先日、奈田壽美子先生の
「父母と共なる生活」を紹介する、としましたが、
「神と共なる生活」を載せていました。
大変失礼いたしました。
改めてになりますが、
「父母と共なる生活」を紹介します。
第一章のメシヤ観より、「人間観」です。
☆
メシヤ観が確立する前提として
まず理解しておかなければならないのが、
人間観の問題です。
自分自身が果たして何者なのかということです。
これを理解するためには、本来的人間の姿がどうあるべきだったのか
ということを明確にすることがきわめて重要です。
これについては統一思想の本性論で詳しく論じられています。
以前は、入会して三年ほどは
そういうことを考えるゆとりもなかったのですが、
今は入会者の成長していく度合がかなり早いので、
教育によっては一年ほどで
自己洞察ができるようになるのではないかと思います。
☆
したがって初めは、人間の本然の姿がどんなにすばらしいか
という内容をたくさん学ぶ必要があると思います。
もし神がおられて、神が私たちをつくってくださったとしたならば、
どういう人間になっただろうか。
自分もその一人としてつくられているのだから、
こういうすばらしいところがあるし、
こういう可能性があるのだという、
自分自身の隠れた本性を開発するようにするのです。
☆
最初にそのような教育を受ければ、自然に
自分の中に矛盾が出てくるようになります。
その次に、罪についての自覚が出てくるのです。
ですから、順番があるわけです。
いきなりメシヤが分かるとか、必要だと
思うようになるのではありません。
最初は罪も分からないのです。
本然の人間だったらどんなにすばらしいか、
本然の家庭、あるいは本当の理想の国というのは
どういうものなのか、これまで共産主義を理想と
考える人も多かったが本当にそうなのか、
などということについて教えてもらうことが必要です。
☆
こういう理想論を個から全体に至るまでいろいろな形で与えられると、
人間というものは本性的に理想に向かっていこうとするものです。
こういう創造原理的な思考を私たちがいつでも駆使でき、
一緒に楽しく考えていけるようにすることがとても大切なのです。
今は蕩減や罪などを先に立てるのではなく、
創造原理の世界を全面に出していく時代だと思うのです。
とくに最近、文先生は本然の愛について多く語られています。
セックスの面も含めて、学者たちに話されたりするのですが、
本然の愛を基準に話しておられるので、聞かざるをえなくなります。
昔と違って今は、本来的な話が堂々とできる時代だと強く感じます。
奈田壽美子
「父母と共なる生活
信仰生活の真髄をつかむ」
第一章メシヤ観
一 人間観
「父母と共なる生活
信仰生活の真髄をつかむ」
第一章メシヤ観
一 人間観
☆
真のお父様が解明された統一原理。
創造原理はその最初の章にあります。
その後、お父様は、1990年代になって公式的にも、
本然の愛の世界、特に夫婦の愛の世界などを、
より明確に語られるようになりました。
(奈田壽美子先生によれば、
もっと前からお父様は語られていたようですね。)
創造原理の核心部分である、
「四大心情圏」のみ言を語られるようになったのは、
1990年代の後半のことです。
創造原理が重要である、というのは、
言うまでもないことですが、
それまでは、罪や蕩減的なものを中心に
教育・指導がなされてきたことと思います。
奈田先生が亡くなられたのは、
1989年ですから、そのときすでに
お父様が語りたかったことを
理解されていたんでしょうね。
本当に素晴らしいです。
創造原理のみ言がある、というのが、
どれほどありがたいことか、
改めて感じさせていただきました。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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