2021年02月13日

枯葉一枚が天地?! その一言が、一生を左右することも 《李ヨハネ先生「信仰と生活」》



210213-Gustave Dore - The trial of Abrahams faith  -.jpg


李ヨハネ先生の信仰生活講座。
今回は、「何でもないことを天地と思え」です。


アブラハムが献祭において、はとを分別しなかったので、
四百年の苦役という問題が起こり、
イサクをささげなくてはならない
大きな問題になってしまったように、
何でもないことでブツブツ言ったその条件が、
私たちの一生涯の問題になって、方向が違っていくのです。

そういう不快だとかいう問題で、
教会に行きたくなくなるのです。

だから、教会へ来ない人で、
この「原理」は駄目だからやめたという人は少なく、
だれそれが嫌だからという、
人との関係においてそうなる人が多いのです。

「原理」と、その一生涯の問題と比べてみれば、
何万分の一にもならないのだけれど、
そんなことで全生涯を捨ててしまう
という例がたくさん見られるのです。


大切なことは、何でもないことを重要に思うことです。

先生は学生時代に、風に吹かれて舞う一枚の木の葉を、
天地の動きと思って見たそうです。

先生は、枯葉一枚にも、
そこに重要な問題があるのではないかと考えて、
そういうところでこの「原理」を発見したそうです。

私たちは、重要だと思うものには真剣になるけれども、
そういうところには絶対重要なものはないというのです。

一生涯や永遠の問題に対して、何でもない、
人間が笑って見過ごしてしまうような所、
価値がありそうでない所に、
神は重要な秘密を隠しておられるそうです。

ですから、きょう一日の不快な問題を解決しないで、
あすに持ち越すというのは、重要な問題です。
時間が過ぎてやり直そうと思っても、
大きな問題になっていてけんかになってしまうのです。


教会を離れてしまった兄弟が戻ってくるには、時期があるのです。
離れてから七カ月目とか、七年目か、七数で戻ってくる人が多いのです。

そういう人は、七年前、自分と親しかった人を訪ねてくるのです。
だから教会長は、その人を親しかった人に任せて、
どういうふうに歓迎するかというと、親しかった時の基準を認めてあげるのです。

やめてしまった七年前を思うと、恥ずかしくてたまらない。
だから、その時喜んだ基準を復活させてあげたなら、
恥ずかしさがなくなっていくのです。


こういう人たちは、喜んでいるその基準でもって、
失った三倍以上真を注がなくてはならないし、
三倍以上苦労するのです。

蕩減というものは、三倍、
歴史的、縦的なものはごく小さな条件で蕩減できますが、
自分自身が犯したものは、増えて、
三倍以上の条件を立てなくてはならないのです。

何でもないことを天地と思え

信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則
「心情開拓」
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)


アブラハムの象徴献祭の失敗。
三種の供え物は、牛と山羊・羊そして、鳩でした。
大きな牛、山羊と羊は裂いたというのに、
ほんの小さな鳩を、裂きませんでした。

供え物の準備は、僕(しもべ)に任せたと、
お父様が話されたことがあったと聞いています。
その僕が鳩を裂かなかったのですが、
僕に責任があったのではなく、
命令をしたアブラハムに責任があったわけです。

大きな岩は避けられますが
見落としてしまう小さな石には、躓(つまづ)きやすい。

また、天に大きな貢献をする、
大きな実績をあげる。。。
もちろんそのことは貴いことですが、
だからこそ、そのあとの信仰生活は適当にはできません。
今まで以上に大切に貴重に歩まなければならないですね。

大きな功労も大切ですが、
日々の小さな精誠も宝です。

「何でもないことを重要に思う」
お父様が体得されたみ言を肝に銘じていきたいです。





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2021年02月12日

(証)父母様に会ったことが、まさに「アメージング グレイス」だった! 《中村惣一郎先生》



197209.jpg
1972.9


ここまで勝利できたのは、
結局、先生じゃないよ。
すべては神様がなされた

Amazing grace!
How sweet the sound!
(驚くべき神の恵み
なんと甘美な響き!)──



天一国9年天暦1月1日。
第54回天の父母様の日、おめでとうございます。

本日は、中村惣一郎先生の証しを紹介します。
真のお父様、お母様と出会われた証し、
懐かしい思い出の数々です。


71、2年の秋、真のお父様が私たちを
韓国に呼んでくださったことがありました。
そこでは、いろいろな話をしてくださり、
私たちに責任と使命と方向を与え、
勇気づけてくださいました。

私たちが帰国する日のことです。
朝六時に真のお父様は青坡洞から水澤里の修練所においでになって、
右手にはめるようにと言われて、統一マーク入りの指輪を下さいました。

そして、バスに分乗して乗り込む私たちを、
真のお父様はバスのステップに上がられて、見送ってくださったのです。

私たちは「行って来まーす」と、意気揚々と出発したのですが、
お父様は、私たちの二台のバスをおひとりで
手を振りながら見送ってくださいました。

今、子供たちが大きな責任を与えられ、
励まされて出発していこうとしているのですが、
その子らの行く手には困難や苦難の多いことをご存じなのです。
“子供たちがそれを乗り越えていけるだろうか”と、
見守りながら送り出されるお父様のお姿でした。


また、ある年の秋のことです。
地区長たちを清平に呼んでくださったことがありました。

当時は、バスが清平の修練所に入ることができず、
手前の清平ダムの入り口から「天勝号」で船着き場まで行ったものでした。

船着き場に着くと、真のご父母様が私たち一行を出迎えてくださいました。

そこで、真のお父様とともに山を歩きながら、
み言を伺うという時間を過ごしたのです。
お父様は、帽子をあみだかぶりにして、そでをまくり上げられ、
まるで牛飼いのようなスタイルでした。

そうこうして、夕暮れになりました。
ずっと向こうの山の端に日が沈もうとしています。
真のお父様が「目をつぶれー」とおっしゃいます。
私たちは目をつぶりました。
静寂の中に風の音と鳥の声だけが聞こえるのです。

しばらくたって、お父様は
「宗教的指導者は、一週間に一回は自然に触れるんだよ」
と語られるのでした。

お父様と出会ったときの一場面、一場面が懐かしく思い出されてなりません。


また、私が米国にいたころのことでした。
私はそのとき、リージョナル・コーディネーターという、
韓国の先生がたのアシスタントのような立場にありました。

そのような日本人は、いつも最前列に座るように言われ、
私たちはお父様のごく近くに座っていたのです。

お父様は、「アメージング グレイス」という歌がとてもお好きでした。
これは、奴隷商人が悔い改めて作った歌だと言われています。

お父様が、イーストガーデンに責任者を集めてみ言を語っておられたとき、
「ここまで勝利できたのは、結局、先生じゃないよ。
すべては神様がなされた」と語られ、
「この歌を歌おう」とおっしゃったのです。

「先生は、神様もできないことをやったよ」と、
クリスチャンが聞くと驚くようなことも言われるお父様ですが、
それがお父様のすべてではありません。

「アメイジング グレイス ハウ スウィート ザ サウンド……」
「自分は失われていた、取り戻され、目が見えなかったものが
目が見えるようになった、何をもってあなたをたたえよう」
という歌です。

一番を歌い、二番を歌われて、「もう一回歌おう」と言われるのですが、
お父様の声が聞こえないのです。

お顔を拝見すると、目が涙でうるんでおられました。
そのとき、“お父様は神様の大きな愛を知られた、
だれよりも謙遜なかたでいらっしゃる”と思いました。

み言を聞いてから遅い歩みでしたが、
別の道を行こうと思ったことはありませんでした。
そして一つひとつ導かれて
神様の大きな広い愛を知るようになったのです。

初めから自分が望んで神様の元に帰ろうとしたのでもなく、
“教会には行くまい”とさえ思った私でした。
そんな私をここまで導いてくださったのは、
神様の愛と、真のご父母様のみ言と愛でした。

そして、私を後押ししてくれた良き先祖たちの協助があって、
このようにこのみ旨の道に来ることができたのだと思います。

神様の恨を解こうとして孝の道を歩まれる真のご父母様の前に、
少しでも孝をささげる者になりたいと思います。



「アメージング グレイス」
考えることができないような
驚くべき神の恵み──

お父様は、涙で歌うことが出来なかったといいます。
神様を心から愛されているがゆえの
お父様の姿なのだな、と思いました。

以前、中村先生の、お母様から
ドーナツをいただいた証しを
紹介したことがあります。
お母様も、私たちを実の子と同じように
接してくださったという証しです。

私たちは足りなく、幼いにも関わらず、
心から愛して下さっている真の父母様。

新しく迎えた天一国9年。
これからも孝情の心情をもって、
さらに飛躍する年にしていきたいです。




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posted by ten1ko2 at 10:08 | Comment(0) | 私と御父母様 ・信仰の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月11日

'泣く教会'の礼拝が熱かった理由 み言の共鳴体になる人 《平壌開拓 金元弼先生》



210211.jpg


平壌時代の熱い礼拝。
お父様が「3倍準備しなさい」と言われましたが、
受ける側の準備も必要でした。

金元弼先生の証し
「礼拝参加者の心得」です。


食口がほとんど準備していない、
そういう中で先生がみ言を語ろうとするとなかなか大変なのです。

そういう時には、たくさんの中で誰か一人でも、
よく準備していて基準のある人を見付けますと、
その人を中心としてみ言を語り始められます。

その人と授受作用がなされると
必ずその授受作用は繁殖の現象を起こしますので、
それによってもう一人が繁殖されます。
そして一人また一人と繁殖されて
全体が燃え上がるというものでした。

礼拝をされる時、全然心が通じない、
そういう環境の中ではのどが渇いて
なかなか言葉がうまく出てこないというのです。

これは非常に原理的で、対象を求めて授受作用すると
それによって繁殖していくという原理が適用されるのです。


皆さんが競技を見ている時、自分は感動しているけれども
声を出せなかったとします。

しかし、一人が非常に感動して声を出すと、
その声に合わせて授受して、その人が拍手すればこっちも拍手します。
こうなりますと全体が拍手するようになるのと同じことがいえます。

私たちも心情が通じないのにみ言を語ろうとする時、
全体を見ていては授受できる相対者を
なかなか見付けることができません。

その先生の様子から、授受できる人を見つけて
語り始めることが大事であるということを学びました。

皆さんも、水を飲みたい人がいるとすると、
その中でも水を本当に飲みたい人に先にあげるのと同じように、
恵みを求める心がほかの人よりももっと強いとするならば、
神はそういう人を通じて行われるのだということを覚えてほしいのです。

朝早くから誰よりも先に来て、
先生のみ言の恵みを求めて受け入れる準備をしている者がいるとすれば、
その人はみ言の恵みを先に受けるようになるでしょう。


私がニューヨークにいた時に、
先生は朝早く聖日礼拝のみ言を語ってくださいました。

そのみ言の中で、一番前の座席を取ろうと思って
前日から来て待っていた
十代の若者たちがいるということをおっしゃいました。

先に来ないとほかの人に前の席を譲らざるを得ないわけです。
ですからその席を譲るまいと思って、いつも誰よりも先に来るのです。
寒い時でも、とにかく朝早くから祈る人がいる
ということを非常に喜んで話してくださいました。


(平壌開拓時代)探し求めていた真理を聞くことによって、
生涯にない感激を受けたメンバーたちは、
自分の家に帰ることを忘れていつもいつも
教会から離れようとしませんでした。

最初のメンバーたちは、真理を大変求めていた人たちであり、
また神の啓示を受けて、
約束されたメシヤを待っていた人たちでした。

それだけに先生のみ言を受けるとすぐ変わりました。
ちょうどのどが渇いていた羊のような立場であったからです。


前にもお話ししたように、非常に感動した人は
教会を離れ難くなりました。
そうしますと、家庭からも教会からも
たくさんの迫害を受けるようになりました。

心の喜びを知った人は、自分の家や今まで通っていた
教会にいることがなかなかできませんでした。
そういう心情は皆さんもよく体験していると思います。

心から真理を求めていた人が真理を知るようになり、
神のお告げを受けていても分からなかったのに、
そこに神の啓示を知ったメシヤを迎えることができたのです。

その喜びは、何ものにも替えることのできない、
そういう貴いものであったがゆえに、
一方でたくさんの迫害を受けたのです。


先生はある期間を経過して、そういう食口たちに
これからは家に帰り、そして教会に帰って、
その中でこのみ言を伝えるようにと指導されました。

ところが食口の心はそうではありませんでした。
それはちょうど墓地に行くようにつらいことでした。

昔の教会に行ったら、前は非常に良かったのですけれど、
今はそこにいることができないのです。
それで先生の言うことを聞かずに、
再び先生のところへどんどん来てみ言を聞こうとしました。

そのように真理を慕って恵みを慕ってきた人に
「お前帰れ」ということができませんから、
先生はまたみ言をたくさん語ってあげました。

ある人は、「帰れ」と言われても帰らないのです。
そういう体験をしたことがある人は、
そういう心情によく共鳴するものがあると思います。

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題

I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々
礼拝参加者の心得


授受作用の原理原則ですね。

最も精誠を尽くされる人を中心に
繁殖、発展していき、
礼拝の復興がなされていく。。。

草創期、特に教会創立以前の平壌では、
復興の度合いが半端なく
「いつまでもみ言を聞いていたい」
離れがたい心情をもっていたのでしょう。

実際に、お父様がみ言を語られる空間以外では、
み言を得ることができなかった時代です。

そのような状況で『帰れ』と言われるのは、
言われた食口たちも辛かっただろうし、
言わざるを得ないお父様ご自身も、
何より辛かっただろうと思います。

今、真のお父様に直接会えなかったとしても
ふんだんにみ言を学ぶことができることに、
心から感謝しつつ、その貴さをかみしめて、
もっともっと復興する者になっていきたいし、
また多くの人たちに広めていきたいと思うのです。





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