2020年10月09日

目の前にいるこの人が、「神の使い」かもしれないと考える?! 《金元弼先生》



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金元弼(キム ウォンピル)先生のみ言 
「すべての人は神の使い」を紹介します。

 
統一原理を勉強しても、親の心情、神の心情について、
漠然としてなかなか分かりにくいのです。

けれども、今話したような生活をしていると、
自分も知らないうちにいろいろと分かってくるのです。

親の心情も神の心情も、祈っても分かりません。
祈っても親の心情をどのようにして見せてあげますか。
どのようにして神の心情を見せてあげたら分かりますか。

 
神は見えないのです。
神は、神の心情を受け継いでこられた、
そのお手本として現れたメシヤを中心として現れるのです。

ですからメシヤは無形なる神の道を、
そのまま行かなければいけないようになっています。

神は無形ですからなかなか分かりません。
しかしメシヤは実体の肉身をもっていらっしゃるので、
とにかく見ることはできるのです。

その内的な内容、内情は分からないけれども、
とにかく見ることができるのです。

刺激的です。
私たちは肉身をもっていますから、
肉身をもたないと刺激的でないのです。

  
先程話しましたように、神の心情を知らしめるために、
いろいろな人を通して私たちを苦しめたり、
あるいは喜ばせたりするのです。

それを、その人自身がそうするのだと考えるなというのです。
その人を通じて、こんな時に神がこのように苦しまれるのか、
あるいは喜ばれるのかと知るのです。

つまり、(神が)「私もこういう場合に、
こういうように苦しみ、あるいは喜ぶのだ」
ということを知らせてくださるというのです。

ですからすべての人は、神の心情や
メシヤの心情を知らせてくれる
メッセージをもってきてくれる人だと考えればいいのです。

そうしない限りは、神の心情はとても分かりきれないのです。

あるいは植物、動物を通じてでも、神の心情が分かるのです。
それは象徴的、形状的ですが……。
そういうことを通じて、神を知らせることができるのです。

ですから旧約時代には、神は大(?)のごとく、
風のごとく、海のごとくというように流体です。
流れるというのは、はっきりした形がないのです。

風が吹く、そんな中にあってみ言が聞こえるのです。
神はそのように光の中にも現れるのです。

  
今は実体の時代ですので、人を通じて、兄弟を通じて
私たちに伝えてくれるのです。

ですから人は神の使いであり、天使のようだということもいえます。
天の使い人だというのです。
人なのに天使だというのです。
すべてをそのように考えてほしいのです。

私が苦しいと考える前に、このように
神は私のことで苦しんでおられるのだ、あるいは
人類のことでこのように苦しんでおられるのだと、
その程度を知ることができるのです。

  
私たちの信仰の成長の度合いに応じて、
映る神の心情が違うのです。

信仰が幼い時には、神はいつも栄光の中にいる神として
映りましたけれども、成長してみればそうではないのです。
本当に苦労されている神であるということが分かるのです。

幼い時には、子供は親に対して、
「親はいいなあ、私も大きくなったら
親のようになりたい」と思うのです。

ところが成長すれば、本当に親というものは
惨めなものであるということを、だんだん知ってくるのです。

それと同じように、成長すれば、
私たちの信仰の程度によって、神の心情も
次元次元に深まってくるように感じ、
また知るようになるというのです。

ですから、苦しい時、つらい時、忍び難い時があるとすれば、
それ自体を神の心を私に知らせるために
そうなのだと考えるのです。

良いことをした後はうれしいのです。
私たちが神の前に良いことをしたならば、
神はこんなに私のことでうれしがるというのです。
それを知らせてくれるのです。

「悔い改めは出発の時と同じ」 
一九七五年十一月二日川崎・楚麗邑


人は「神の使いであり、天使である」
聞きしに勝る名言だと思います。

元弼先生が語られるように、
自然万物は、堕落していないので、
神様の心情を感じやすいと思います。

しかし、人間関係も、
私が願わない関係であったとしても、
神様が味わって来られた心情を
その人を通して感じることができるとするなら、
どんな人も「神の使い」であると思います。

問題は、私自身がどう受け止めることが
できるか、にかかっています。

神様は、私たちの成長を待ってくださっているので、
どんな環境がきても、
どんな人が現れても、
天の愛と配慮があるに違いない。。。
そのようにとらえていきたいと思うのです。






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posted by ten1ko2 at 07:35 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする