2021年03月22日

結婚30年、初めて聞いた妻の本音・・50歳になって気づいたこと 《自己牧会プログラム》



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自己牧会プログラム、
『出会って30年、初めて聞いた妻の本音』です。

出会って30年、初めて聞いた妻の本音
(男性 50代)
6500双の祝福を受け、妻とは30年以上の付き合いになります。

妻は穏やかな人で、けんからしい
けんかもなく過ごしてきました。
私はずっと教会のスタッフという立場で歩んできました。

ある時、人間関係がうまくいかないことがあり、
家で「人間関係って疲れるね」とつぶやいたことがありました。

妻は「ふーん」という反応だったので、
私は少しイラッとして、「疲れると思わないの?」
と聞いたら、「分からない」と答えました。

納得できず、さらに「どうして分からないの?」
と聞いたら、「人間関係で悩んだことがないから」
という返事です。

私はさらにイラッとして、
「人間関係に真剣じゃないんじゃないの」と
意地悪なことを言ってしまいました。

それでも妻は、
「そうかもね」という穏やかな反応でした。

 
そういう中、私は自己牧会プログラムに出合い、
いろいろなワークを実践するようになりました。

ある時、私がワークの恩恵について妻に話したところ、
妻は「本当にお父さんはワークのおかげで
解放されてきたね。私も解放されたい」と言いました。

そして、長年の積もり積もった思いを語り始めたのです。


私はそれまで、妻に針の先ほども気を使わずに暮らしてきました。
やりたい放題、伸び伸びと過ごしてきました。

長男を授かった時も、彼女は体重が落ち、
やせ細って大変だったのですが、私は毎日変わりなく、
朝家を出たら夜の11時過ぎに帰宅、という生活を続けていました。

彼女がご飯を食べたかどうかも全く気にせず、
彼女の横で熟睡していたのです。
妻は体調が悪くても一人で育児を頑張り、
一言も文句を言いませんでした。


彼女の話は、そこから始まりました。

最初、私はソファにもたれて聞いていましたが、
次第に「これは姿勢を正さないといけない」と思わされ、
最後は「申し訳ありませんでした」と謝罪しました。

私は妻のことを、「愚痴を言わない人」
と思い込んでいましたが、こちらが聞く姿勢を持つと、
意外に「愚痴を言う人」でした。

それを知ってからは、
きちんと妻の話を聞くようになりました。


聞くときは、自己牧会プログラムの教えに従い、
「共感する」という基本の基本を大事にするようにしています。

以前だったら、何かアドバイスしなければならない
と思うあまり、「でもみ言はこうだから」
みたいな対応をしたかもしれません。

でも今は、「ああ、大変だね。よくやっているね」と、
寄り添う言葉が自然に出てくるようになりました。

すると彼女も「聞いてくれてありがとう」と、
晴れやかな顔になるのです。

 
自分のこと、妻のことを理解しているつもりでしたが、
ワークを通して心が整理されてくると、
分かっていないことがたくさんあったなと、
50歳になった今、ようやく気付くようになりました。

今もまだ分かっていないことがたくさんあると思いますが、
家族で一緒に座ってご飯を食べているだけで
「今ここが天国だな」と思えるようになったことが感謝です。

私の心の中にいる神様 61
出会って30年、初めて聞いた妻の本音


題目に目が留まったので、
今日は投稿させていただきました。

一番身近な人に対して、
自分の「思い込み」で認識している。。。
もしかしたら私たちも、
そういうことが多いかもしれません。

神様がどう見つめているのか、
そのことを実感するためにも、
心のワーク、良心を先立てていきたいと思います。

そういった意味では、
夫婦でブログをしていることは、
本当に感謝です。

もっともっと、味わい深い関係を
築いていきたいですね。




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posted by ten1ko2 at 09:01 | Comment(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月21日

お父様の実験、極と極のカップル 777で一生分のみ言を頂きました 《大谷先生》



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統一思想研究院副院長をされていた故・大谷先生の証しを
いつか書きたいと思っていましたら、
先日、ある婦人から、コピーを頂きました。

777双の大谷明史(あきふみ)・よし子夫妻のお話です。


よし子さん
1970年10月に行われた七七七家庭のマッチングは
朝から始まり、私たちは午後の三番目に決まりました。

マッチングが全て終わり、二日後に
真の父母様がお見えになって、み言を語ってくださいました。

このとき、真の御父様はみ言の途中で突然、
「大谷、立て!その相対者も立つんだよ』とおっしやったのです。

真のお父様は、「この男は学者なんだよ。
学者はね、机さえあれば満足している。
しかし、この女は強いんだよ。
男の一人や二人は問題なく食べさせていく力が
あるんだよ」とおっしゃいました。

この七七七家庭の祝福で訪韓した期間に、
真のお父様に夫婦で七回立たされ、み言を受けました。
一生分のみ言を頂いたようなものです。


明史さん
私は統一教会に出会う前、りっぱな科学者に
なることを夢見て、大学院で学んでいました。

ですから、み言を聞いて教会の活動を始めるようになっても、
科学への志は捨てがたく、科学と宗教(大学と教会)の
二つの道を行く決意で歩んでいました。

三年間の学生部での歩みの中で、
「科学は確かに人類に豊かな生活を与えたけれども、
人類の幸福を実現することはできなかった。
今、重要なことは、これ以上の科学の進歩よりも、
人間の心に作用する悪(邪心)と闘って
真の幸福を実現することだ」と悟り、
全ての本や実験データを処分して
教会で献身的に歩むようになったのです。

真のお父様はそのような私の過去をご存じでした。
それで、お前は本と机だけあれば
満足しているような男だが、生命力に乏しい。
この女は雑草のようにたくましく、生命力がある」
とおっしやったのです。

また、「皆は、このふたりはとても合わない
と思うだろうが、先生はそうは思わない。
必ず良い夫婦になるだろう。

極と極が一つになれば、
その間にあるものは全て含まれる。
互いに足りないところは補い合いなさい」
と語ってくださいました。


よし子さん 
真のお父様は、「束大の博士課程修了者と
中卒の女性の極と極を合わせて、
そのふたりがどのように勝利していくか、
先生は見てるよ」とおっしやいましたね。

私は、「私は高卒なのに、どうして?」と思っていました。


明史さん 
何年後かに、妻が真のお父様に「私は高校を出ています」
と申し上げると、「そうか、そうか」と
言いながら聞いていらっしやいました。

ところが、その後も何回か、「束大の博士課程と
中学出の女を祝福したんだ」とおっしやったのです。


よし子さん 
それは、これの一つの摂理だからだと思います。

実は、韓国でも、男性が中学出で、女性が最高の教育を受けた
というカップルが既に二家庭くらいあったのですが、
それらの家庭は壊れたのです。

それで、私たちは三組目で、必ず勝利しなければなりませんでした。
摂理は本当に不思議なものです。

七七七家庭でも、真の御父様が「この家庭は兄妹だよ」と
言われるようなカップルもあります。
本当に兄妹のように心情が近く、
夫婦が一つになっているので、うらやましかったです。

私たちは真のお父様から
「三十年すれば、うまくいくよ」と言われたのです。

お父様の語られた三十年とは、
生涯を通して一つになりなさいということだと思います。

ですから私は地上生活だけを見てはいません。
霊界に行けばうまくいくだろうと思っているのです。
これが、私の中にある真の御父様の世界です。

今はやっと、お父様に「ありがとうございました」
と言えるようになりました。
それが何よりも宝です。
ここまでは本当にいばらの道でした。

「永遠」に責任を持たれるかた
大谷明史(あきふみ)・よし子

慕わしきわが主、わが父母
(真の父母様との思い出)
TODAY'S WORLD JAPAN 2015.9より


大谷先生は、生前、
千葉中央修錬所の21修において、
統一思想の講義を担当されました。
とてもわかりやすく話され、
また意外にも、ユーモアのある方だな、
そんな印象を受けました。

約2年前の、2019年4月18日に聖和されたのですが、
直前まで、重いがんを患っていることは
一切、誰にも話されませんでした。

「極と極の祝福」
お父様が「実験するから見ていなさい」
そのように語られて、マッチングをされた
大谷先生ご夫妻。
このあとの証しもお楽しみに。。。





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posted by ten1ko2 at 08:48 | Comment(0) | 祝福の価値 祝福の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月20日

原罪に目覚めなければ、本当の悔い改めではない?! 《奈田壽美子先生》



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「悔い改めます」と簡単にいいますが、
本当の悔い改めは、ちょっと基準が高いようです。

奈田先生の「父母と共なる生活」
今回は、『悔い改め』の前半です。

四 悔い改め
罪を自覚した立場の次は、悔い改めの段階に移ります。

悔い改めを分析すると、

(1)反省と悔悟、
(2)心の転換、
(3)告白、
(4)罪との決別、
(5)救いの切望

の五つの過程に分けることができます。

「悔い改めなさい」としきりに言われますが、
本当に悔い改めたかどうかを知るためには、
どこまで悔い改めたのかをはっきりと確認する必要があります。

ところが、実際はその確認をしていないことが多いのです。


自分は今、反省と悔悟という段階にあるのか、
心が転換しつつあるのか、
本当に自己を見つめることによって
罪を告白せざるをえなくなっている段階なのか、
はっきりと罪と決別して罪から逃れたいと
切望している段階なのかと確認する必要があるのです。

そのように確認して初めて、救いが自分の願いになってくるのです。
一つの悔い改めというものの中にも、
このような段階があるのです。

(1)反省と悔悟
反省と報告は蕩減生活の原則であるといわれますが、
ここで注意しなければならないのは、
内的報告をしなければならないということです。

往々にして、自分自身の内面がどう変わったか、
どういう蕩減生活をして、どういう結果が
現れたかというような報告をすることが少ないのです。

反省と報告の本当の意味は、こういう内的なものなのです。
報告・連絡・相談にも、
外的なものが多いようですが、これは問題です。

反省と悔悟で注意すべき点は、
内的な報告、内的な反省をすることです。
それがないと向上しません。

サタンは内的に自分の中に働くので、
自分の中にある神の性質とサタンの性質とが
見分けられなければなりません。

正直に自分を診る、反省するという方向に
持っていかなければならないのです。

 
それから、自分中心であるかどうかという問題です。

自己中心性を取り除くことについては、
聖書の中にたくさんのみ言があります。

例えば、テモテヘの第二の手紙三章2〜5節に、

「自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、
 高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、
 思を知らぬ者、神聖を汚す者、無情な者、
 融和しない者、そしる者、無節制な者、
 粗暴な者、善を好まない者、裏切り者、
 乱暴者、高言をする者、神よりも快楽を愛する者、
 信心深い様子をしながらその実を捨てる者」


とあります。


こういうみ言を一つひとつ挙げて、思い当たるものはないかと
自分をチェックしてみるか、
あるいはコリント人への第一の手紙一三章4〜7節の
愛の記述を取り上げてみるのもよいでしょう。

「愛は寛容であり、愛は情深い。
 また、ねたむことをしない。
 愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、
 自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
 そして、すべてを忍び、すべてを信じ、
 すべてを望み、すべてを耐える」


 
こういう聖句を一つずつ解釈すると、
それを聞いて皆よく反応します。
自分にぴったり当てはまる内容が多いからです。

そういう聖句をいつも繰り返し、繰り返し、読むようにしたり、
聖書で何か心に響くところがあれば抜き書きしたり、
人に読むことを勧めるのもよいでしょう。

そのように、自分で乗り越えていけるような材料を
手元に集めておくとよいと思います。

聖書には、割合容易に気がついて、
内的な課題を乗り越える手助けとなるものがたくさんあります。
そういう生活に密着したものを読んだり、
記憶しておくことは霊の成長に役立ちます。

 
さらに、自分を中心とした問題だけでなく、
先祖の問題だとか、民族や国家の問題など、
義憤心、公憤心といった「公」に対する気持ちも
どんどん引き出していく必要があります。

悔い改めの気持ちが進み、
自己中心的な思いがだんだんなくなってきて、
初めて「原罪」という問題にぶつかるのです。

その時に初めて、情的問題が堕落の根本にある、
これがあのアダム・エバの犯した問題であったのかと
気がつくようになるのです。

こういう問題に突き当たった時に、
神に本当に近くなっているのです。
ですからその時に、どのように
情的問題を転換するかということが、とても重要です。

 
アダム・エバが不信仰に陥った過程を見ると、
まず神のみ言を忘れたということです。
これが不信仰の始まりでした。

そしてあくまでも神に相対すべきであったのに、
神を抜かして天使長と横的に相対したということ、
これが誘惑に陥った原因です。
これは中心性の問題としてとらえることができます。

すなわち、自分の内的な生活を何でも神に報告、相談しながらいけば、
エバもアダムも、そういう過ちは犯さなかったということです。

エバやアダムが神に向かうのでなく、
神を通さずに横的に行ったということが、
情を横に流していく原因になってしまったのです。

その結果、不道徳になり、情の用い方を間違ってしまったのです。
そして性的に堕落したから、最終的には
血統的問題として残るようになったのです。

 
原罪を血統問題として理解することはとても難しいのです。

これは、祝福を受けて初めて実感していく問題なのです。
この血統問題と祝福とのつながりについてこれから述べますが、
その前提になる罪の自覚の段階の方がずっと重要だと思います。

すなわち、「自分は汚れているのだ。自分は本当に汚い、醜い。
自分で自分が嫌だ。風呂に入って骨になるまで自分を磨いてみたい」
というほど悔い改める段階までいかないと、
原罪や血統の問題はなかなか分からないのです。

原罪に関して本当に目覚めていないうちは、
悔い改めに至ったとはいえません。

奈田壽美子
「父母と共なる生活 
信仰生活の真髄をつかむ」 
第一章メシヤ観
四 悔い改め


真のお父様は、
「堕落観念に徹せよ」と語られました。

すでに祝福を通じて、
原罪を清算された立場であったとしても、
罪の中にいた者である、
という自覚と感謝は必要なのではないでしょうか。

罪とは神様を悲しませること、
神様と関係なく、自分中心に生きること。。。

ですから、祝福を受けたからといって、
すべての罪がなくなったわけでは
もちろんありません。
むしろ、自らの穢れや不足を
より感じるようになっているかもしれません。

今は、天一国時代を迎えて、
本然の時代に入った、と言われています。
ある意味、罪と関係ない者に
なっていかなければならないのでしょう。

神様、父母様に出会ったことにより、
救われ、生かされている者である、
そのことを強く感じつつも、
だからこそ、本然の者に近づいていくためにも、
深い悔い改めが必要なのではないかと思うのです。





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