2021年05月22日

さして功績のない私、精誠を捧げに捧げた先祖のおかげで救われた?! 《篠崎先生》



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篠崎先生の「喜びと幸せの生活伝道」
今回は、『神氏族メシヤとして立てられた背景』です。


私たちは天宙史に一度しかない再臨時代に
真の父母様に出会い、貴い祝福の
恵みにあずかって人生を歩んでいます。

では、なぜこのような人生を
迎えることができたのでしょうか?
私たちが神氏族メシヤとして
立てられるに至った背景を考えてみましょう。


『原理講論』の予定論を見ると、
人間に対する予定は絶対的ではないとあります。

それは人間自身が責任分担を果たしてこそ
初めて神様が予定された人物になることができるからです。

神様の救いの摂理の目的は、
人間始祖の堕落によってつくられた罪悪世界を、
創造目的を完成した地上天国に完全に復帰することです。

救いの摂理は再創造の摂理であり、
それは一気に成し遂げられるのではありません。
一から始まって、次第に全体に広まっていくのです。

ですから神様の救いの摂理においては、
まず中心人物になりうる人物を予定して召命されるのです。


召命された中心人物がどのような条件を備えているかは、
以下のように説明されています。

「彼はまず、復帰摂理を担当した選民の一人として生まれなければならない。
 同じ選民の中でも、善なる功績が多い祖先の子孫でなければならない。
 同じ程度に全の功績が多い祖先の子孫であっても、
 その個体がみ旨を成就するのに必要な
 天稟(てんぴん)を先天的にもつべきであり、
 また、同じく天稟をもった人間であっても、
 このための後天的な条件がみな具備されていなければならない。
 さらに、後天的な条件までが同じく具備された人物の中でも、
 より天が必要とする時機と場所に適合する個体を先に選ばれるのである」


(『原理講論』246ページ)



真のお父様は、私たちの立場について、
次のように語っておられます。


「皆さん自身はさして功績がありませんが、
 皆さんの背後には今まで歴史上に
 生まれては逝った先祖たちの功績の土台があり、
 皆さんは知りませんが、
 数多くの氏族の中でも
 皆さんの先祖たちが積み上げた功績が多いので、
 この功績が積まれに積まれて、その結実として
 生まれた群れが皆さん自身であったことを
 知らなければなりません」


(1969年1月26日、韓国・前本部教会)



「皆さんが、運があってそうなのか、
 福があってそうなのかは分かりませんが、
 このようにしてこの時代に生を受けて
 この一時に会い、統一教会に入ってきました。
 統一教会にどのように入ってきましたか。

 皆さんをこの場に入るようにするまでには、
 数多くの先祖たちが精誠を捧(ささ)げに捧げました。

 数多くの人たちが滅び、善が踏まれる場で
 死んでいきましたが、
 その千人、万人の因縁を経て、回りに回って、
 その因縁が天につながって、
 日が昇る高い山のような立場に立ったために、
 そこで日の光を眺めて
 集まった人たちが皆さんなのです」


(八大教材教本『天聖経』231ページ)



真のお父様は、日本をエバの国、母の国として選んでくださいました。
そして私たちは日本の中でも、多くの先祖の善の功績の上に生まれ、
先天的天稟と後天的条件が備えられ、
神様が必要とした摂理的な時と場所に適(かな)っていたので選ばれたのです。

篠崎 幸郎・著
(光言社・刊『氏族伝道講座 喜びと幸せの生活伝道 み言の原点に立ち返る』より)
第二章 主と出会った者の行くべき道
一、召命と責任


教会で最初にみ言を聞いた時、
『不思議な夢を見た。
先祖が夢に現れた』
という方は、意外と多いのではないでしょうか。

私自身も、み言を聴き始めた時、
白い服を着た女性が夢に現れて、
「あなたをここまで導いてきた」
そんなことを言われたことがありました。

先日、2日間の原理講義をさせていただきました。
その時に感じたのは、
「み言がわかる、というのは、本当の義人だ」
ということです。

私自身の力量もあるとは思うのですが、
外的な力のある方でも、
み言に相対しているかと思うと、
必ずしもそうではないことがあります。

しかし、食口の中には、(たとえ外的な地位や権力を
何ももたなかったとしても)み言に相対し、
深く感銘を受けている人もいます。
み言を受け止めることのできる器があるのです。

やはり、先祖の功労、というのは、
とても大きいのだな、と感じました。
先祖の皆様に改めて、感謝したいと思います。

また、時代的恩恵というのも
とても大きいのだと感じます。

天が必要だから、時であるから、
導かれた私たちであり、
だからこそ、今このときに
天が準備した人を、天に導く
使命があると思うのです。





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posted by ten1ko2 at 07:28 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月21日

あまりに突然の招集、翌日渡韓した既成祝福カップルたち 完徹のみ言のワケは 《倉本先生》



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倉本先生による
6500双の既成祝福の証しです。


(既成祝福を受けるために)渡韓してきた参加者たちは、
式典前日の夜9時頃には会場に集まり、
お父様からみ言を頂きました。

ところが、み言が一晩じゅう続いたため、
居眠りする人が続出しました。

私は、はらはらしながら見ていましたが、
お父様は一切、叱責したり注意したりなさいませんでした。
そして最後に語られました。


「先生が語った言葉はみんなには
 残っていないかもしれない。
 だけど朝まで、お父様が徹夜で語った
 という記憶は残るだろう」



たとえ一度きりの出会いに対しても、
その人に対して何か記憶に残してあげたい、
印象付けてあげたいと願われるのがお父様です。

「父母様との因縁を永遠に結んであげたい」との親心から、
徹夜でみ言を語られたのではないかと思います。

 
その後、同じ場所で、すぐに聖酒式と祝福式の
式典を主管してくださいました。

式典後、「さあもう帰っていいから。
これで会社はそんなに休まなくても済むだろう」
と語られました。

前日夜に来て、翌日の午前中には解散となったのです。
真の父母様は全てをご存じで、
ここまで配慮してくださったわけです。


既成祝福について「お父様の本来の責任ではありません」
とおっしゃっていましたが、天の原則を明確にしながら、
父母として既成祝福のことも
意識しておられたのを知ることができました。

資格がないのに過分な恵みを受けることは、
受けたほうに負債と讒訴(ざんそ)が残ります。

ですから、真の父母様は恩恵を与えるにしても、
受けたほうが負債を負わないようにしてくださるのでしょう。

このとき既成祝福を受けた人たちは、
お父様の突然のご指示にもかかわらず、
考えられないほどの短時間で不平もなく韓国に集いました。

そのことも天が取る条件になったのではないでしょうか。



6500双のあとに行われた既成祝福は、
もともと行う予定には入っていませんでした。

既成祝福自体がしばらくなかったこともあり、
倉本先生はじめ、本部家庭部の方が、
お父様に取り入ってお願いをしたそうです。

倉本先生も語られているように
「先生は、神様からお願いされておりません」
とあっさり断られたとのこと。

それでもお願いをしたところ、
お父様が「じゃあ、明日やろう」と言われましたが、
あまりにも急な話で、
「三日待っていただけませんか?」
とお願いをしました。

お父様は「だったら辞めよう」と言われ、
「それでは、二日待っていただけますか?」
と再度お願いをして、許可を頂きました。

倉本先生は、
「6500双の恩恵による既成祝福だったので、
時間を空けずに行ったのではないか」
と言われています。

そのような流れの中で、
お父様は明け方までみ言を語られる逸話があったのでした。


真の父母様との因縁を結ぶ、貴い祝福式。。。
その当時、祝福もいつ行われるか
わからず、突然招集がかかったと聞いています。
パスポートを切らさないように
備えていなければなりませんでした。

特に既成家庭の方々は、
何年間も聖別して待っておられました。
その当時、休日を取るのは、
今の時代のように簡単ではなかったはずです。

こうして、2日後といえば
すぐに仕事を休んで応じる、
素晴らしい信仰を、真の父母様は
知っておられたのでしょう。

現在、世界中のすべての人が、
その当時からすれば、ほとんど何も条件なく
あらかじめ予定された日に
祝福を受けることができるようになっています。

それは、真の父母様の勝利圏と、
さまざまな配慮、愛ゆえの恩恵ですが、
また、このように苦労して
祝福を受けられた先輩たちの
貴い精誠があった上のことであると、
心から尊敬し、感謝します。




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posted by ten1ko2 at 09:37 | Comment(0) | 祝福の価値 祝福の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月20日

妻は情的で韓国人気質、真の家庭や韓国の先生方に慕われました 《大谷夫妻の証し》



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大谷先生ご夫妻の証し、続編です。

   
(明史さん) 
妻は非常に情的に深い世界があります。

1972年頃、統一産業の仕事で韓国に一年間いたときには、
譽進(イェジン)様にすごく愛され、いつも遊び友達を呼ぶように、
「大谷さん、大谷さん」と呼んでくださり、
ゲームなどを一緒にしていました。

日本統一教会の草創期に韓国から来ておられた
山県さん(姜淳愛宣教師、1960年6月に来日)にも、
ものすごくかわいがられ、娘のようでした。

李相軒先生や尹世元先生(鮮文大学初代総長)からも
娘のようにかわいがられました。
そのような世界は、私から見ると本当に不思議でした。

 
真の父母様が金浦空港から外国に出発されるとき、
たまたま夫婦で韓国にいて、お見送りしたことがありました。

韓国の先生がたがずらっと並んでいらっしやったので、
私は畏れ多くて後ろの方にいました。

そしたら妻が一番前に出て行って
真のお父様が出国ゲートに向かわれるとき、
「アボジ~!」と叫んだのです。

すると、お父様は振り返られ、
にっこりと手を上げて行かれました。
韓国の先生がたも驚いておられました。
そういう心情世界を持っています。


(よし子さん) 
私は韓国のほうが好きなんです。
言葉は通じませんが、心情が通じます。

金元弼先生(三弟子、三十六家庭)からは、
「あんたは日本人じゃないね。
韓民族だ」と言われました。
韓国のかたとは、心情がストレートに通じるのです。

   
祝福家庭には、一家庭一家庭
それぞれの使命があるということを、近頃感じます。

その祝福家庭が真の父母様を中心として勝利していけば、
世界が全てその中に入り、
うまくいくようになっている気がします。

ですから、天から相対を与えられて、合わないから
それで終わりというのではなく、
その中でどう闘って勝利していくか
ということを考えなければならないのではないでしょうか。

私は、そのように一生懸命考えてはきました。
真の父母様が願われることには必ず何か意味がありますから、
これからも天から来る摂理一つ一つに
絶対勝利するために頑張っていきたいと思います。


(明史さん) 
私は、真のお父様から、
「(統一教会に入って)家族や親族から歓迎されなかっただろう」
とよく言われ、氏族復帰、氏族メシヤのみ言を受けました。

また、「統一思想、勝共理論を講義しなさい」
「東大生を中心として名門大学の同窓生を導きなさい」
「君の決意を見ているぞ」など、
何回か繰り返して頂いたみ言があります。

今は、真のお父様の願われる基準とは、
まだまだ天と地ほどの開きがあって
申し訳ない思いがあるのですが、
これらの責任を完遂するために
一生懸命邁進していきたいと思っています。 



大谷先生ご夫妻は、東大出と中卒(実際には高卒)という
極と極の立場でありましたが、
性格というか、気質の面でも正反対でした。

こういうお二人が一つになる、というのは、
本当に大変だったと思います。

性格が合う、合わない、趣味が合う、合わない
いろいろあると思います。

私たちの夫婦もこのブログが、
共通のライフワークとしてありますが、
ほかには合わないところも結構あったりします(笑)

大谷夫人が言われるように
「一家庭一家庭それぞれの使命がある」
本当にそうだな、と思います。

ほかの家庭と比較することは、できません。
神様から与えられた使命を果たすために、
さらに一つになる努力をしていきたい、
そんな思いにさせられました。




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posted by ten1ko2 at 07:18 | Comment(0) | 私と御父母様 ・信仰の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする