2021年01月05日

「泣く教会」は住宅街の普通の一軒家だった?! 《教会創立以前の証・金元弼先生》



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若き日の真のお父様(文鮮明師)が、
単身北に行かれた平壌時代、
教会の摂理史より以前のお話。

当時、「泣く教会」と言われたと聞きますが、
どのような所で礼拝をされたのでしょうか。

金元弼先生のみ言2回目。
「神霊と真理に満ちた礼拝」です。


先生がおられた教会は、今私たちが考えるこういう教会の
建物ではなく、普通の家庭の家でした。

その家には夫婦がいましたけれども、
長年の間、霊的体験をして
真理を求めてやまなかったという夫婦でした。

信仰生活をしながら、別居し夫婦の生活をしないで、
再臨のメシヤを迎える準備をしていた家庭でした。

また、親戚の人が二人一緒にいて、
信仰の生活だけを中心とした家庭でした。

その家は小さくて、部屋が一つありキッチンがあります。
キッチンといっても皆様のお国にあるそういうキッチンではありません。
また、いすを置いて食事をするようになっていません。

食事を作ったら、小さなドアから持ち運んで
食事をするようになっています。
寝室で食事をするということです。

そして壁の向こうに、一つの小さな祈祷室がありました。
庭があって、ここからも入れるようになっていました。
先生はこの部屋におられました。

韓国にはスチームがありませんでした。
皆様も韓国へ行って御存じでしょうが、
全部オンドルのシステムになっています。

しかしこの部屋は床式になっていて、
冬でも火を入れることはできませんでした。
そういうことを皆さんは頭に入れて聞いてほしいのです。

先生がおられた教会の建物は住宅街にあって、
ずーっと家が並んでいました。

皆様の家は、大きな声を出しても隣の部屋に声が
伝わらないようになっていますが、こういう住宅街ですから、
大きな声で歌ったりしますと隣の家にも聞こえるくらいに
近寄って建てられていました。

 
私が先生をその家に訪ねた時の様子を話しましょう。

その日は平日でした。

当時、「真理と神霊で礼拝する
南韓から来られた若い先生がいる」といううわさは
たちまちのうちに広まりました。

真理を求めて霊能者あるいは求道者が
しきりに先生を訪ねてくるという時でした。

私は何も分からない幼い時でしたので、先生に何も聞けませんでした。
質問することは全然ありませんし、言われることを聞くだけでした。
それは何も分かっていなかったので
質問することができなかったということです。

私が初めて先生にお会いした時から、
先生は新約聖書のロマ書を二週間教えてくださいました。

七月で、暑い夏でしたが、狭い教会に多くの人たちが、
いっぱい集まってみ言を聞いていました。

先生の若い時の情熱はすこぶるすごく、
講義が終わった後などは、韓国服は汗で水を絞るほどでした。

当時の私は本当に何も分からない、
小さな末端の信徒としていたのです。
最も幼い、年よりも幼く考えるほどでした。

神霊と真理に満ちた礼拝

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々


お父様の最初の教会。。。
狭い一軒家におられたとは、初めて知りました。

「教会」と到底表現できないようなところでしたが、
神霊が宿り、真理の実体であられる
お父様がおられるところが教会なのですね。

また、元弼先生に語られた最初のみ言は、
「ローマ人への手紙」
しかも、2週間も語られたなんて意外でした。
どんなみ言を語られたのか、
とても興味深いです。





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posted by ten1ko2 at 06:58 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする