2020年12月07日

「平和の母」の祈り すべての人が、野の花のように美しくあれ 《浅川先生》



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浅川先生の真のお母様自叙伝講話
今回は、「野の花のように美しく、松のように強い心を持つ」です。


人生は、思いどおりにはいかないものです。

自動車の運転は、カーナビをセットすれば
目的地に到達できますが、
人生は目的が不明瞭であり、
数多くの困難が道を遮っていくものです。

信じた天にだまされ、愛した人から裏切られる。
夫婦でも、言葉で傷つけ、傷つけられる。
病気、事故、経済的問題、自然災害、
最近ならコロナ災禍などが襲い掛かることもあります。

純粋に夢と希望を抱いて出発した人生が、
日々の生活の中で、不信と不満と猜疑心に苛まされ、
心が傷つき、汚れが付き、なえてくるのです。

会社や親族、町内の人間関係の煩雑さで、
天からどう思われ、どう評価されるかを
気にするようになり、自分らしさを見失い、
心の美しさと強さを失っていきます。

そのため、ひどく臆病な人生を歩むようになることがあります。


では、どうしたら、心が汚れず、美しさを保って、
何事にも動じない強さを持って生きることができるのでしょうか。

そんなときは、道端で健気に咲いている
野の花を見ればいいのです。

花にも、人間の手を介して咲く花と、
人の世話を受けずに、自然のままで咲く花があります。

花壇で咲く花、花屋に陳列される花、温室で手厚く育てられる花は、
大が丹精を込めて育てるので、日照りで枯れたり、
なえたりする心配はありません。

もし彼らに、「あなたが一番信頼する方は誰ですか」
と問えば、きっとこう答えるはずです。
「私を育ててくださるご主人さまです」

野の花に、同じ質問をしたら、こう答えるでしょう。
「私か信頼する方は、天の父母様、神様です。
神様は、いつでも、私を愛してくださいます。
暑いときには風を吹かせて揺らしてくださり、
渇きを感じるときには雨を降らせてくださいます。

私は、ひたむきに天の父母様を信じ、すべてゆだねています。
疑ったことは一度もありません」


人生は、神様なしに人だけを見つめていると、
一喜一憂し、心配で、疲れるだけです。

しかし、天の父母なる神様を信じてゆだねていけば、
必ず道は開かれるのです。

純粋に、神様の愛を信じて疑わず、誠を尽くす。
神様の道をひたむきに歩んでいく強さがあれば、
すべての困難と障壁は消滅するのです。

神様は、信じて求める人を決して失望させないからです。

世界平和の実現という最も困難な道を歩まれた、
文鮮明先生と韓鶴子夫人は、すべてを
神様にゆだねて精誠の道を歩まれました。

お二人は、野の花よりも美しい心と、
松よりも強い心を持たれていました。

人類の涙をぬぐう「平和の母」、韓鶴子夫人は言われます。

「私は世の中のすべての人が
 野の花のように美しく、
 松のように強い心を持ち、
 この芝生のように清く生きていけるように、
 一人、祈りを捧げるのです」

(『人類の涙をぬぐう平和の母』31ぺージ)


自叙伝書写小冊子より
「野の花のように美しく、松のように強い心を持つ」


自然を通じて、私の人生に語りかける
様々な教訓があります。

真のお父様も自然から、
神様の声を聞きましたように、
お母様も野の花を通して、
松を通して、神様の声を聞きました。

お母様ご自身が、野の花のように美しい心、
松のように強い心を持たれているので、
そのようなみ言を語られたのだ、と思います。

毎日の業務で忙しく、
このブログもようやく作っているような、
そんな状況ではありますが、
こういう時ほど、自然を見つめ、
神様のメッセージを受け止める、
心の余裕を持っていきたいと思わされます。。





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