2021年01月28日

本来の人間はこんなにも素晴らしい! 《奈田壽美子先生*父母と共なる生活》



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先日、奈田壽美子先生の
「父母と共なる生活」を紹介する、としましたが、
「神と共なる生活」を載せていました。
大変失礼いたしました。

改めてになりますが、
「父母と共なる生活」を紹介します。
第一章のメシヤ観より、「人間観」です。


メシヤ観が確立する前提として
まず理解しておかなければならないのが、
人間観の問題です。

自分自身が果たして何者なのかということです。

これを理解するためには、本来的人間の姿がどうあるべきだったのか
ということを明確にすることがきわめて重要です。
これについては統一思想の本性論で詳しく論じられています。

以前は、入会して三年ほどは
そういうことを考えるゆとりもなかったのですが、
今は入会者の成長していく度合がかなり早いので、
教育によっては一年ほどで
自己洞察ができるようになるのではないかと思います。


したがって初めは、人間の本然の姿がどんなにすばらしいか
という内容をたくさん学ぶ必要があると思います。

もし神がおられて、神が私たちをつくってくださったとしたならば、
どういう人間になっただろうか。

自分もその一人としてつくられているのだから、
こういうすばらしいところがあるし、
こういう可能性があるのだという、
自分自身の隠れた本性を開発するようにするのです。


最初にそのような教育を受ければ、自然に
自分の中に矛盾が出てくるようになります。
その次に、罪についての自覚が出てくるのです。

ですから、順番があるわけです。
いきなりメシヤが分かるとか、必要だと
思うようになるのではありません。
最初は罪も分からないのです。

本然の人間だったらどんなにすばらしいか、
本然の家庭、あるいは本当の理想の国というのは
どういうものなのか、これまで共産主義を理想と
考える人も多かったが本当にそうなのか、
などということについて教えてもらうことが必要です。


こういう理想論を個から全体に至るまでいろいろな形で与えられると、
人間というものは本性的に理想に向かっていこうとするものです。

こういう創造原理的な思考を私たちがいつでも駆使でき、
一緒に楽しく考えていけるようにすることがとても大切なのです。

今は蕩減や罪などを先に立てるのではなく、
創造原理の世界を全面に出していく時代だと思うのです。

とくに最近、文先生は本然の愛について多く語られています。
セックスの面も含めて、学者たちに話されたりするのですが、
本然の愛を基準に話しておられるので、聞かざるをえなくなります。

昔と違って今は、本来的な話が堂々とできる時代だと強く感じます。

奈田壽美子
「父母と共なる生活 
信仰生活の真髄をつかむ」 
第一章メシヤ観
一 人間観


真のお父様が解明された統一原理。
創造原理はその最初の章にあります。

その後、お父様は、1990年代になって公式的にも、
本然の愛の世界、特に夫婦の愛の世界などを、
より明確に語られるようになりました。

(奈田壽美子先生によれば、
もっと前からお父様は語られていたようですね。)

創造原理の核心部分である、
「四大心情圏」のみ言を語られるようになったのは、
1990年代の後半のことです。

創造原理が重要である、というのは、
言うまでもないことですが、
それまでは、罪や蕩減的なものを中心に
教育・指導がなされてきたことと思います。

奈田先生が亡くなられたのは、
1989年ですから、そのときすでに
お父様が語りたかったことを
理解されていたんでしょうね。
本当に素晴らしいです。

創造原理のみ言がある、というのが、
どれほどありがたいことか、
改めて感じさせていただきました。





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2021年01月27日

(2つの奇跡)*森山先生が再び立てた日! *余命3ヵ月の宣告、そして3年後・・・



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奇跡とは、
科学的な原理であるけれども、
時間を短縮して
一時に起こる現象で
地上で見つけなければならない。


御旨の道より



死の宣告を受けた人が、生還する。
治ることのないと言われていた病気が治る。
奇跡は、なぜ起こるのでしょうか。
もしかしたら、私たちにも奇跡が──

今日は、2つの証しを紹介します。

何度か紹介している森山先生、
そしてブラジルの食口の証しです。


小児麻痺の後遺症で車いす生活だったため、
みんなと一緒に伝道活動が出来なかった森山先生。
先生に与えられた責任分担は、原理講師でした。

教会に入教してまだ間もないにも関わらず、
同じ宿舎で生活しているメンバーが
連れてくる人に対して、み言を伝えるという
重要な役目を与えられたわけです。

しかも、伝道しているお姉さん方は
『ちょっと恐い』お姉さんばかり。。。

自分で連れてくる人ならいいのですが、
他の人が連れてくる人を生かさないといけないので、
真剣であり、切実でした。

森山先生は一生懸命講義しました。
そして、講義を始めて40回目のこと。

なんと、普通に歩けるようになり、
みんなと一緒に活動できるようになったということです。
まさに、神様の役事です。



ブラジルの食口の証しです。


その方は、教会に来てから
癌になってしまい、
「あと、3ヶ月の命」と宣告されたといいます。

とても信じることが出来ず、
3つの病院に行きましたが、
同じ答えだったのです。

自暴自棄に陥りそうになりましたが、
「こうなったら、3ヶ月間、
やれることの限りをやってみよう」
そう思って、伝道に邁進したそうです。

本当にがむしゃらに一生懸命活動をし、
120人を伝道しましたが、
すでにそのときは、3年が過ぎていました。

病院に行ってみると、先生には
「お化けが来た」かのように思われたそうです。

3ヶ月で死ぬと思っていたのに、
3年も生きているなんて・・・

まさに奇跡が起きたのです。



森山先生もブラジルの食口も
病気が治ることを考えて
活動したわけではないでしょう。

ただ、熱心にまさに命がけで歩む中に、
奇跡が起きました。

み言は霊的生命を生かすだけでなく、
私たち肉体の生命を生かすのだと感じます。

霊的に復興し、心(霊人体)が満たされると
体(肉身)によい影響があるということが、
原理でも説明されています。

  人間が神霊に接することによって、
  無限の喜びと新しい力を得て、
  持病が治っていくなど、その肉身に
  多くの変化を起こすようになるが、
  これは、その肉身が霊人体から
  生霊要素を受けるからである。
(「原理講論」創造原理第6節)

まさにこれではないでしょうか。

ちなみに霊人体が元気になるには、
神様のみ言を受けることと、
もう一つ、為に生きる愛の実践、
何より伝道がよいといいます。

イエス様の時代にも、
イエス様が復活されたあと、
ペンテコステ・聖霊降臨が起きたように、
今の時代も、実体聖霊(お母様)によって
多くの奇跡が起きています。

問題は、私たちが、
どれだけ切実にみ言を求め、
熱心に伝道しているか、
それが大切であると思うのです。





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2021年01月26日

病気の3日後には事件が 報告は3時間以内に?! 《李ヨハネ先生の信仰と生活》



210126-GustaveDore- Jesus calms the storm.jpgJesus calms the storm(イエスが嵐を静める)ギュスターヴ・ドレ


李ヨハネ先生のみ言
今回は、「信仰的『勘』」です。


神と一緒にいると心が平和で、
神と離れると、何か感ずるのです。
勘で分かるのです。

神の立場を離れた場合には、何か減少感が起こるのです。
何だかおかしいという勘が起こるのです。
それを区別すればいいのです。

信仰生活というのは、これをはっきり区別しないと、
結局、自分の信仰の内容を守ることができないのです。

それは、だれも教えてあげることはできないのです。
自分が自分の勘を分からなくては、
だれに教えられても、絶対にできないのです。

自分が自己の存在位置を離れたときは、何か不快です。
恐ろしい気がするとか、不安な気がする。
サタンはこういう条件を捕まえて、主管するのです。

この不安の時には、ゆったりした、
感謝する人のところに行って、
自分の不安を全部告白すると、すぐ治るのです。

自分の立場から離れそうになったなら、
自分より以上に自分の立場を喜んでくれる人のところへ行って、
自分の不安の事情を全部告白すれば、すぐ治るのです。


それは、三時間以上になったら病気にかかって
蕩減しなくてはならなくなるのです。

だから、寝る前に、その日の不安を
みな解決してから寝ないと、病気にかかって、
その三日後には、事件が起こるのです。
必ず起こるのです。

韓国でも、伝道をしに行って事故が起こったとか、
夜中にどろぼうが入って、全部
持っていってしまったとかということがありました。

こういう事件が起こったあとに、
「おかしいな、どうしてこんな事故が起こったのか
分からない」とよく言うのですが、
それは、この三日前に何かなかったかと、
よく情的に調べてみれば分かってくるのです。

そういう事件が起こる時には必ず、
夢にも勘にも、あらかじめ予感が来るわけです。



信仰の初期のころ、アベル(先輩・上司)の方に、
「報告は3分以内に。できなければ、3時間。
どんなに遅くても3時間以内にはするように」
と、よく言われましたし、私も
後輩(カイン)たちに言いました。

この「3数の報告」というのは、
おそらく、ヨハネ先生のこのみ言から、
広まったのではないか、と推測されます。

自分に問題があった時、
アベルに報告しづらくなるものです。

もしかしたら親との関係が良い人は、
そんなこともないのかもしれませんが、
私は、親に本音を言ってこなかったので、
アベルに報告する、というのが、闘いでした。

ですから、信仰生活の中で、相当訓練されてきました。
そして、報告するだけで、
心情が整理されるし、問題も解決される、
そのことをたくさん経験しました。

「私は神様を信じているし、
真の父母様と繋がっているから、
報告の必要性を感じない」
という人がいますが、どうでしょうか。

侍る生活、という観点から、
人類一家族、という観点からみてみたらどうでしょうか。

私の本心は、アベルを求めていく、
原理講論、アダム家庭にもありますね。
私には、アベルが絶対に必要です。
また、カインになる立場の人も必要です。

そう思っていたら、
「アベルもカインに信頼される、
アベルにならないとね」
という良心の声が聞こえてきました。

やはり、私たちは一つになって、
神様の喜ばれる関係を
築いていかなければ、と
改めて思うのです。




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