2020年11月18日

今でも覚えている珠玉の一章 「見物人」になるな?! 《李ヨハネ先生「信仰と生活」》



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キリストを否定するペテロ☆


李ヨハネ(イ ヨハン)先生の「信仰と生活」より、
『見物人になるな』

ヨハネ先生の「信仰と生活」は1冊まるごと
宝物のように貴重ですが、
今回紹介するのは、その中でも印象深い
選りすぐりの内容です。


自分の立場で伝道する人、自分の事情によって、
趣味によって働く人は、
結果が良くなければ気落ちしてしまいます。

だから、結果が悪かった場合に気落ちする人は、
その動機において、
自分の立場で出発したことが露見するのです。

信仰は、立場が問題です。
動機が問題なのです。


コツは神の立場にあるのに、
この立場をしっかり結ばずに信仰する人が多いのです。

こういう人たちを先生は、
「見物人」と言われます。

公園に見物に行くというように、
教会に見物に来た人たちには、
信仰の立場を離れた人が多いのです。


例えば、モーセが六十万の民を連れて
カナンに行く時には見物人がたくさんいたし、
イエス様が奇跡を行った時にも見物人がたくさんいたし、
イエス様の弟子たちですら見物人だったのです。

そのことはどこで分かったかというと、
イエス様が捕まって十字架を担いでいく時、
ペテロにおいては三回もイエス様を否定したことから、
結果が分かったのです。


同じように、私たちが主のために献身的に働いて、
結果が思いどおりにいかなかった場合、
気落ちする人は、結局、この動機が違うのです。

落ちても上がっても、喜ぶ必要もないし、
悲しむ必要もないのです。

なぜ神が、私たちを使っているかを
理解しなければならないのです。
それを、神の仕事を自分がやっていると
錯覚してしまうのです。

自分の仕事は自分自身がやっているのではないのに、
人間は知らずに、うれしがったり、
悲しがったりしてしまうのです。


それは、神の立場に固く結ばれていないからです。
その時は、動機が違うのです。

ここが、信仰者の一番の秘密です。
すなわち、神の立場と自分との関係、
これが「原理」を利用する人の秘密なのです。

だから神のほうで、手を出して捕まえてくださり、
いつも神のほうで、信じなくてはいけない
という証拠を下さるのです。

だれでも信仰を出発した日には、
何か説明できない不思議な力を与えられたはずです。
証拠がなければ、信仰するはずがないのです。
そこにおいて結んだ立場を、
もち続けること、それが信仰なのです。



私がこの道に来たのは、
私自身もいろんな理由があったかもしれませんが、
考えてみたら、自分が動機ではありません。

自分が来たくて来たのではなく、
天が導いてくださったのです。

そのことを感じていながらも、
与えられたみ旨の中で、
あるいは生活の中で
よい結果が出ないと、落ち込んでしまったりします。

そういった意味では、
私たちは原点に返る、
基本に返ることが重要なのでしょう。

見物人にならないよう、
常に動機を意識していきたいと思うのです。







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posted by ten1ko2 at 09:56 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする