2021年01月24日

なぜみ言が長いのか、なぜ大声で語られるのか 《平壌開拓 金元弼先生》



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金元弼先生の教会創立前の証しの続き。
今日は、『なぜ大きな声で語られるのか』です。

平壌時代のお話ですが、
お父様のみ言についてですので、
教会創立後の話も交えながら語って下さっています。


皆さん、み言を語られる時に
大きな声で語る理由を理解してほしいのです。

先生はなぜそんなにするのだろうかと考えるかもしれません。

み言を知らず真理が分からずに死にかかっている、
そういう人に真理を教えますと、
生き返って喜ぶ姿を見ることがあると思います。

それと同じく先生は人々が死の中にいるのを見ると、
それを生かそうとする深刻な心をもたれるのです。
先生はそのように考えてするのではなく、直接それが見えるのです。

そればかりではなく霊的に見れば、
サタンが傍らにいて連れていこうとする状態が見えるので、
話をする時に静かに語ることは難しかったと思います。

 
そして(平壌開拓の頃も)先生がひとたび語りますと
非常に細かく語られ、
時間にも注意していなかったのです。
ですから十二時になるのも分からなかったわけです。

それらの人の中には家庭を守らなければならない人もいます。
あるいは職業に就いていて、出社時間までに
行かなければならない人もいます。
学校に行かなければならない人もいます。

しかし、み言は非常に恵みとなりますから、
明日の時間や、これからの約束の時間を守らないで
み言を聞くようになったのです。

 
(後年)ある時、韓鶴子夫人が先生に、
「お父様、食口たちはみ言が非常に長いということを
言っていますけれども、なるべく短くすることは
できませんでしょうか」と勧めたことがありました。

その時に先生が夫人に答えたことは次のとおりでした。

「短くすることは私もよく知っています。
今この話をしてあげたらこの人たちが生き返る、
そういう人が見える」と言われるのです。

もしそれを止めたとするならば
そのまま生き返ることはできないというのです。

み言は人に生命力を与えるものです。
短くしたら別の人には良いのですけれども、
こちらの人はよみがえらないのです。

ですからその人の問題を解決するばかりでなく、
すべての人に解決を与えるために
仕方なく長く語らざるを得ないのです。

この世の講義とは違うのです。
知識を伝達するのと違い、生命をよみがえらせるために
長くなる、ということをお話ししてくださったのです。

先生と私たちと違うのは、死にかかっている姿や
生き返る姿が、先生には目に見えるということです。


話をする時、重要な点は大抵強調します。

先生が大きな声でお話しするのは、
その人にとって非常に重要なことですから、
真心を込めてあげようとすると大きな声に
ならざるを得ないと理解するのです。

愛する子供が泳げないのに、海の深い所へ
どんどんどんどん行ってしまうならば、
皆さんは子供が遠くにいるのに静かに
「帰ってきなさい。帰ってきなさい」と言いますか。
大きな声で叫ぶでしょうか。
それと同じことです。

 
私たちの背後には多くの善霊界と悪霊界があるということを
忘れてはいけないと思います。
私たちはそれがはっきり分からないのですが、
先生にはそれが全部見えるのです。

そういうことで、その時は何も分からなかったけれども、
今考えてみるとそういう事情であったのかと分かるのです。
それは時間がたつのを忘れて熱中して
み言を語ってくださったことから理解するようになりました。


(平壌開拓の頃)先生は本当にいつもいつも
汗を流し、さっきも言ったごとく
み言を与える時に涙で訴えてくださいました。

お祈りの時、あまりにも先生が涙を流し、
食口たちが全員涙を流すのを見たときに、
私は非常に苦しかったのでした。

なぜかといえば、そのように全員が涙でいっぱいなのに、
私は涙がでなかったからです。

お祈りの間は分からないのですけれども、
お祈りが終わった時には全員が涙をふくのです。

私には涙がないからそれが大変恥ずかしかったのです。
私だけが涙を流していないので、
その人たちが私を見てどう考えるか
ということを思うと非常につらかったのです。

そのくらいに先生と食口たちが、
たくさん涙を流したということを皆様に話したかったのです。

 
先生はたとえ年を取った食口であっても、
帰ろうとすると、それを決して喜びませんでした。

「もっとここにいるように」と
いつもいつも言われるのです。

また、先生は食口が見えないと、
来ないのだろうかと非常に待ち遠しくしておられました。

編集・文責:ten1ko2

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々


真のお父様は、まさに、霊的なお医者さんですね。

医者はある人が病気にかかった場合、
その人の命を助けるために、手術をします。

お父様のみ言を通して、
人は復活して生き返る、というのです。

また、み言を長く語ることを通して、
蘇る人がいるとするなら、
長く話さざるを得ないのは、
まさに「真の親」であるからにほかなりません。

私たちは誰がどのような状態なのか、
霊的に鈍くて全く分かりませんけれど、
私も講義する機会がありますので、
貴いみ言を語ることができることが感謝であり、
霊的生命を復活させるために、み言を語れるんだ。。。
そういう心情で臨んでいきたいと思うのです。






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posted by ten1ko2 at 08:01 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする