2021年05月25日

開拓伝道先に息子が高熱の知らせ・・・母の決断は (日本草創期の証し)



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日本家庭連合の草分けの時代、
松本ママに名古屋で伝道された
長谷川みつゑさんの証しです。


  竹内(現 長谷川)みつゑさん、入教(1961.9)
  ◇竹内みつゑさんの手記


春の神様ってどんな神様かしら、
昔幼い頃よく考えたものでした。…

しかし成長する過程にあって…
無情で冷たい神様に思えてしまったり、…
神様と自分は遠く離れた存在になってしまった。…

そんなさびしい私が再び幼児に蘇生したのは
一昨年の9月でした。
神様と共に自然一切が私の教材として戻ってきたのです。…

神様は草木一つにも道端の石ころ一つにも、
それを通じて私たちに語り続けていて下さったことを
知ることができたのです。…

一日も早くすべての人に父の御旨を、
万物のうめきを知らさねばと、
せかされる毎日です。…

名古屋→大阪→東京→京阪神→九州福岡を回り、
そして再び振り出しに戻ったのは(名古屋)
昨年11月4日でした。

一昨年9月三つ子として誕生した二人のお姉様
(大野幸子さんと松本静永さん)と涙の再会をなし、
新たな決意と誓いのもとに天の父の導きを得て、
日も遠くなく次の三つ子の誕生を見ることができました…。
…私たちは声をあげ涙の賛美を天に贈りました。

(『成約新聞』第35号、1963.4.15付より)



  ◇竹内さんを伝道した松本道子さんの証し

竹内みつゑさんが、実地訓練のために大阪にやってきました。

ところが彼女が来て40日ほどたった頃、
息子が熱を出して死にそうだからすぐ帰って来い
という電報が来たというのです。

彼女は困って「どうしたらいいでしょうか」
と相談に来ました。

「私は行くなとも、行きなさいとも言うことはできません。
…神様に祈って、あなたの知恵と責任で考えてごらんなさい」。

私にこう言われて、彼女は必死に祈って考えたようです。
…ところが翌朝「ママ、私やっぱり行かないわ」
と、こう言うのです。

その訳を尋ねると、「夕べ、夢を見たの」ということでした。
…「私は、神様の多くの子供を救わなければいけないんです。
たった一人の自分の子供のために退くことはできないわ。
だから、私は行きません」と、真剣な顔で言うのでした。

そして、家には行かず、福岡の開拓へと出発しました。
するとその3日後、再び家から連絡が来て、
子供は3日間熱を出したが、
3日後に熱が下がって良くなったということでした。

…こうして彼女は福岡の開拓者となり、
地区長までやるようになりました。

(松本道子『信仰は火と燃えて』より)

歴史編纂委員会・編著(光言社・刊
『日本統一運動史〜文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』より)
第三章 日本に真の御父母様を迎える準備時代
三、草創期を築いた人々の歩み
(3)最初の主要都市開拓伝道以後の歩みと入教者の証し(1961.6〜)
2. 竹内(現 長谷川)みつゑさん、入教(1961.9)

日本統一運動史 33
日本に真の御父母様を迎える準備時代P
(blessed lifeより)


前回の記事でもお伝えしたように、長谷川夫人は、
松本ママが名古屋で最初に伝道された方です。

その後、福岡で責任者をされていた時、
お父様が来日され、劇的な出会いを
もっていかれるようになります。

証しを読ませていただく中で、
アブラハムのイサク献祭の話を思い出しました。

愛する子供が熱を出したのに
み旨を優先して開拓伝道にまい進された・・・
これは家族や周囲から見れば
非常識にしか見えないと思います。

しかし、神様に祈った上での選択でしたから、
きっと天に守られたのでしょう。

長谷川夫人は、日本の草分け、
本当に何もない中を、基準を立ててくださいました。

草創期の先輩たちは、家庭を犠牲にされ
み旨に投入していかれましたが、
韓国における1970年からの3年間の開拓伝道は
その最たるものの一つでしょう。

このとき、摂理的に見れば、どうしても
天側の精誠の条件が必要な時でした。
南北韓の緊張の中で、
真冬に漢江(ハンガン)が凍れば
北が攻めてくる計画があったといいます。

その当時、開拓伝道に出た婦人たちは、
そのような深刻な摂理的な事情は知りませんでしたが、
天の願いを優先し、歩まれました。

そういう先輩たちの歩みがあって、
今の私たちがいるのだ、ということを
決して忘れてはならない、と改めて思いました。





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posted by ten1ko2 at 08:27 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月24日

真のお父様とのツーショット写真 主の隣室で切実な祈りを捧げたら・・・ 《神明先生》



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証しをする神明先生の紹介をする
真のお父様 (1997.7.25 アルゼンチン)


神明先生のエッセイ、
今回は、「お父様は絶対にメシアだ!」です。

先回の10日間の南米ツアーの時の
エピソード続編です。


今、統一運動はさまざまな課題を抱えているようです。
このようなときに私たちは
信仰の試練を受けやすいと思います。

「原理」は本当だったのだろうか、
真の父母様は本当にメシアであられたのだろうか、
などという疑問が襲ってきて、
私たちを悩ますこともあるかもしれません。

私自身も弱い一人間として、最も難しい試練を
受けるようになれば、信仰が
どうなってしまうかも分からないのだと思います。

しかし私は、真の父母様が絶対にメシアであられる、
と強く証しをしたいです。
それは、『原理講論』を熟読しても分かるし、
真の父母様の生涯路程を学んでも分かるでしょう。

ここでは私の小さな個人的体験から、
それを証ししてみたいと思います。


1997年8月3日、私は、サンパウロにある
ブラジルの本部教会の建物の、ある部屋で祈っていました。

真のお父様はぶ厚い大理石の壁で隔てられた
隣の部屋におられました。

その日は、お父様との10日間の南米旅行の
最終日でした (お母様は韓国にご滞在)。
いよいよ夕方には米国に飛行機で帰るというときでした。

最終日に記念として、お父様と私の二人だけ
写真を撮らせていただきたいという欲望が出てきたので、
その欲望を消すために必死になって祈っていたのです。

どうせそのような写真を撮ったとしても、
あとで皆に誇らしげに見せるだけであって、
霊的には害になるだけだから、それよりもまず、
この悲惨で哀れな堕落世界を復帰して、
それをお父様にお捧げして喜んでいただくまでは、
そのような欲望は持つまい、と祈りで誓っていたのです。

しかし、堕落世界を復帰してお父様にお捧げする日は、
だいぶ後のことになるだろうから、
もはやお父様はこの地上界にはいらっしゃるまい。

そうすればお父様と二人だけの写真を撮る機会は、
このときを見逃せば永遠に失われる≠ニ思ったとき、
とても悩みましたが、それでもいいのだ≠ニ
祈りの中で自分に言い聞かせました。

そして霊界に行ってからでも、
お父様にはめぐり会えるのだ≠ニ思いました。


そのとき、不思議なことに霊眼が少しばかり開け、
この堕落世界の一切の真っ黒な悪人や悪霊たちが
私の目の前に現れて、私の前で一礼をするのを見たのです。

一礼をしたのは、多分、私が
お父様とのツーショットの写真のことなどを忘れて、
哀れな彼らの事情を優先しようしたので、
彼らがありがたく思ったからだと思います。

彼らが切なく救いを求めていることを目の当たりにしたとき、
私は彼らに対する真のお父様の愛を強く感じ、号泣しました。

お父様とは写真を撮るまいと決意したのに、
逆にお父様をすごく近く感じることになってしまいました。


祈りが終った直後に昼食の時間が来たので、
昼食のためにお父様のいらっしゃる隣の部屋に
行かねばなりませんでした。

タオルで涙を拭き、顔を洗い、何事もなかったかのごとく、
お父様の部屋の扉を開けて中に入ろうとしたとたん、
お父様は待ってましたとばかりにこちらをごらんになって、
「神明、どうしたんだ!」と強く叫ばれました。

お父様は全てをお見通しだったのです。
写真のことは一切言わず、
「お父様の愛を実感しました」と簡単にお答えしたら、
お父様は大きくうなずかれました。

そのあと、食前の代表祈祷をお父様から指名され、
涙、涙の祈祷となりました。


かわいそうなこの堕落世界をいつも愛を持って
救おうとされる、そのようなお父様が
メシアでなくて、一体何なのでしょうか!
絶対にメシアです!

だから今でも、この地上でお母様と共に
私たちがこの世界を愛して復帰しようとすれば、
聖和されて霊界にいらっしゃるお父様に
100パーセント、必ず通じると思います。

UTS時代の神体験
:ドクター神明の信仰エッセー
お父様は絶対にメシアだ!
神明忠昭
(世界家庭に連載)


お父様の霊的感性の鋭さは、
本当に凄いものだと再確認しました。

お父様と実体で交流された
神明先生を羨ましく思いつつも、
今、お父様が霊界におられる時だからこそ、
父母様のために歩む心情と動機が強く持てば、
父母様はともにおられるのだ、
そんな思いにもさせられました。

神明先生、とても貴重な証しをありがとうございました。

(ちなみに上の写真は、同じ南米ツアーの時のものです。
一緒に写真撮影はされなくても、
すでにしっかりツーショットの写真が撮られていたようですね。)




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2021年05月23日

夫が酒・タバコをやめました、その理由は・・・ 《自己牧会プログラム》



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自己牧会プログラムの証し、
「夫が酒、タバコをやめました」

(韓国在住日本人女性 50代)

韓日祝福を受け、韓国で生活しています。
長い間、夫の酒とタバコに悩んでいました。

私はそんな夫を否定し、責めて、
何とかやめてほしいという要求の思いで接していました。
ですが状況は全く変わらず、毎日本当に苦しかったのです。

でも自己牧会プログラムに出合ってからは、
「人をどうこうしようと躍起になっても仕方がない。
正しいか正しくないかに囚(とら)われる必要はない。
思いどおりでなくても大丈夫」と、
少しずつですが思えるようになってきました。

そして、「固定観念に気付く」ワークをしながら、
「自分は正しい」という囚われを下ろすように
努力するうちに、自分の心に変化が訪れました。

「夫が酒やタバコでストレスを軽減しているなら、
それも仕方ない」と思えるようになったのです。
これだけでも随分、気持ちが楽になりました。


私が変わると、夫にも変化が起こってきました。

夫はサービス業で日曜日は必ず出勤なので、
礼拝に行けません。それで2019年から
水曜日の夜の礼拝に夫婦で参加するようになりました。

水曜礼拝は参加人数が少ないため、
自然と教会長とも関係が近くなります。

教会長から「酒やタバコをやめるように」と
直接言われることはなかったのですが、
夫は「このままだと、教会に行くのは不自由だ」と感じたようです。
それで、いつの間にか酒とタバコをやめてしまったのです。

私が夫への否定を手放した分、
夫の家庭におけるストレスが減っていったのだと思います。


自己牧会プログラムでは、
「人や状況を否定しながら見ると、自分が決めつけた
そのままの世界を見続けるようになる。
結局は、嫌な気持ちも嫌な人も嫌な状況も
自分がつくり出しているにすぎない」と教えていますが、
まさにそのとおりでした。

まだまだ課題はたくさんありますが、希望が見えてきました。
これからは夫婦で一緒にいることを楽しみ、
喜び、感謝して生活していきたいと思っています。

私の心の中にいる神様 69
夫が酒、タバコをやめました
(blessed lifeより)


私たちの教会においては、
入教する際、あるいは祝福を受ける際、
お酒、タバコは禁止ということで、
多くの人が、苦労して酒・タバコを断ってきました。

しかし、その受け入れ方にも
個人差があるかと思います。

また、酒・タバコを嗜好するのは、
愛情不足な人であったり、
寂しさやストレスを感じた時に多い
ということを聞いたことがあります。

祝福家庭なんだから当然こうすべき。。。
一方的な観点だけで見れば
裁いてしまうこともあるかもしれません。

たとえその人に、やめたらいいと言ったとしても、
その人が聞き入れてくれるわけではありませんし、
愛情不足やストレスがそのまま残っている
状態では、たとえ本人がやめたくても、
なかなか難しいことでしょう。

こうすべき、こうあるべき
そういうものにどれだけ囚われている
私たちであるでしょうか。

それを、自己牧会プログラムを通じて、
神様が見つめる観点で、その人を見つめると
あんなに悩んだことが嘘だったように
その人自身も変わってくるというのです。

問題のない家庭はありません。
一つ一つの物事を神様の見つめる観点で
自分を変える意識を強く持つことで、
相手や環境圏を変えよう、変えようというのではなく、
相手から、環境圏から自然に変わっていく。。。。

囚われを捨てて、
神様の心情で愛する。。。
これから意識して、取り組んでいきたいと思うのです。



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