2021年03月25日

自己中か神(かみ)中か、創造本性と堕落性本性は紙一重・・・! 《阿部先生》



210325.jpg


阿部先生の「家族の絆づくり」
今回は、『創造本性と堕落性本性は紙一重』です。


二つの本性の分岐点は?

堕落は「神と同じ立場に立てない」
ということから始まりました。

言い換えれば、「神中心ではなく、
自己中心の動機を持つようになった」ということです。

このように動機は「神中心」と
「自己中心」という二つに大別することができます。

この「動機の善しあし」で人生が大きく左右されます。

創造本性でも自己中心になると堕落性本性になり、
堕落性本性のように見えても
神中心になると創造本性になります。

まさにこの二つは紙一重であると言えます。


それって本当に堕落性本性?

「嫉妬心」を堕落性本性のように捉えがちですが、
『原理講論』には「創造本性から誘発されるところの、
不可避的な副産物であり」(122ページ)
と記されているように、創造本性から出てきた心です。

この「嫉妬心」は神中心の動機であれば、
「優れたものに憧れる心」
「優れたものを目指す向上心」になります。

しかし、自己中心の動機になると、
恵まれた人の「足を引っ張ろうとする心」や
「攻撃しようとする心」という堕落性本性に変わります。


また、「自信と誇り」を持つことは
神の子女として大切な創造本性ですが、
自己中心になると自信過剰の「傲慢」になり、
過度に自己主張する「自己顕示欲」という
堕落性本性に変わります。


堕落性本性の2番目の「自己の位置を離れる」
という堕落性本性の例えとして
「血気怒気」を挙げることがあります。

「怒り」は堕落性本性でしょうか。
義憤という正義のための怒り、愛のための怒り、
さらには防衛本能からの怒りなどは創造本性です。

『原理講論』では、
「神は…御自分の性相と形状のとおりに、
喜怒哀楽の感性をもつ人間を創造され、
それを見て楽しもうとされた」(64ページ)
と説明しているように、神にも怒りがあるということです。

しかし自己中心の動機になると、
相手を攻撃したり、裁いたり、要求する
「破壊の衝動の怒り」になり、
その瞬間、堕落性本性になります。

このように動機に敏感になり、
常に創造本性で生きていきたいものです。

家族の絆づくり 160
創造本性と堕落性本性は紙一重
ナビゲーター:阿部 美樹

(blessed lifeより)


私自身に起きる様々な感情も、
神中心か自己中心かによって
評価され、ふさわしい結果が
導き出される、ということになります。

思いが言葉になり、
言葉が行動になることを思うと、
どんな思いを持つかが重要です。

真の父母様は、ご自身の思いすべてを
「神中心」で歩んでこられました。

気がつけば自分の思いばかりになって、
神様のことはそっちのけで歩んで
しまいやすい私たちではありますが、
神中心の動機をもって、
創造本性で歩む、このことに常に
立ち返っていきたいと思うのです。




にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)