2021年02月16日

わが教会に新教会長就任、未来の希望がやってきた! *初礼拝のみ言は



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先日もお伝えしましたように、今回全国的な人事がありました。
真のお母様が、若い牧会者が少ないことを残念がっておられる、
そのことを知った方相逸(バン サンイル)大陸会長が、
啓示のごとく、二世牧会者(9名)を立てられたのです。

そのような経緯の中、私たち松戸家庭教会においては、
祝福二世の新教会長をお迎えすることになりました。

一昨日、就任礼拝がありました。
御自身の紹介などのあと、
み言を語って下さいました。

説教題は、「神の国と神の義とを求めよ」です。


私は、霊界にある「生命の書」に記されている人々の名前を知る機会を得ました。それらの人々は、歴史の中で迫害された哀れな、時には殺されて犠牲になった人々でした。一方、百万長者、偉大な政治家、地上での偉大な人々の名前は、そこには出てきませんでした。

怨讐を愛するという原則にかなう個人と家庭から、氏族、民族、国家を形成して、無条件に怨讐の国家、怨讐の国民を愛する国になったとすれば、その国が神様の願う理想の国となることができ、今日の成すべきすべての神の摂理を、神の理想を、実現することができるのです。神の祖国をあなた方の手で取り戻すには、怨讐を愛さなければなりません。怨讐を愛するとは、個人の怨讐を愛し、家庭の怨讐を愛し、氏族の怨讐を愛し、国家、世界の怨讐を愛するということです。このような原則を通さずしては、そのような理想の国は現れないことを知らければなりません。

『 祝福家庭と理想天国 』
(旧・み旨と世界)より
「神の祖国」

それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。
空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。
あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。
だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

新約聖書
マタイによる福音書6章25節〜34節


私が一番好きな聖句を紹介します。
イエス様のみ言、山上の垂訓です。

私は明日のことを煩いすぎるんですね。
何を食べようかと思い煩うことはないですが、
何か現実的なことで不安になったり、
家庭のことにおいても、食口との関係においても、
不安や心配がないわけではありません。

やはり不安や心配事、というのは、
多くの場合、現実的なことが多いです。

しかし、この聖句を思い起こすと、
「明日のことは明日がおもいわずらうであろう」
「野の花を見よ。野の花はつむぎもしない」
栄華をきわめた時のソロモンでさえ、
この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

ソロモン、ご存知ですよね。
神殿を建てたソロモン王です。
イスラエルの栄華の象徴と言えば、
ソロモン王の時代ですよね。

しかし、そのソロモンが築いた栄華よりも
野の花の方が美しいでないか、というのです。
神が創造したものは、美しいものなんです。

今の自分自身におもいわずらうな、
私たちが考えるべきことは何か、
それは神の国と神の義である、
そのことに思い煩わなければなりません。


週報に紹介したお父様のみ言、
これは1980年アメリカで語られたみ言ですが、
「神の祖国」というタイトルです。

世界には様々な国があります。
その国の起源はどこから来ているかというと、
民族の違いなど、一緒に暮らすことができないと、
境界線を引いたところから国が起こりました。

このような国々に、「神様の起源」があるかというと、
おそらく一つもないでしょう。
神様は歴史上、国をもつことができませんでした。

それでは、神様の国はどのようにして起こるのか、
歴史を通して、いがみ合い、敵を殺し、
恩讐を愛するところから国が始まりました。

復帰は反対の経路から始まるので、
恩讐を憎むところからではなく、
恩讐を愛する、そこからしか始まらないのです。

愛する人のために死んだ人はいても、
恩讐のために死んだ人はイエス様が初めてでした。
イエス様から真の愛の歴史が始まり、
歴史の中でイエス様が最も偉大な方である、ということを
「神の祖国」の中で、お父様が語られています。


お母様は「天一国の安着」を宣布されました。
具体的なことは、これから作っていくわけですが、
一番根底にある文化、それが
「恩讐を愛する」ものでなければならない、と思います。

今回、松戸教会に人事になりましたが、
(教会長になるのは初めてですが)
やることは同じだと思うのです。
今までもやってきたことは、愛することだった、と。

天一国とは、天宙平和統一国ですね。
天は二人の国ともいいますが、一人ではできません。
私たちが、愛を分かち合った国が天一国です。

私自身が一番信仰の根底で持っている
願い、希望としての神の祖国を実現するために、
私たち自身が本当の意味で真の父母様のように、
愛を持っていくこと、それを実践するものと
なっていかなければならない、と思います。

渡邊一喜(かずき)教会長
就任礼拝2021.2.14
文責:ten1ko2


とてもシンプルであり、
なおかつ素晴らしい説教でした。

教会長は、鮮文大神学科卒、
千葉中央修錬所の講師を10年間勤められ、
東京の教会の青年部長を3年間経験されました。

その青年部に大切な使命を感じておられ、
彼らを愛し育てたい思いがあったので、
人事の話が来ても断るつもりだったそうです。

しかし、兄(ヒョン)と慕う竹内大陸副会長が
直接青年部に訪ねてこられ、
天の願いを伝えられる中で、引き受けられたとのこと。

一つの青年部がどうのこうの、ではなく、
日本に対して、今の時に願われている内容が
とても大きいことを感じられたそうです。

大陸会長が、7年後にお孫様を中心とした
体制となるときに、今から準備しなければ
支える基台を作れないということもあり、
英断して下さり、今回の人事になったといいます。

新旧が入れ替わり、新しい教会長が36名立ちましたが、
2世教会長は9名、うち7名が第1地区ということで
先週の希望前進礼拝で踊りを披露されました。

2世牧会者をはじめとして、
若い牧会者が多く誕生した今回の新体制。

未来の希望がやってきてくださったことを
直接感じ、とても感謝ですが、
ただ恵みを受け、癒されて満足しているわけにはいきません。

真のお母様、そして、教会長と一つになって、
神の国を立てるためにまい進していきたいと思うのです。






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2021年02月15日

サタンと同じ建物に住むか、決別するか── 《奈田壽美子先生*父母と共なる生活》



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奈田壽美子先生
「聖書に見るメシヤ観」の続きです。


「サタンはよたもの(ならず者 やくざ)の世界的王様だよ。
 これが、見える王様じゃないんだよ。
 見えない王様だから、
 我々が目をつむっているのと同じだよ」


と文先生のみ言にあるように、
どんなに実践を積んできた、
どんなに神に近づいてきたと言っても、
自分がメシヤを迎えて、はっきりメシヤと
一つであるということが確認できていなければ、
いつでもサタンは隣り合わせにいるということを
自覚しておかなければなりません。


神は霊的な存在ですが、サタンも
神を押しのけてでもやってくる霊的存在なのです。
それを押しのける条件は自分にありますから、
いつも油断ができないのです。

サタンとはっきり決別していくためには、
どうしてもメシヤ、キリストという介在者が必要です。


キリストが自分の心の中にいつも住んでいなければ、
サタンは巧みに心の中に侵入してくるのです。

文先生も、

「サタンというのは
 他のどこにいるのでもない。
 私の中、自分自身の中にいるのだ」


と言っておられます。

すなわち自分という一つの宿の中に、建物の中に、
神が住むか、サタンが住むかの戦いだと言われます。


そして、サタンは巧みに言い寄ってくるのです。

「今、二十歳前後でこんなところに来て、
こういうことをやるべきじゃないよ。
十年くらい待っても統一教会はなくならないし、
人がたくさんいるのだから、
こんな苦労なんかしなくても追いつけるよ!」と。


それに対して、エベソ人への手紙四章22〜24節には、

「すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、
 情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、
 心の深みまで新たにされて、
 真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた
 新しき人を着るべきである」
 とあります。

聖書の言葉というのはとても深いと同時に観念的です。
これを理解するためには深く考えなければなりません。

脱ぎ捨てるべき「古き人」というのは一体何か、
「新しき人を着る」というのはどういうことか、
このような表現はなかなか分かりにくいのです。

しかし、分かってみるとすばらしいのです。
そういう聖句を聖書の中から抜き出して、
文先生のみ言と同時に学ぶことが必要だと思います。


先生もこう言っておられます。

「統一教会の信仰生活は、その習慣性を超えて、
 より以上の習慣性をつくるべきなのに、
 その基準を凌駕していくことができない。
 それは非常に難しい。

 それには、故意に反対の方向をとっていく
 という方法を、十年以上続けないと、
 そういう境地を凌駕することは難しい」。



新しい習慣性をつくることはそれくらい難しいものです。
では、一体何によってそれが可能となるのでしょうか。

それは、キリストの勝利圏を引き継ぐことによってです。
またそれを引き継ぐことによって、
新しい習慣性の形成も早くなるのです。

奈田壽美子
「父母と共なる生活 
信仰生活の真髄をつかむ」 
第一章メシヤ観
二 聖書に見るメシヤ観


先日、紹介した浅川先生の講話にもありましたが、
  最強の「鬼滅の刃」は、真の愛の心から生じる?! 見えない鬼の存在 《浅川先生》
私たちに巣食うサタン、
また、その手下である悪霊という存在は、
目に見えないから厄介なのです。

サタンは、私たちの堕落性を棲み家にするといいます。
お父様も、堕落性を脱いで、新しい習慣性に到達するには、
「十年以上続けないと、そういう境地を凌駕することは難しい」
と語っておられるわけです。

堕落の習慣性だったものを、
天の習慣性に変えるのは、
変わらない精誠しかないということでしょう。

それでも、変えていける道があるのです。
奈田先生が語られるように、
キリスト(真の父母様)の勝利圏を引き継ぐことができる
これがどれほど、ありがたいことでしょうか。。。

さらには、勝利圏の相続、と考えると、
もっともっと奥深いところを求める必要があるな、
さらにみ言を求めていきたいと思います。





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2021年02月14日

《笹本宣教師 殉教40周年》「信仰者は笑って死ぬんだよ」 夫婦でお父様と記念写真 



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アフリカ、タンザニアで笹本正樹宣教師が
殉教してから、昨年12月で
40年が経ったとのこと。

「世界家庭」に掲載された
奥さんの千恵子さんの証しの紹介です。


  2020年12月18日、青葉台家庭教会(東神奈川教区)で
  「笹本正樹宣教師 聖和40周年追慕礼拝」が行われました。

  笹本正樹宣教師(1800双)は、1980年に
  東アフリカのタンザニアに入国し、
  その年の12月に銃で撃たれて殉教しました(享年30)。

  2月号では、妻の知恵子さんが追慕礼拝で
  語った内容に加筆した証しを紹介しています。
  以下は、その中からの抜粋です。


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(1994年に)タンザニアの宣教師となり、
2年半、活動しました。

以前から、本心では「いつかタンザニアの宣教師として
入国しなければならない」と知っていました。
しかし、勇気が出なかったのです。

そのときは日本人の女性宣教師10人と一緒に
入国することができ、彼女たちから
勇気をもらうことができました。
私は心から神様に感謝しました。

タンザニアは自然豊かな国ですが、マラリアなどの
恐ろしい感染症と隣り合わせの国でもあります。
霊界を近くに感じられ、霊的な現象もよく起こります。

私は祈り求める中で、神様の願いや
心情を感じ取り、活動に励みました。……


帰国後、真のお父様が国家メシヤたちを南米・パラグアイの
フエルテ・オリンポに集めて開催された40日修練会に参加。
そのとき、お父様から証しをするように指名されました。

私が「夫は笑って死んでいました。
そのときの責任者から、『信仰者は笑って死ぬんだよ』
と言われました」と語ると、真のお父様は、
「そうだよ。信仰者は笑って死ぬんだよ」とおっしゃいました。

全体で記念写真を撮ったときのことです。
私は真のお父様の左隣に座らせていただきました。

そのときお父様が、右隣を示しながら、
「ここはね、笹本が来ているので、誰も座らないように」
とおっしゃいました。



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パラグアイのオリンポで真のお父様が
笹本夫妻と写真を撮ってくださる(1998年12月3日)

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  「一片丹心」を貫いた正樹さんと、その遺志を受け継いで
  歩み続ける知恵子さんの貴重な証しです。
  本誌では、正樹さんが地上で最後に書いた手紙も掲載しています。

  ぜひ、ごらんください。


『世界家庭』2月号 読みどころ 
笹本正樹宣教師 殉教40周年
真の父母様から愛された30年の貴い生涯
(blessed lifeより)


御父様と笹本夫人との写真を掲載しました。
この左側に笹本宣教師が霊的におられるのですね。
笹本夫人にとっても、心から嬉しく感動的な場面です。

写真をずっと見ていると、笹本宣教師が
実体でおられるような、
そんな感覚にさせられるから不思議です。

御父様の元に来ることができる、というのは、
殉教の歩みをされ、貴い精誠を積まれたので、
この場に参加できるのだろうな、と思います。

タンザニアといえば、以前、神氏族メシヤ活動において、
海外支援の対象になった国であります。

お母様の自叙伝にも紹介されているように、
義人ウンダンガ牧師が復帰され、
多くの信徒が祝福をうけていきました。

前任の教会長も、タンザニアに行かれたのですが、
笹本宣教師のお墓参りをされた、と聞いています。

笑顔で亡くなられた笹本宣教師。。。
その精誠の歩みが多くの実りになっているのだ、と思わされます。

今日はblessed lifeで紹介されたものだけですが、
内容の詳細を皆様も知りたいかと思いますので、
追って掲載する予定です。






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