2020年10月19日

天一国の門が開かれた! 最高の後ろ盾をもつ私たち 《天寶大祝祭 祝勝会のみ言》



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先週日曜日に行われた
『天寶大祝祭 祝勝会』における
お母様のみ言を紹介します。


天が主管され得る天一国の門が開かれました。

そうであれば、天一国の民として、
資格を備えた人々がいなければなりません。
祝福を受けたからと言って、
すべて資格を備えたということではないのです。

成長期間があります。
義務と責任です。
責任をどの位、どのように果たしたのかによって、
その家庭の格位が決定されるのです。

そのために全世界の祝福家庭は、
氏族メシヤの責任を果たさなければならず、
天寶に入籍する家庭にならなければならないことは
勿論であり、そこで留まってはいけません。
代を引き継いで進まなければなりません。

現在自分が天寶家庭として、この地上で、
特に独り娘・真の母がいらっしゃるこの瞬間に、
自分の生涯でどれだけ領域を広げたのかというのです。
それが永遠なる世界の皆さんの財産になるのです。

天の父母様の夢と願いが何であるのかが分かるので、
私はこの7年の間、皆さんは映像を通じて見たでしょうが、
「行くことはできません」
「行ってはいけません」
という所にも行ってきました。

孤児のような人類を、真の父母は天の父母様の前に
再祝福を通して、天の父母様の子女として立つことの
できる門を開けてあげなければならないからです。

77億人類を2027年までの間に、すべて
復帰すれば良いでしょうが、7年路程をかけて
歩んできながら、いまだに多くの越えなければならない
境界線があるということが分かったので、
少なくとも天寶に入籍した家庭と祝福家庭が
私とともに、人類の3分の1でも
復帰しなければというのです。

それで2027年、天の父母様が、
「天の父母様の日」(制定)60周年を迎えるその日、
「不足でしたが最善をつくしました」と報告できる
皆さん全員になるように願います。

この国の既成勢力は衰退していっています。
皆さんは天の父母様、真の父母のバック(後ろ盾)を
持っているのに、何が恐ろしいのですか。

本来、天が祝福しようとされたこの国と民を、
責任を果たせない国と民として
そのまま放っておかなければなりませんか。

あらゆる町や村のすべての民が天の父母様の傘の下、
真の父母に侍らなければなりません。
そのような民族になればこそ、
真正なる統一韓国になることができるのです。

誰もがそのようになり得ないと思った環境を、
7年以内に私がつくりました。
この国の統一教会の歴史は60年を超えます。

今こそ死生決断、全力投球して実績をおさめ、
「天の前に約束したとおりにしました」
という結果をつくってくれるように願います。



天地人真の父母聖誕100周年・天宙聖婚60周年
文鮮明天地人真の父母・天宙聖和8周年記念
天寶大祝祭 祝勝会
天一国8年天暦8月25日(陽10.11) 
清心平和ワールドセンター


この祝勝会は、教会長・婦人代表のみ、
リモートで参加しました。

教会長は、
「とても厳しいみ言で、人事も発表されたり、
祝勝会、というより、出発式のような感じだった」
そのように語られていました。

お母様は7年路程を通して、
特に昨年末の40日路程を通じて、
多くの奇跡を起こしていかれました。

これからは私たち、
子女の責任を果たす時です。

「天の父母様、真の父母のバック(後ろ盾)を持っている」
このみ言を胸に刻まなければならないと思いました。

私だけが歩んでいるのではない、
神様と真の父母様がともにおられるのだ、
そのことを強い意識をもって歩むこと。
今、私たちに願われている内容だと思うのです。






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posted by ten1ko2 at 08:07 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月18日

忍耐や我慢だけではダメ、神のパワーを得る愛し方 *聖日に贈る愛の説教*



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授受作用のポイントは、
神の目と、神の耳と、親なる神の心持ちで、
相手を良く信じないといけない



礼拝説教ブログより
今回は、『一心一体一念の喜び』です。


家庭において、教会において、職場において、
心が一つになり、行動が一つになり、目的が一つになれたら、
どれほど幸せでしょうか?

どうしたら、家庭、教会、職場で、
神の愛、神の知恵、神の力を得ていくことができるのでしょうか?


宇宙発展の法則を『原理講論』の中では、
授受作用で説明しています。 (『原理講論』「授受作用」p.50-51)

万有引力は引力によって中心に引き寄せられる力です。
では、万有原力はどのようなものでしょうか。
すべてのものが有している力の源というように記されています。

原力というものが創造主の神様にあって、
それを被造物のあらゆるものが有しているのです。
形状的にはエネルギーと表現し、性相的には心情と表現できます。

「心情」とは何かと言えば、
「愛を通して喜びを得ようとする情的衝動」と定義されています。

火山が大爆発するように、また、清い湧き水があふれ出すような、
もう抑えがたい「愛したい!」という衝動のことを表現しています。

 
創世記によれば、創造の6日目に、
「神は自分のかたちに人を創造された。
すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
神は彼らを祝福して言われた
『生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ』」
と記されています。

人間創造の時に、神様は
「はなはだ良かった」と言われたと記されています。
人間を創造した時だけ
「はなはだ良かった」と言われています。

神様が人間に対して、
「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ」
と言われたとあるように、万有原力は
人間が、三大祝福を実現するためにある
力の源ということができます。

つまり、人間が個性完成、子女繁殖、
万物主管する力と言うことができます。


神様は、「愛したい!」という情であふれています。
「愛したい!」という衝動は抑えがたいものです。

神様自身がそのような原力を持たれた方なので、
神様から創造されたすべての被造物、
すなわち人間、動物、植物、鉱物などすべてが、
「愛したい!」という衝動が満ちあふれているわけです。

皆さんも、だれに教えられたわけでもないのに、
「愛したい!」という衝動があるでしょう。
それは、動物も、植物も、鉱物も同じです。


ところが、せっかく万有原力を与えられ、有していても、
「授受作用」なくしては、愛、希望、感動、力を持ち、
感じることができないのが、この宇宙の原則です。

授受作用が大切であると知っていても、
間違いを犯しやすいことが多々あります。

神様のみ旨(三大祝福の実現)を知っていたとしても、
神様を中心として良く授け良く受けているかが問題となってきます。

神様の三大祝福を実現したいと思って授受し、
会話をしているかというと、そうではない場合が多いのです。
一方的に話し過ぎたり、聞いたふりをすることが多いのではないでしょうか?

自己の経験的価値観を中心として、一方的に話して、
一方的に聞くふりをするのでは良くないのです。

形式的、時間的、物理的には、良く授け、良く受けたつもりでも、
時間がたつと次第に、「〜してあげたのに!」
「聞いてもらえなかった!」という思いが出てきます。
これは中心が間違っていた証拠です。

授受作用のポイントは、
神の目と、神の耳と、親なる神の心持ちで、
相手を良く信じないといけないことになります。

逆に、受けるほうは、素直な心、感謝の心で受けないといけません。

信じて与えないといけないし、返ってきたものは、
屈折しないで素直に思えないといけません。
そして、授受作用をしてお互いに共感し、喜び、希望にならないといけません。

 
ある失敗例です。

ある父親と息子が、息子の宿題のことで会話をするときに、
父親は主体の立場で子供に「宿題を早くしなさい」と言うと、
子供は対象の立場で「はぁーい、わかった」と答え、
授受作用が行われたと思います。

しかし、息子は「わかった!」と言ったにもかかわらず、
いっこうに宿題をやりません。
それで、父親は最後には腹を立てて子供をしかるようになります。

ここでこの親子が授受作用をするにおいてうまくいかない原因は何でしょうか。
この場合、言葉は授受作用ですが、
お互いに心情が通じていないことに気がつきます。

父親は言うことを聞かない息子のために、神様に祈ってみたのです。
すると、「宿題をしたくない本当の理由があるのだ。
愛してごらん」という答えが来たのです。

父親は、もう一度、「あなたは、
なぜ宿題をするのが嫌なのか理由を教えてほしい」
と優しく言いました。

そうすると、子供はしばらくしてから、
「実は、友達とトラブルがあって、それで
宿題をやりたくなかったよ」と話してくれました。

父親と話をしたあとに、息子は宿題を最後まで
短時間で集中的にするようになりました。
そのあと、この二人は強い父子関係を築いたのです。

人間的な言葉は行き交っているけれど、
相対基準を結んでいないので、
授受作用が続かないし、発展はないのです。
このような失敗例はたくさんあるのではないでしょうか。


大母様が先日、霊肉界マッチング修練会でこのようなみ言を話されました。

「霊界に行ったら、夫婦一緒の方は一人もいませんでした」。

この言葉を聞いたとき、ショックでした。
生きている時には、夫婦として形は食事を共にして、
長年、同居してきても、心がすれ違って生きていたのです。
それで、霊界で夫婦が一緒にいることができなかったのです。

このように、夫婦といえども、
お互いに授受作用がうまくなされていない場合も多いのです。

主体と対象がお互いに信頼し、愛し、与えることができるか、
心を素直に開いていくことができるか、これが重要です。

このような授受作用を邪魔するのは、
あくまでも自己の堕落性であり、恨霊です。

言葉や、情報、形態は授受作用をしていても、
授受作用したことにはならないのです。
授受作用の本質は、主体と対象が一緒に発展し、喜びと力を得ることです。

片方だけが、我慢したり、忍耐して、
一時的に発展したとしても、限界が来ます。


『平和神経』には、次のようにあります。

「神様がいかに絶対者だとしても、
 独りでは幸福になることができません。
 『うれしい』という言葉や『幸福だ』という言葉は、
 独りでは成立しない言葉です。
 必ず相対的関係を備えた所に成立するのです。

 一生を声楽家として生きてきた人でも、
 もし無人島に捨てられ、独りで喉のどが張り裂けるほど
 歌を歌ったとしても、幸福でしょうか。

 自存される神様も、喜び、幸福であるためには、
 必ず授け受けできる愛の相対が必要なのです。

 とすると、絶対者であられる神様に
 喜びをお返しすべき相対者としての人間は、
 どのような姿でなければならないのでしょうか。

 神様が『息子よ、娘よ』と呼ぶことができ、
 御自身と同格の位置に立て、
 共に創造の偉業を完成することができ、
 天地万物をすべて相続させられる子女は、
 どのような姿でなければならないのでしょうか。


 神様が、創造の理想的出発点をどこに置かれたのか、
 お分かりでしょうか。
 『相対のために存在する』という原則に
 自らの理想的出発点を置かれたのです。

 言い換えると、神様が願われた相対のために
 真の愛を実践することが、
 神様の創造のみ業を出発した核心だったのです」


(平和メッセージ I)


お父様のみ旨の中で難しかったことは、自分自身ではなく、
愛するお母様を立てることであったともいわれています。
イエス様も愛する相対者を立てることができず、
途中で十字架にかけられて殺されてしまったと言っても過言ではないでしょう。

自分自身が立つことよりも、相対を立てることのほうが
もっと難しいのではないでしょうか。
皆さんも、自分よりも相対である夫、妻が立派になっていくことが難しいでしょう。

「相対のために信じ、犠牲になり、投入する愛」が
なければ、成り立ちません。
ただ、忍耐や我慢だけでは、難しいのです。

常に、神の心情で、神の目、神の耳、親なる神の心で、
夫を見ることができるか、妻を見ることができるか、
子供を見ことができるか。

そして、よく授けてこそ、親なる神様に出会うし、疲れないのです。
相手を変えようとして行動すればするほど、
失敗するし、疲れてくるのです。

主体格と対象格と二つが、神様を中心に、
「一心一体一念」で一つになった喜び、感動、愛は、
いかなるものにも代えられません。

神様は絶対主体として、絶対対象の人間である私に、
よく授けてくださっています。
対象格である私は、よく受ける自分の器をつくってこそ、
神の愛を感じます。

そして、私自身も、親なる神様の心情で、祈って、
授ける努力を、何度もしてみたときに、
親なる神様の愛したい心情を知ることができるでしょう。

いかにして、与えようかと、身もだえするときにこそ、
私自身が、神様と「一心一体一念」となり、
神の無限なる愛と知恵と希望と力と出会う喜びを得るのです。

<2009 秋季 牧会者説教集 P.86~90>
世界平和統一家庭連合 公式説教ブログ


神様はあふれるような愛で愛してくださっているのですが、
その愛や知恵や力を得るには、
正しい授受作用が必要。

神の愛を中心に授受していないというのが、
間違いやすいポイント。。

そして「一心一体一念」で一つとなる。。。

万有原力や授受作用について、
とても分かりやすく話してくださいました。

それにしても、一つになるのは、
難しいと思います。
まず相対を探すことが、いつの時代も簡単ではなかったのですね。

そういう意味では、お父様が
お母様を探し出されたということは、
復帰摂理においては、とても重要なことだったと思います。

そして、お母様においても
ご自身の後継者を立てることに対して、
多くの困難がありました。

最終的には、お孫様を立てる決意をされ、
さらには、今回、環境圏を整える意味で、
二世圏の方を責任ある立場に立てられ、
今後の方向性を明確にされました。

さて、ちょっと変な話ですが。。。
毎日、妻と訓読会を終えるとき、
ハグをするのですが、
何とも言えない恩恵を感じます。

真の父母様においても
ハグをされている写真を拝見すると、
お父様が何とも嬉しそうな表情をされています。

お母様よりお父様の方が嬉しそうです。
主体である、夫の方が恩恵を受けるのかな、
そんな気もします。

我が家の場合ですが、妻は、長くハグされるのが嫌みたいで、
すぐに放そうとするのですが、
私はずっとしていたい気持ちになります。

このパワーをもって
一日を出発できるのが、感謝ですね。

人間関係においても、
中心と一つになり、
兄弟姉妹と一つになる。
このことを意識して歩んでいきたいと思うのです。






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posted by ten1ko2 at 09:54 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月17日

神のために涙した女性はいなかった?! 《平和の母が流した7つの涙-浅川先生》



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浅川先生の
「平和の母」が流した七つの涙 の最終回。
第七の涙:神への涙 です。


戦争、飢餓、貧困に苦しむ人類のために涙し、
国境と民族を超えて世界平和のためにまい進した
女性指導者たちがいました。

しかし人類のために涙しても、
神のために涙する女性はいませんでした。
人類の苦痛を見つめて、顔が腫れ、
涙が枯れるほど泣き続けた
悲しい父母である神を慰める女性はいませんでした。

それは、人の悲哀を感じることはあっても、
神の悲哀を感得する本性的感性がなかったからです。
神が人を通して誕生させた独り娘ではなかったからです。

韓鶴子夫人は生まれながら神の心情を感得できた、
神の独り娘でした。


「私も子供の頃から、神様といつでも
 会話を交わすことができました。
 困難にぶつかったり、決断を迫られたりするたびに、
 神様は私を導いてくださったのです」

(韓鶴子総裁自叙伝
『人類の涙をぬぐう平和の母』112ページ)

 
神は宇宙を創造した後、エバと名付けた独りの娘を生みました。
神が父母として初めて抱いた女の子だったのです。

娘は神の愛を受けて成長し、やがて聖婚し、
聖なる子供を出産して人類の真の母となるはずでした。

しかしエバは堕落して、神に悲痛をもたらす女となってしまったのです。
原罪を宿す堕落人間を生み、人類罪悪史をつくり出していったのです。

それ以来、神は痛ましい心を慰める本然の独り娘に出会えませんでした。
神の心には、純粋だった16歳までのエバの姿だけが
むなしく残存しているだけでした。

韓鶴子夫人の誕生と成長は、神に比類のない希望を抱かせ、
神の独り子・文鮮明先生との聖婚は歓喜をもたらしました。


韓鶴子夫人は聖婚に際して決意されています。


「私は文総裁を独り子として迎え、
 神様のみ旨を成し遂げてさしあげると決心しました。
 それは神様が私に下さった、天の新婦、
 宇宙の母としての使命でした」


(同114ページ)


韓鶴子夫人は見事に、エバによって傷つけられた数千年の傷痕を
神の心の底から払拭したのです。
ついに神が生きた母として人類を主導できる道が開かれたのです。

人類の涙を拭う「平和の母」は、
神の涙を拭う「独り娘」だったのです。

韓鶴子夫人は、孝女として神の恨(ハン/恨み)を溶かすために、
生涯をささげておられます。


「神様に対する孝情(ヒョヂョン)の精神で、
 東から西、南から北へと飛び回りながら、
 私は休むことなくみ言(ことば)を伝えました。

 口の中がただれ、足がむくみ、時には
 立っていることすらできないこともありましたが、
 『必ず私が成し遂げる』という約束を守るため、
 地球の至る所を訪ねて回りました。

 神様の願いと理想を成し遂げるため、
 一度としてまともに休むこともできないまま、
 ひたすら歩いた涙の路程でした」


(同353〜354ページ)

「平和の母」が流した七つの涙 7(最終回)
【第七の涙】神への涙
浅川 勇男


最近の真のお母様は、「神様」「天の父母様」
とみ言を語られる際には、いつも涙ぐまれます。

お母様には大変失礼かも知れませんが、
昔はそういうことがあまりなかった気がします。

もちろん、お父様が地上におられたときには、
いつもお父様がみ言を語られていましたし、
お母様が前面に出られることも少なかった、
そういうこともありました。

お父様が聖和され、お母様がすべての責任を負われる立場になり、
困難なことがあまりも多くありました。
神様御自身と同じような立場を通過されて、
さらに神様の心情が近くなられた。。。
そんな思いがしてなりません。

改めて感じることではありますが、
私たちは、孝情の心情で歩むのみ、だと思うのです。

浅川先生、七つの涙を解説してくださり、
本当にありがとうございました。






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