2021年05月29日

神が想定していたものとは・・ 私が先に選ばれた理由があった 《篠崎先生》



210529-Gustave Dore - Cain and Abel offering their sacrifices.jpg


篠崎先生の「喜びと幸せの生活伝道」
今回は、『なぜ私を先に選ばれたのか』です。


先に挙げた『原理講論』の
予定論の最後の記述を注意して見ると、
「その個体を先に選ばれるのである」とあります。

「先に」とは、後があるということです。
神様は私たちを召命するに当たって、
後に来る人を想定しているというのです。

私たちがその人々を復帰できると確信を持っているからこそ、
神様は私たちを先に召命しているのです。


聖書の中のアダム家庭における献祭について、
「主(しゅ)はアベルとその供え物とを顧みられた。
しかしカインとその供え物とは顧みられなかった」
(創世記四章4〜5節)
とあります。

憤るカインに対して、神様は、
「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。

正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。

もし正しい事をしていないのでしたら、
罪が門口に待ち伏せています。

それはあなたを慕い求めますが、
あなたはそれを治めなければなりません」
(創世記四章6〜7節)
と語り掛けています。

神様はアベルの供え物を取りながらも、
カインの心に関心を持たれていたのです。


神氏族メシヤとして立てられた
私たちにとって、後の人とは誰でしょうか?

それは夫、妻、両親、子供といった
家族をはじめとするアベル圏の氏族、
そして友人・知人をはじめとした
地域社会のカイン圏の氏族です。

神様はこのような氏族圏の復帰を
どれほど心待ちにしていらっしゃることでしょう。


それでは神様は、私をなぜ先に
アベルとして選ぶことができたのでしょうか。

サタンはこの世で社会的基盤を持った
実力者であるカインを手放したくありません。

だからといって、私たちが能力のない愚か者ということではありません。
神様の心情に通じる孝行心を持った善なる群れなのです。

神様はそれぞれの氏族、家系を復帰するために
「私」を召命されたのです。

篠崎 幸郎・著(光言社・刊
『氏族伝道講座 喜びと幸せの生活伝道 み言の原点に立ち返る』より)
第二章 主と出会った者の行くべき道
一、召命と責任
なぜ私を先に選ばれたのか

(blessed lifeより)


真の父母様は、
全人類の三分の一をかき抱こうと、
必死の歩みをしておられます。

安穏と生活している自らの歩みが
本当にいたたまれない思いに
苛まれてしまうことがあります。

真の父母様だけを見つめ、
侍る生活をしていきたい・・・
そんな思いにさせられることもあります。

先駆けて導かれたことに感謝して、
私が今、ここにいること自体が
天に愛されているのだ、ということを自覚し、
一歩踏み出せる者になっていきたいと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 08:40 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする