2021年05月14日

原理は人のためならず すべては私のためにあった 《真の父のみ言・篠崎先生》



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篠崎先生の「喜びと幸せの生活伝道」
今回は、『「原理」を学ぶ姿勢』です。


「原理」を学ぶ姿勢

また、真のお父様は「原理」を学ぶ姿勢について、
次のように語られました。

「この『原理』を研究するにおきまして重大なことは、
 これがただ勉強するという観念で
 ここに参席してはいけない。

 ……その『原理』を探すための立場を君たちが
 先に立っておるという観念ですね。

 この人間の重大な問題を解決せんがために
 非常に悩みに悩んで、どうにもこうにもできない、
 その泣くような立場に立って、
 こういう重大な問題を天から、
 あるいは君たちの祈りから、
 その解決される、その瞬間に臨席する
 というような気持ちが何よりも必要である。

 そういう基準が、自分の悩みの涙の中で
 これを解決した時のその喜び、
 天に対しての感謝、自分ながらの
 嬉しさを感じるような、その気持ちを
 原理講義の中で、いかに体験するか
 ということが何よりも重大な問題である」

(『日本統一運動史』246─247ページ)


このように「原理」は私自身が探し求め、
解決すべきみ言なのです。

私たちがみ言を聞くとき、せっかく
神様が自分に語っていらっしゃるにもかかわらず、
「これはあの人が聞くべきだ」と、
み言を人に当てはめる人がいます。

まず、自らがどのようにみ言を迎えるのか、
その姿勢が一番重要です。

最初にみ言で伝道しなければならないのは、
正に自分自身なのです。

篠崎 幸郎・著
(光言社・刊『氏族伝道講座 喜びと幸せの生活伝道 み言の原点に立ち返る』より)
第一章 原理のみ言があなたに届くまで
三、『原理講論』に基づいた原理大修練会
「原理」を学ぶ姿勢

氏族伝道講座
喜びと幸せの生活伝道〜み言の原点に立ち返る(10)
(blessed lifeより)


北千葉教区、教区本部では、
毎朝、教区長を中心に原理の訓読が行われています。

そのあとに教区長がみ言を語られて、
一日が出発するのですが、
みんな復興しているそうです。

また、牧会をしても恨が多く、
心情が解放されない婦人も
教区長が一対一の原理訓読を行い、
その後の和動を通して、
恨が解かれていくということでした。

私も人にみ言を語るときもありますが、
原理は、私のためにある、ということを
改めて認識しながら、
原理講義に臨んでいきたいと思うのです。



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