2021年03月14日

霊界から導かれた霊能者のおばあさん 若きメシヤにどう侍ったか 《平壌開拓 金元弼先生》



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金元弼先生のみ言、
「霊界から導かれたおばあさん」です。


先生に指示を求めて訪ねてくる人というのは、
私たちにとって学ぶべき内容をたくさんもっている人たちでした。

苦しんだ人には苦しむ人の事情が分かるように、
この人たちが神の真の心情を求めて、
どのくらい苦しい道を歩いたかということは、
そういう境地を通過してこそよく理解できるのです。
そういう人たちの話を全部することはできませんけれども、
何人かの人の話をしてどういう人であったか
ということの一端を考えてみたいと思います。

七十歳近いおばあさんの霊能者がいました。
その人は韓国の土俗宗教を熱心に信じていた信仰深い人でした。
七つ星を信じ、それを神と信じていた人です。
四十歳の時、その人に神が現れました。
丘に上がって丘から平壌市内を見せながら、
「三角形になっていて屋根が鋭く、
その上に十字架がかかっている所があるでしょう」と言われました。
毎日曜日には鐘が鳴るそういう所があるのですけれども、
そのキリスト教会を訪ねなさいと教えてくださったのです。
そして、「これからは私に従うのではなく、
そこに従うようにしなさい」と教えてくださいました。
彼女にはキリスト教とは何かが分からないので、
屋根に十字架のある建物を訪ねなさいと教えてくださったのです。

ところが、教会に行って聖書を手にした時に、
神のみ言が全然読めないので大変困ってしまいました。
その当時の韓国では、男の人には勉強させたのですけれども、
女の人は学校にも行かせませんでした。
それで彼女は字が分からず、み言を読めなくて非常に困っていた時、
神は「それでは私が文字を教えてあげよう。
そうすればあなたは聖書を読むことができるでしょう」
と言って字を教えてくださいました。
そして神は聖書の1ページを開くように示しました。
すると白い髪の毛の人が現れて、
彼女の手を文字一つ一つにあてながら、
「この字は何という字だ、その次は何という字だ」
という具合に教えてくださり、聖書が読めるようになったのです。

そういう霊能者を周りの人たちは神のように考え、慕っていました。
というのは、いろいろと困難なことがあって彼女を訪ねると、
彼女はその人たちに過去のこと、現在のこと、
将来に起こることを話してくれたからです。
病気になった時には治してくれたり、難しい問題が起こっても、
それに対してどうすればいいかということを
一つ一つ絵を見るごとく教えてくれたのです。

彼女は毎朝早く、高い山に登っていってお祈りをしていました。
ある時には、何かに乗せられてそのまま体が浮いて、
山の上に置かれたという体験もしました。
また別の日に、お祈りのために山の中の林を歩いていると、
とても古い木がありました。
その木が彼女に話しかけるのです。
「おばあさん、おばあさん」と。
それで振り返ってみると古い木が呼んでいるのが分かったのです。
その木は、「おばあさん、人が使うところで
一番汚いところでもいいですから、私を使ってください」と頼むのです。
一番大事にするタンスなどの材料に使うものもありますが、
トイレといった汚いところに使われる木もあります。
ですから木は、そういう所でも構わないけれども、
人の近くで使われる、そういう所で使ってくださいというのです。

また、ある人は四十日断食の最後の祈りの時に、
部屋の中に、お皿に白くてとてもおいしそうな
パンが載せられているのを見付けました。
ひもじいのですから、直ちに食べたい思いでいっぱいでした。
けれども、「これはサタンが私を試験しているのだ」
と考えて、すぐにそれを取って外に投げ捨てたということです。

そういった信仰の篤実な人たちですけれども、
先生のところに訪ねてくると、彼女たちにとって
先生は孫のような年なのですが、
先生に最も近いところに座りたがるし、
先生の着物にでも触れたいという心持ちでした。

先生は夢や幻を見たり、病気を治したり、
心霊を透視するというようなことはされませんでした。
ですから、平凡で、私たちと同じように
感じられる時がたびたびありました。
指導者然とした格好ではありませんでした。
私たちと同じようだったのです。
礼拝の司会をされる時も、説教をされる時にも、
私たちと同様に座っておられました。
食事も同じようにされますから、全然気が付きませんでした。
特別に座布団を敷かれるのでもありません。
先生は自ら語られることはなかったのですが、
信仰の篤い霊能者たちの侍り方を見て、
先生がどんな方か推し量ることができました。

その霊能者たちは先生の説教を、小学生がその先生の話を聞くごとく、
従順に聞いているのです。
また、聖日礼拝が終わると昼食の時間となるので、
たびたび礼拝の後に食事を共にしました。
食事にしても全く同じ食事でした。
平日でも、そういう人たちがいつもいつもいっぱい来ており、
お話の後にお昼になれば教会で一緒に食事をするようになりました。

そこに集ってくる人は中流以上の人たちで、
食物に関して少しも不自由を感じないそういう生活の人でした。
ですから自分たちの家でする食事よりも、
教会での食事は非常に貧しいものでした。

そういう中で、食口の中には、胃腸が悪くて
食べ物がなかなか食べられない人がいました。
その人は長年の間、治らない病気にかかっていました。
それは、当時の韓国の社会では医学が発達していなかったからです。
先生は食べていた御飯を少し残して、その人にあげました。
その人は、消化するのもなかなか難しい状態でしたけれども、
先生を心から信じていましたから、その御飯を食べました。
すると、不思議なことに長年胃腸病であったのが、
食べた次の週には治ってしまったのです。
このようなことが一人、二人と起こり、どんどん数が増えていきました。
それでみな、先生が食事される時はいつも、
「少し残して私にくだされば……」と願うようになったのです。
そのため、その時から教会の食事は
「薬御飯」と言われるようになったのです。
教会の食事は特別なものではないのですが、
自分たちの家の良い食事よりも、
みな教会に来て食べることを願ったのです。

最初、霊能者たちは先生がどんな方か気が付かなかったのですが、
徐々に霊界がいろいろなかたちでお告げして、
彼らは「先生をこのような所で休ませるのは間違いである」
と気が付いたのです。
そこで献金して先生の部屋を直すことになりました。
部屋を造ることはできないので、
壁を新しい紙で張ることにしたのです。
韓国では、紙を張るときには
メリケン粉を煮てのりを作っていました。
婦人たちは長年の間、のりを作った経験があるので、
誰でものりを作ることができるのです。
ところが、粉を混ぜてのりを作ったのですが、粘り気がありません。
本当に不思議なことでした。
めったにそういうことはないはずなのに、粘り気がないのです。

そこで気が付きました。
先生の価値が分かってからは、
今まで家で使っていたものの使いかけで作ったのでは、
真心込めて侍るということにはならないと悔い改めて、
新しい物を買い入れて作ったのです。
そうすると全く同じ作り方なのに、
今度は、大変粘り気のあるのりができたのです。

I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々
「霊界から導かれたおばあさん」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題


霊能者のおばあさんのように、
真のお父様がどれだけ貴いお方であるか、
霊的に感じているので、
慕わしい心情で接して、侍っていきました。

今は、食口も世界規模になりました。
特別な責任者でない限り、
真の父母様と直接侍ることはできません。

しかし、その代わりに与えられているのが、
私たちにとっては、牧会者ではないでしょうか。

また、薬御飯の役事もあった、とのことですが、
教会でともにする食事も、
貴く思っていくならば、同じ役事が起きる、
ということなのではないか、と思います。

目の前の教会長に侍ること、
教会での食事を貴く思っていくこと。
日々、心がけていきたいと思います。




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posted by ten1ko2 at 07:40 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする