知らず知らずに覚えた、
「天にまします我らの父よ・・・」の主の祈りを唱え始めました。

そうしますと、その方が祈り始めたのです。
この人の祈りは、祈りの一言も分かりませんでしたが、
祈りの声にとても深みがあり、真心から祈っているのが分かる祈りで、
本当に祈りの最高傑作だと思いました。

この人が祈り終えた時には、私が持っていた全ての怒りが
綺麗に取り除かれ、心は平安に満ちていました。

驚くほど私の過去を知っておられましたが、
彼らに付いて行きたいとは思いませんでした。
「彼らはCIA要員ではないだろうか」という
疑念も湧きました。

「今私たちと一緒に来なくても、
あなたは将来入教するだろう。
しかし、今一緒に来ないなら、
あなたのお父さんが亡くなるなど、
多くの蕩減を払わなければならない」
去り際にこのように予言されたのです。

そして、「しなければならない用件があるので
ここで待っていてくれ」と、言って降りていかれました。

しばらく駐車してどうしようかと思っていましたが、
他の客が現れ、そこを後にしてしまいました。

私は、8歳の子供の時に機会を失った様に、
この時も人生の「真」の歩みとは何かを悟りきれず、
自分がどのように人生を生きるか気が付かず、
最大の歴史的出会いの瞬間を捨ててしまい、
再びこの後何年も後悔することになったのです。

(要約・文責:ten1ko2)

参考:トーマス・コネリー兄の証に関する考察
訳:Luca Sawada


8歳の時に彼が受けた啓示というのは、
カトリック系の小学校でクリスマス祭りの時に
劇の羊飼い役だった彼が、壇上で
「Rev.Moonがメシアである」と叫べというものでした。

幼かった彼は、意味を悟れず、勇気が出ずに
まさしく再臨主を証す「洗礼ヨハネ」の
使命を、果たすことができなかったといいます。

5年後、ワシントン大会に行くようにという
メンバーとの出会いもありましたが、
その誘いも断り、
数日後に、なんと父親が危篤となり
とうとう亡くなってしまいます。

お父様の予言通りになってしまいました。

悔恨の日々の中、聖書を読みながら、
洗礼ヨハネに倣って、蜂蜜とレモンジュースだけで
生活しましたが、後で数えると40日だったそうです。

その年の終わり、彼は入教し、
祝福家庭となりました。



お父様が直接伝道された方。。。
こんな方がおられたのですね。
しかも8歳の時に、お父様を証しするように言われ、
その啓示をお父様ご自身が知っておられたなんて。。。

天から命令が会った時、
逃げ出したり、無視することはできますが、
しかし、そうした場合には、必ず、
蕩減を払わないといけない、と感じます。

私たちは、直接お父様から導かれたのではなく、
次元は全く違いますが、導かれた背景には、
やはり、生きて働いておられる神様が
関与してくださっている、ということを
改めて感じさせていただきました。

澤田先生、貴重な証しありがとうございました。
先生にご報告したら、
「コネリー兄は霊界で喜んでいると思う」
そのように言ってくださいました。

なお、複数にわたって書かれている長文でしたので、
8歳の時の証し、お父様との出会いから5年後に導かれた時の証しは
割愛させていただきました。







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※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
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その限りではありません)


posted by ten1ko2 at 07:44 | Comment(0) | 私と御父母様 ・信仰の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする