2020年12月19日

私たちは本当に完成に向かっているのか?! 《金元弼先生の証し》



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金元弼(キム ウォンピル)先生にまつわる
先輩家庭の証しです。


私の妻(米国人)が統一神学大学院の院生であった時、
お父様がベリータウン神学大学院に
しょっちゅうお越しになられました。

院生がお父様に質問する機会があった時、
妻が「私たちが完成したと、どのように分かるのですか?」
と質問しましたら、お父様は
「完成したら自然に完成したと分かるんだよ。」
とおっしゃられました。
   

元弼先生が58歳の時、私がとても真剣な顔をしているので、
「澤田さんどうしたのですか。」と、
高い女性のような声で尋ねられました。

先生は言葉使いがとても丁寧で、私のような者にも
「さん」付けで呼んで下さいました。
先生の話を聞かれた方はよくご存知ですが、
先生の声はとても高音なのです。

私が真剣な顔をしていましたので、私がする質問は
大切な質問だとすぐにお分かりになられました。

質問はとてもぶしつけな質問だったのですが、
私には信仰生活をかけた質問だったのです。


「元弼先生、先生は蘇生、長成、完成の
どの段階におられるのですか。
あるいは既に完成しておられるのですか。」
とお尋ねしました。

これは信仰歴が長くなればなるほど、
受ける者にとって厳しい質問です。

それまでいろいろな先輩に、
「今どの段階におられるのですか?」と尋ねても
はっきりと答えてくれる方がいませんでした。

お父様は、私たち堕落人間も祝福を受けて
復帰路程を歩めば完成できる、と語って下さいます。
しかし、身近にその見本の方が居ないのです。

もし、第一弟子の金元弼先生が
「私はわかりません」、と言われたら、
原理のどこに希望があるのだろう、と考えて悩んでいました。


私の信仰生活を賭けた質問に、先生は
「私は今完成期にいます。
そして限りなく完成に近づいています。」
とおっしゃられました。

その時、嬉しくて涙が止まりませんでした。

そして、先生は
「澤田さん、私と一緒に復帰の道を歩みましょう。」
と言われました。

それが1984年の出来事で、いまから36年前の話になります。

(文責:ten1ko2)

アメリカ宣教師・澤田亮一郎先生


元弼先生とのやり取りは、
とても貴重なものだと思います。

「完成期にいます」
とはっきり答えられた元弼先生には、
自信と確信があったに違いありません。

1980年代の元弼先生は、
年齢としては、50代だったでしょう。
私も今50代なのですが、そう考えると、
後輩から同じ質問されたとすると
「完成に近づいています」
と自信をもって答えられるでしょうか。。。

「神氏族メシヤです」
というのは、名ばかりで、
中身も何もない存在であると、
申し訳なく感じています。

内外ともに、公私ともに、
完成期にいることを誇ることができるよう、
さらに精誠を捧げなければ、と思うのです。

私は限りなく完成に近づいてゐます
まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)



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posted by ten1ko2 at 07:15 | Comment(0) | 私と御父母様 ・信仰の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月18日

「孝情」とはなんですか──真のお母様の答えは?! 



201218.jpg


デンマークの国家メシヤ五十嵐先生が
『孝情について』という記事を投稿してくださっています。


真のお母様は、2015年以降「孝情」という言葉を使い始められ、
今では私たちの運動や生活の中心的な言葉となっています。

私はこの言葉を最初に聞いた時、
どんな意味があるのだろうかと思いました。
孝行の心情というような意味なのかな、
それとも別な意味があるのかな等いろいろ考えました。

さて、先月ヨーロッパ・中東リージョンの日本人メンバー組織、
精誠会の定例集会において、当時日本のYSP会長であられた
竹内氏の講話があり、その中で「孝情」についての説明がありました。

上記のように私はその意味について知りたいと思っていたので、
私にとってそれは実に興味深いものでした。


彼によると、昨年文姸娥様が日本に来られた時、
その意味について聞いて見たそうです。

そうすると姸娥様も、
真のお母様に尋ねられということでした。

真のお母様は、それについて

「孝とは、天の父母様と真の父母様への
 親孝行であり、
 情とは、天の父母様と真の父母様と
 永遠の因縁を結ぶことである。」


と答えられたとのことでした。


ところで、「孝情」という言葉は、竹内氏によれば
韓国にもない全く新しい言葉だそうです。
もちろんこの言葉は、日本にもない言葉です。

先日韓国人である義理の息子と話す機会があった時、
聞いて見たらやはり韓国にない言葉だと言っていました。


そして、ここでもう一つ「孝情」の意味について紹介します。

今年の2月に天地人真の父母生誕100周年及び天宙聖婚60周年
記念行事の時配布された小冊子に、次のように記されています。

「真のお母様は、孝情とは、聖和の瞬間まで、
 天の父母様と真の父母様に孝誠を尽くそうとされた
 孝進様の心情であると語られた。

 また天の父母様に対する真の父母様の孝情を
 相続するために、不断の努力を重ねられ、
 誰よりも激しい、戦争のような熾烈な人生を生きた
 孝進様の心情、その心情こそが孝情であると語られた。」


これら二つの「孝情」という言葉の意味からわかることは、
「孝情」の「孝」は、
天の父母様と真の父母様への親孝行ということであり、
自分の親への孝行を意味する「孝」より
更に次元の高い意味を持っているということです。

またその「孝情」は、真のご父母様が最初に歩まれ、
その後孝進様が歩まれたということです。

更にもう一つ考えられることは、「孝情」には
天の父母様と真の父母様と永遠の(親子の心情の)因縁を
結ぶことであるということです。


この「孝情」という言葉は、歴史上全く新しい言葉です。

そしてこの言葉が出てきた背景には、真の父母様が、
天の父母様の前に真の子女として完全に勝利され、
絶対的な真の子女の愛を完成されたということがあると思います。

それで私は、「孝情」という言葉は、
絶対的真の子女の愛と言い換えることができるようにも思います。


真の父母様が、天の父母様の前に歩まれた道は、
絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道でしたが、
更に「孝情」の道でもありました。

「孝」が成立するためには、そこに親子の関係がなければなりません。

真の父母様は、天の父母様との間に絶対的な親子の絆、
心情関係を結ばれたが故に、天の父母様を解放されるために
「孝情」の道を歩まれたということができると思います。

そして真の父母様は、その勝利圏を私たちに祝福という形で与えてくださり、
私たちも天の父母様と真の父母様の前に、
真の子女という立場に立つことができるようになりました。

そして孝進様が、真の子女の立場でまずその「孝情」の道を歩まれました。
そして次は私たちが、「孝情」の道を歩む立場です。


「孝情」は他の宗教にもないことです。
というのは今まで人間は神様の前に、僕の僕、僕、養子の
立場であったために、神の真の子女として
孝を尽くすことができなかったからです。

クリスチャンも神様の前には養子の立場であったので、
神様を天の父と呼びましたが、
神様に孝を尽くすという表現は聖書にもありませんでした。

またイエス様が人類の実体の父となることができなかったので、
クリスチャンはイエス様を真の父と呼ぶことができませんでした。

本来イエス様は人類の真の父になるべきでした。
このことは私たちが良く知るところですが、
それはまたイザヤ9:6に「永遠の父」としてイエス様が来られる、
と記されていることからも知ることができます。


さて「孝情」は、私たちが天の父母様と真の父母様への
親孝行を意味していることが分かりましたが、
そのためには私たちが実生活の中でどれだけ天の父母様と真の父母様を
私たちの真の親として実感しているかどうかということが、
非常に重要だと思います。

そうでなければ孝誠を尽くすという心情が湧いてきません。
私自身、もちろん天の父母様と真の父母様を私の真の親として信じ、
生活していますが、今後どれだけこの心情を
高められるかが大きな課題だと思っています。

というのは、私は天の父母様と真の父母様の前に忠誠を誓う
という言葉には、もっとピンとくるものがありますが、
「孝情」というとまだ少し距離があるように感じているからです。


最後に私たちは、韓国人の中心的情は
「孝」であるということは良く知っています。

それは親への孝行の情で、それは世界共通のものですが、
とりわけ韓国においては深く、厚く、強いものがあると思います。

私はそれを個人的にも強く感じています。
というのは私には義理の息子が、日本人、デンマーク人、
そして韓国人といて、幸い皆とても頼もしい人たちです。

しかしこの孝行という世界では、韓国人の義理の息子が、
その心使い、その表現の仕方において頭一つ抜けています。

これは歴史的に培われて来たもので、
韓国人の細胞一つ一つの中に刻み込まれているように思います。
それで私は、彼から「孝」について学ぶことが多くあります。

これからもっと天の父母様と真の父母様の前に「孝」の心情を深め、
「孝情」の人生を歩んでいきたいと思っています。

五十嵐拝
(一部編集:文責ten1ko2)


「孝情」について、真のお母様のみ言をはじめ
さまざま紹介し、検証してくださり
ありがとうございます。

義理の息子さんのお話も、
実感として伝わってきます。
「孝情」のセンス、素養は
韓国人に見習うものがありますね。

お父様は、統一原理を解明されるにあたって
今までにはなかった言葉を書かれています。
特に創造原理の中に散りばめられていますね。

同じように、『孝情』という言葉も
真のお母様による
ありそうでなかった新しい言葉ですが、
お母様が、体恤されたものに違いありません。

あふれるような天への
心情を表現するものとして、
勝利圏があって発表されたのでしょう。

どんな立場の人であっても
求めて、勝ち取っていくべき『孝情』。

その言葉を知っていることも感謝ですが、
それを体恤し、どこを押しても
神様への思いがあふれてくる
『孝情の人』になりたいと思うのです。





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2020年12月17日

「神様が伝道する」 車いすの伝道師、霊の子誕生秘話?! 《森山先生》



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☆清平の紅葉☆


昨日のこと、スマホの通話履歴を見ると、
なんと森山操先生の名前が。。。
ズボンのポケットに入れていて、知らずに
掛けていたようです。

霊界からの知らせのような気がして、
今日は、森山先生の証しを紹介します。


森山先生が伝道されたとき、
まだ小児麻痺の後遺症が残っていました。
普通なら献身することが出来ない立場でしたが、
献身生活をしていかれました。

ただ、体が不自由なので、
みんなと一緒に活動することが出来ません。

宿舎で新しく来られた人に講義をしたり、
あとは掃除をするしかありませんでした。

森山先生は
毎朝、玄関の掃除をしました。

玄関に出て掃除をすることが難しいので、
イスに座りながら、
長いほうきを持って、
玄関を掃くのが日課になっていました。

ある女学生がその「ほうき」を見ました。
長いほうきが玄関のところを
ちょろちょろ動いている。
一体なんだろう、そう思って
宿舎を訪ねてみました。

すると車椅子で掃除をしている
森山先生の姿があったのです。

女性が「ここはどこですか」と尋ねると、
「神様の勉強をしているところなんですよ。
人生の目的、本当の幸せを得ることができるんです」

彼女は福祉学科の学生でした。
まさにそういう真理を求めていたので、
すぐにみ言を学ぶことになり、
あれよあれよという間に、献身されました。

すなわち、森山先生の
最初の霊の子になったのです。



森山先生は伝道をしようと思って
掃除をしていたのではないかも知れません。

でも、自分は外に行って活動できないから、
せめて掃除をしよう。
その気持ちに神様が働いて、
伝道することが出来たのでしょう。

「神様が伝道する」これは
真実だと思います。(下に関連のみ言を掲載)

といって、私が何もしないということではありません。
私は、神様の通過体になるのです。

私たちは、この肉体を頂いた者として、
神様と一つになって、
その願いを果たす存在になることが出来ます。

自分がない、というのでしょうか。
無心で為に生きることに没頭する。。。
まさに神様が働くことのできる
森山先生の姿であったのだと思います。


うちの教会に、耳の不自由な方がおられます。
その方は、み旨にとても前向きで、
仕事が休みの時には、路傍伝道にも出られます。

今週の路傍伝道の日も、
順番に街頭演説をし、その間
チラシや小冊子を渡すなどしていますが、
その日は、なんと「19冊」も手渡しされました。

私たちの中で、一番たくさん配られたのです。
先週も一位でした。

私たちは、アンケートをお願いしたり、
「おはようございます」とか、
「いい内容が書いてあるので読んでみてください」とか、
声かけしながらやっています。

ところがこの婦人は、黙々と何も言わず、
手渡ししているだけなのです。

出発式の決意表明で
「お母様のために、必死になって頑張ります」
並々ならぬ心情を語っていました。

もちろん、数字がすべてではないですが、
何か、森山先生に通じるものがあるので、
このような結果になったのではないか、と感じます。

一つの物事に、心情を込めること。
そして、私を通して、神様が働くこと。
学ばせていただきました。




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神様は人類が喜びと幸福に生きるように創造なさいました。
しかしアダムとエバの堕落によって
病気や苦痛・痛みに支配される人類歴史を重ねてきたのです。

その人間一人ひとりを見つめる神様の
決して楽ではない心情を理解できますか?
子供が苦しみに身悶えあえぐ姿を見つめながら
安々と生きる親がいますか?

神様は一片丹心変わることなく
我が子人間を復帰することを願っておられます。

その心情を思うとき、
今、統一食口に願われているのは「伝道」なのです。

私たち人間が伝道するのだと思っていませんか?
違います。
神様が伝道なさるのです。

神様ご自身が中心人物である私たちの身体を使って
伝道しているという事実を知ってください。

それなのに、中心人物の堕落性の故に
失敗してきたのです。

(2008年4月24日天運相続特別1DAYセミナーより)



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