2021年06月24日

1947、東洋のエルサレム 平壌、若き再臨主と天に準備された人たち 《金元弼先生》



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金元弼先生のみ言、
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」より
今回は、「霊能者とキリスト教信者」。

大同保安署から釈放された後の証しです。


先生は体が回復すると、すぐに前と同じく
朝早くからみ言を語られ、夜遅くまで語り続けられました。

今までずーっと見てまいりますと、先生がいらっしゃる所には、
常に大勢の食口たちが集まっているのです。
それゆえに、先生お一人の時間というものは全くありません。

リーダーになると、自分一人の時間が
欲しくなる時がよくあると思います。
しかし、先生にはそれがありませんでした。

先生の生活は、今でもそうですが、ちょうど
ガラスの部屋の中で生活しておられるものと
考えれば、大変分かりやすいと思います。

一方、私たちは壁を作って、その中で誰からも見られない、
自分だけの時間をもちたいと思い、そういう環境が欲しいと考えます。
しかし先生の場合は、何時にお部屋に行かれ、
何時に起きられたというように、すべて見ることができるのです。

 
四七年には約三十名の食口が集まりました。

先生を尋ねて集まってくる人たちは、
長年の間信仰生活をしてきた人たちです。
みんな各教会の中心人物でした。

彼らは、いろいろな奇跡や予言をしたり、
人々の病気を活したという経験をもっている霊能者でした。

それゆえに、その人たちによって、
教会の信者は伝道されたのです。
ですから彼らは、その教会の中心的な幹部であり
柱のようになっていました。

また、牧師のみ言を神のみ言のごとく大事にし、
牧師に対して神に侍るごとく侍ってきたのです。


その人たちに神は、メシヤの十字架は神の計画ではない
と啓示で教えてくるのでした。

霊能者は、牧師からイエス様の十字架は
神の計画であったと教えられているのに、
神の教えはそうではないのです。

霊能者はこの神の啓示を非常に喜んで、
牧師も必ず聞いてくれるだろうと思って
書きつけて話してあげました。

ところが予想とは異なって、牧師は
「それは正しくない。聖書を見なさい」
と言って、その霊能者の食口に
間違っていることを聖書を通して話すのでした。

また「あなたに教えを告げる者はサタンである」と教えるのでした。
その時の霊能者の衝撃は、耐え難いものでした。

それで家に帰って神にお祈りしました。
その啓示は以前と変わらず、
「これが正しい」と教えるのです。
そこで霊能者は、牧師と教えとの間にはさまって非常に悩みました。

牧師の反対は、聖書を通して
「何章にはこのように書かれている。このように教えている」
と具体的な内容で示して
「間違っている」と言うのです。

啓示では、正しいということは教えてくれますけれども、
聖書を通して、ああであるからこうである
というようには教えてくれないのです。


教会を離れては行く所がありません。
それで心の悩みを抱えながら、既成教会についていっているのです。

そこで、時には真理があると聞けば、
このことが解決できるのではないかと思って訪ねてみたり、
山へ行ってお祈りしてみたりするのですが、
答える人はありませんでした。

そのような中で教会へ行っても、
牧師に対する尊敬の気持ちをもつことはできませんでした。

また、韓国のキリスト教会は、
家庭復帰されていて家族連れで参加します。
ですから今お話しした霊能者は、教会を建てたのですが、
生活の面でも家庭で非常に尊敬される位置にいました。

家に病人が出ておなかが痛ければ、おばあさんだったらおばあさん、
お母さんだったらお母さん、お父さんだったら
お父さんのところに来てお祈りしてくれるのです。
するとすぐに治りました。

困難なことが起こってそれを話すと、
本当によくアドバイスしてくれました。

ですから家庭の中で、生活の面でも人格の面でも
大変仰がれる立場にいたのです。
しかしながら心の葛藤がありましたから、
本当の喜びはありませんでした。


そういう時に、南から来た青年の先生が、
神霊と真理によって礼拝をするといううわさを聞いて、
その人たちは目が覚めたごとく、先生の所に尋ねてきたのです。
そういう人が先生のみ言を聞きました。

十字架は既定事実ではないと今私たちが
『原理講論』を通して細かく教えられるごとく教えられました。
その人たちは、それこそ、
「私が神から教えてもらった啓示は正しかったのだ」
ということを体験するのでした。

他にもいろいろな問題がみ言を聞くことで解決されると、
霊能者たちはそこから帰りたくなくなるのでした。

そこで非常に喜び勇んで、牧師に話したのです。
しかし、この人たちは頭では理解できたのですが、
牧師が聖書を通して一つ一つ反論するのを説得する力はもっていませんでした。
自分よりよく聖書を読んでいる牧師に、よく説明できないのです。

そうして傷ついて帰ってくるのでした。
私たちのかつての姿を思い浮かべて見ればよく理解できると思います。
傷ついて帰ってきた人に、(先生は)一人一人お話をしてあげるのでした。
すべての人にそうしてあげるのです。

ある人は神の啓示を受けて、
「ある所に偉大な先生がいらっしゃるから、
そこに行って尋ねなさい」と直接教えられてきた人もいました。


また、五年前に、「再臨のメシヤが来る」と
その日付けなどいろいろと啓示を受け、
自分の聖書に五年後の何月何日にメシヤを迎えるだろうと記して、
その準備をしていた人もいました。

この人がその啓示を受けた時、部屋でお祈りをしていたら、
体がくっついて動きませんでした。

朝、お祈りし始めたそのお母さんが一日中出てこないので、
子供が不思議に思って行ってみました。
そして指を動かしてもビクともしません。
起き上げようとするのですが、彼の若い力をもってしても
どうしてもそれができませんでした。

この人はそれから五年後に、自分でも分からないうちに、
何かを探したいといって家を出ていったのです。

そして、その心の導きに従って歩いて、
ある狭い道路に来た時に、美しい歌声が聞こえてきました。
そしてその歌声が聞こえてくる所に入っていきました。

そこは先生がおられた教会であったのです。
その時は彼女が約束されていた、ちょうどその日でした。

皆さんが祝祭日に着る礼服は、
その人が神の啓示によってデザインしたものです。


教会の中心的幹部たちが、先生の所に
どんどん寄り集まってまいりましたが、
今まで所属していた教会へ帰ろうとはしません。

韓国の教会というのは、国家が助けているのではなく、
教会員たちの献金によって支えられていました。
ですから牧師たちの生活も彼らによって支えられていたのです。
そういう人が先生の所に来て帰らないので、
教会は大変揺れ動き始めたのでした。

教会員たちはそういう霊能者に影響されて、
どんどん統一教会の活動をしますから、今までいた教会へ行かなくなり、
献金もその人たちが来なくなると減ってしまいました。

そうなりますと教会を運営するのが困難になり、
そこで牧師たちはいかにして
その食口をもとに帰そうかと考えざるを得ませんでした。

I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々
「霊能者とキリスト教信者」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題


まだ教会創立前、
北朝鮮の地で復帰された方たち。。。
草創期に導かれるというのは、
どれほど使命が大きかったことでしょうか。

ですから、乗り越えなければならない試練も
その分、考えられないほど大きかったのだと思います。

既成キリスト教会の牧師の立場を考えても
中心的な人たちが教会から去っていくというのは、
歓迎すべきことではなかったでしょう。

真の父母様に侍り、従っていくというのは、
導かれるだけでもすごいことですが、
従っていくためにはさらに、
とてつもない蕩減条件が必要である、ということを
改めて実感します。





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2021年06月23日

連載再開!「死んだらわかるけど、それでは遅い」 私の知った霊界 《北谷先生》



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以前、北谷先生の「死んだらわかるけど、それでは遅い」(光言社刊)
の最初の部分を紹介したことがありました。

霊界に関心のある方も多いと思いますし、
書籍を購入したので、再度掲載を開始しようと思います。

久しぶりなので、前回までの流れを知ってもらうために、
まず、前書きを紹介します。


  はじめに

私は先祖や霊界を身近に感じる環境で育ちました。
私が五歳の時に、父親が交通事故に遭い、瀕死(ひんし)の状態になり、
それをきっかけに、母親が突然、霊界に通じるようになったのです。

その後、母は“神様”から様々な教示を受けながら
人助けをするようになりました。
そして自宅を教会(神道)にしたのです。

そんな家庭環境であったので、幼いときから、いつも神様が見守り、
導いてくださっていることを確信していました。

それでも、霊界はどのような所なのか、
その仕組みはどうなっているのか、分からないこともありました。

私が大学生のとき、突然、姉が世界基督教統一神霊協会
(現在の世界平和統一家庭連合=家庭連合)に入りたいと言いだしました。
神様はそちらのほうに行くことを願っているというのです。

私は、父が助けられ、いつも見守って導いてくださっている
神道の“神様”に恩を強く感じていたので、
姉の行為が恩を仇(あだ)で返すように思え、猛反対しました。

ところがそれから七年後、不思議な夢を見たり、
母を通じて霊界から家庭連合の素晴らしさを教えられたりして、
私も家庭連合の信仰を持つようになったのです。

家庭連合の教えである「統一原理」を学んで、
霊界と地上界の関係や、先祖の罪の清算の方法、宗教の根本的な目的など、
それまで漠然としか分からず、疑問に思っていた内容が整理されました。

その後も、霊界に通じた母を通して、神様と先祖の願い、
家庭連合の素晴らしさなど、多くのことを教えられました。
母を通して伝えられる言葉は、私の信仰を強くし、確信を与えてくれています。

本書では、これまで私が実際に体験したこと、
母を通じて霊界から伝えられた内容を、
そのままお伝えしたいと思います。

霊界が存在していること、
私たちの生活には霊界からの働きが強くあることを、
身近に感じていただけたらと思います。

二〇一七年十一月
著者

北谷 真雄・著
(光言社刊『死んだらわかるけど、それでは遅い』より)


北谷先生は、幼いころから
お母さんが霊能者であり、
さまざまな証しから霊界を信じざるを得ない
そんな環境だったといいます。

「死んだらわかるけど、それでは遅い」というタイトルの
言葉も、ある方が霊界からくれた
メッセージだといいます。

実体験での証しを学ぶ、というのは、
私たちにとっても、新鮮で興味深いですし、
とても重要なことだと思います。

前回の連載は、blessed lifeよりの転載で
1章と2章のみだったので、
次回以降はその続きを
紹介させていただきます。

乞うご期待!




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posted by ten1ko2 at 07:42 | Comment(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月22日

自分の悩みがスッと消えた瞬間 良心は、絶対・癒し系 《自己牧会プログラム》



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自己牧会プログラム。
今回は、「良心の答えは『もっと愛しなさい』」です。

(男性 50代)

ある夜、仕事を終えての帰途、最寄り駅から
自宅に向かって歩いていた時のことです。

仕事においてもみ旨においても、いろいろと思い悩むことがあり、
内外共にいっぱいいっぱいになっている時で、
「知ってもらいたい、慰めてほしい」と、
あれこれ良心に報告しながら歩いていました。

すると、酒に酔っていると思われるおじさんが、
自転車をこぎながら私の横をフラフラと通り過ぎていきました。
「危ないな」と思っていたら、案の定、
私の目の前でパタンと倒れたのです。

なかなか起き上がれないようだったので、
駆け寄って助け起こしました。

「大丈夫ですか? 飲み過ぎたんですか?」と聞いたら、
「そうなんだよ、ありがとう」と言って去っていきました。

良心との対話を再開していると、程なくして、
また別のおじさんが自転車で追い越していきました。
すると、私の目の前で何かをポトッと落としたのです。
慌ててそれを拾い、「落ちましたよ」と声を掛けて渡しました。

良心との対話の途中でこのようなことが立て続けに起こるなんて
不思議だなと思っていると、
「もっと愛しなさい。おまえには救ってあげないといけない人が
もっといるんだぞ」という、良心からの明確な答えを感じたのです。

その瞬間、喜びというか、何とも言えない感動が
こみ上げてくるのを感じました。

同時に、自分の抱えていたいろいろな悩みが、
すっと消えていくのが分かりました。

その夜、お母様のお写真を見ながら祈っていると、
「進め」という言葉が与えられました。

人のために生きることで全ての問題が解決され、
天寶勝利を目指していく中で
全体にも個人にも解放の道があるということを確信しました。

私の心の中にいる神様 74
良心の答えは「もっと愛しなさい」


今日の証しを読んでいて、
「心霊が下がっている時ほど、
ために生きなさい、愛しなさい」
信仰の初期に先輩から、
アドバイスを受けたことを思い出しました。

私自身も先週いろいろとあって、
「ブログコンプレックス」、というのでしょうか。
み旨との両立に悩んでしまうこともありました。

しかし、ちょっとした妻とのやり取りだったり、
み旨に投入していく中で、
いつの間にか、その思いも消え去り、
通常の状態に戻りました。。。

昨日は、妻と紫陽花を見に
地元で有名な寺に行きました。

少し解放された中で、
再出発していきたいと思いました。
良心は、やはり、癒し系だと思います(笑)





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