2020年11月27日

真のお母様にまつわる2つの証し ご子女様と私たちへの愛の違い 《中村惣一郎先生》



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「真の愛」と口ではいいますが、
具体的にどのような愛なのでしょうか。

中村惣一郎先生(777双)が
真のお母様の愛に触れた証しです。


真のお父様は、1965年1月28日、
第一次世界巡回路程の最初の訪問国として、
日本を訪ねてくださいました。

西川勝(崔奉春)先生(36双)から
お父様のお話を伺っていましたが、
当時はお父様とはお呼びせず、
「大先生」とお呼びしていました。

まだ一度もお会いしたことはなく、
お写真でもお顔を拝見することが
あまり多くはありませんでした。

イエス様の果たせなかった使命を成就されるために、
再臨主としておいでになったお方を
どのような心情でお迎えしたらよいのか、
戸惑っていたことを思い出します。

長年、真の父母様に侍り、子女様を
見守ってこられた申美植(シンミシク)先生(西川先生夫人)が、
深い心情でお父様をお迎えすることができるように、
私たちの心を整えてくださっていました。

このとき、真のお母様は韓国におられ、
お父様に同行された崔元福先生が
お母様からのメッセージを私たちに伝えてくださいました。

「愛という言葉の持つ
 限りない意味を込めて、
 あなた方を愛します」


というものでした。

まだ教会の基盤のない草創期、
お母様とお会いしたこともない、
お写真を拝見したこともない時代でした。
このみ言を通して心にしみるお母様の愛を感じました。

全国の食口たちも本当に慰めを受け、
勇気を与えられたと思います。


それから20年近く経った1983年夏、
お父様のお供をして、アメリカ・マサチューセッツ州の
プロビンスタウンでマグロ釣りをしたときのことです。

ある日、嵐が来るから早めにマリーナ(ボートの停泊所)に
戻るようにという連絡が入り、
私たちは午後5時位に着きました。

近くの出店を見ながら777双の兄弟と二人で
迎えの車を待っていました。

そこに普段着姿のお母様が来られました。
私たちがご挨拶すると、お母様は、
「お父様はまだですか?」と日本語でお尋ねになりました。

私たちは、「もうすぐ、
お帰りになると思います」とお答えしました。

お母様は、手に持っておられたドーナツを
ポッと割って、私たちに下さったのです。
それはあまりにも自然な行為でした。

とても不思議な感じがしました。
“これは何なのだろう?”と、
お母様を通して体験した感覚の世界を、
自分なりに尋ね求めてみました。

「このドーナツを食べなさい」と言われれば、
それに対して「ありがとうございます」
というような会話が普通であろうと思うのです。

しかし、そのときのお母様の印象は、
もっともっと近い感じだったのです。

私は、”そうだ!ご自身の子女である
興進様と私たちを同じように扱ってくださっている。
ご自分の子女様と他人の子女との差がないのだ”
ということに気づいたのです。

よく、「カインの子女を愛して、
それから、アペルの子女を愛する」と聞いていましたが、
お母様におかれては、その差がないのです。

書籍『心を打つ50の証し
真のお母様、感謝します』より
「私の心に響いた真の愛」
中村惣一郎(777双)


日本語を語られるお母様に
愛を感じます。

また、お母様がドーナツを渡されたお姿。。。
中村惣一郎先生は、「不思議な感じがしました」
そのように表現されています。

私たちがお母様に侍る心情と
お母様が私たちを愛する心情に
隔たりがあるのでしょう。

おそらく、中村先生は
そのとき初めて挨拶されたのですから
深い心情の因縁はなかったかもしれませんが、
お母様は子女様と全く同じように
接していかれました。

「真の愛は直短距離を通る」
そのように言われますが、
真の親の愛が、子女に向かう心情が
ドーナツを渡される姿になって
表れているのだと思います。

私がその場にいたとしても、もしかして
全く同じように対してくださるのではないか。
そのような真のお母様のご心情を
求めていきたいと思うのです。







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2020年11月26日

いかに位置を守るか・・それでも私は神の子です! 《李ヨハネ先生「信仰と生活」》



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李ヨハネ先生の信仰と生活。
今回は、「自分の位置」です。


堕落した人間に、「あなたはサタンの息子ですか」
と言ったなら、とても怒るのです。

「ではあなたは神の子ですか」と言うと、
「それもどうかな」と言うのです。

では「あなたはだれですか」と聞くと、
自分の位置をはっきり答えられないのが、
堕落した人間の良心です。

しかし、そこがあいまいではっきりしていなくても、
神の立場を分かった信仰者においては、
自分がだれのものかということは、
自然に決まってくるのです。

その主体者が決まっているから、
自分の位置も同時に決まるのです。
その自分の位置をいつも聖別して、
いかに守っていくか、
そこに人格という問題が出てくるのです。

 
イエス様が胸の中に秘密としていたのは、
「自分は一人息子である」ということです。

それは、たとえ悔しいことがあっても、
いくら木の下に寝転んでいても、
また、乞食の格好をしていても、心の中では、
自分は神の一人息子であるというその位置を、
一生涯、十字架につけられるまで、
一度も変えたことがないのです。

いわゆる、信仰貞操です。


その位置を変えてしまうと、人格的にも崩れるし、
平面的にも人間関係が混線してしまうのです。

自分の位置うんぬんというのは、
一面を見ると傲慢なようですが、
ここを間違ってはいけないのです。

例えば、映画館とか、とにかく大勢の中に自分一人がいた時、
自分はどの位置でこういう所に来ているのかということです。

こういうサタンの世の中で、自分は神の子だという信念とか、
自分の立つべき位置を持続している信仰をもった人に対して、
神はとても感謝するのです。

だから神も、人間に恵まれなくてはならないのです。


イエス様においては、いくら蔑視されても、
その心では自分は一人息子だという思いが
かえって強くなるのです。

しかし私たちは、悲しい立場に置かれると、
だんだんと自分の位置を疑う人が増えてくるのです。

もうどうにもならない立場になると、本当に
神が一緒にいてくれるかどうか、疑ってしまうのです。
自分の位置を、自分が疑うのです。

そういう神との関係がない時にこそ、
自分の位置を守って、神から干渉がなくても、
神の息子だという、その責任をもっている者に対しては、
サタンも頭を下げるのです。

イエス様は、それを私たちに見せてくださったのです。

私たちが信仰しているうちは、
「いつもうれしい」と言っていいのですが、
神から捨てられる時、また、捕まえてくださる時と、
こういう波があり、私たちも
波のように成長していくのですから、
その時どういう実績を残すか、
どういう蕩減条件を立てるか、
これが神と私たちとの関係になるのです。



自己牧会プログラムを実践していくと、
本心が啓発されていきます。

与えられた現象、目に見えるものは、
同じだったとしても、
どのように捉えることができるのか、
それが重要になってきます。

ですから、ヨハネ先生が語られているように、
神の子である、という位置をしっかり守ること、
本心を中心とした生活をしていくこと、
このことを常に意識していきたいと
改めて思うのです。






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2020年11月25日

(証し)心がふさがれる日々。。。「自己牧会プログラム」で出会った神の愛



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2020.11.22☆


自己牧会プログラム
今日は、在欧日本人の証しを紹介します。

タイトルは
「私がお前をそこに送った」です。


国際祝福を受けてヨーロッパに嫁ぎ、
片田舎で暮らす日本人です。

夫が教会を離れて20年、次男が引きこもって10年たちます。
祝福家庭として希望を持って出発したはずでしたが、
願いがかなわない現実に気持ちがふさがる日々でした。

そんな中、自己牧会プログラムに出合い、
ワークの実践が始まりました。

「良心との対話」のワークや「光を投げ放つ」ワークなどに
取り組むうちに、少しずつですが、
自分でも気付かなかった心の傷、浅はかな思考、
固定観念などに気付くよう導かれました。

それらの全てを、
「本然の私とは何の関係もありません」
と言いながら、一つ一つ下ろしていきました。

ですが最初は、いくら下ろしたつもりでも、
現実の状況の変化を期待せずにはいられませんでした。


「私は一体どうしたらいいのだろう?
この田舎で私は何をやっているのだろう?」
全てに限界を感じ始めました。

そうして祈り求めた時、神様が
「私がお前をそこに送った」と言われました。
はっとしました。

それまで私は、独り身となった夫の母と
生活を共にするために
ここに引っ越したと考えていたのですが、
その言葉で、
「ああ、神様が私をここに送ってくださったのか」
と初めて気付いたのです。

「これが良心の声だったのだ」と感動するとともに、
以来、神様が私を通してなされることに
心を合わせようと思えるようになりました。


自己牧会プログラムのセミナーで、
 
「願いがかなわないのは
 誰かを何かを否定しているから」
 
「今の状態は自分がつくり出したもの」

という内容に触れたとき、ぱっと開かれた感じがありました。
まさに“目からうろこが落ちる”という感覚でした。

表面的には夫を愛し尽くす努力をしていましたが、
心の奥底では、
真の父母様を受け入れない夫を否定していました。

息子にも母として愛を投入してきたつもりでしたが、
心の深くでは、
「息子は幸福になれない」と否定していました。

カトリックの信仰が根強い地域にあって、
夫の母や姉から「家庭連合のことは一切、
誰にも話さないでくれ」と口止めされていたので、
「親族には何も言えない」
と自分で決めていました。


これらの否定や思い込みを一つ一つ下ろしていくと、
全ての現状は自分の囚(とら)われによって
つくり出してきたものだということが、ようやく分かったのです。

「良心さん、このことに気付かせたくて、
今までずっと忍耐してきてくださったんですね」
と語り掛けると、熱い涙が溢れました。

以来、「否定してきた自分は
本然の自分とは何の関係もありません」
と下ろしていくことを続けました。

 
そんな中、私の中に不思議な心の変化が訪れました。

真の父母様の願いである神氏族メシヤの歩み、
430家庭祝福を成し遂げたいと思えるようになったのです。

私は思い切って、夫に
「430家庭祝福に取り組みたい」と話しました。

それまでどうしても踏み出せなかった一歩でした。
すると夫は、
「あなたが願うならやればよい」と言ってくれたのです。

自分で壁をつくり、身動きできないように
してきたことに気付かされました。
そして良心が私と共に、そして私以上に
働いてくださっていることが分かりました。

全てを下ろすことの妙味に触れ、
私心がなくなれば
良心と共に全面展開できるという確信に導かれています。

道半ばですが、感謝、前進していきたいです。

(ヨーロッパ在住、日本人女性 60代)

私の心の中にいる神様 44
「私がお前をそこに送った」


祝福家庭であれば、大なり小なり
家庭内の問題で悩みがあると思います。

このお姉さんは、
海外にあって、頼りの御主人も教会を離れ、
本当に心がふさがれるような
毎日だったことでしょう。

しかし、自己牧会プログラムを通じて、
自分自身の心が解放され、
そうすることで、み旨に対する
意欲も出てこられました。
素晴らしいですね。

430家庭に向かうことをご主人に認められたのは、
とても大きな第一歩でした。

自己牧会プログラムは、
祝福家庭、最強の武器だと
改めて思わされます。

全面展開できることをお祈りいたします。



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