2021年06月15日

お母様のみ言に感動の涙を流した絶対善霊 《森山操先生》





光言社刊「真のお母様感謝します」より
森山操先生の証し。
『お母様のみ言に感動の涙を流した絶対善霊』です。


私は2010年2月、病気で危篤状態となり、
霊界をさまよいました。

奇跡的に快復しましたが、その時以来、
霊界が見えるようになったのです。

2013年10月に真のお母様が日本を訪ねてくださったとき、
私は埼玉で行われた大会(日本宣教55周年および
教会創立54周年記念大会)に参加しました。
私はアリーナ席の前から三列目に座っていました。

最初に大母様が入場されると、大母様に従って、
白い衣を着た絶対善霊が会場に入ってきて、
天上からフロアまで、辺り一面をパーッと覆うのが見えました。

お母様が1992年に東京ドームで統一運動の世界平和女性連合の
五万人大会を行われた時にも私は参加しましたが、
あの時と今回とでは全く雰囲気が違いました。
東京ドームの時には、まだ絶対善霊なんて
一人もいませんでしたから。

いよいよ、お母様がステージに上がられました。
見ると、真のお父様がお母様の肩に手を置いて、
お母様と一緒に演壇まで来られたのです。

お母様がみ言を語っていらっしゃる間、
お父様はずっと寄り添っておられました。

すると、み言の途中からすすり泣きが聞えてきました。
泣いていたのは絶対善霊でした。
絶対善霊の感動の涙が、聞いている私たちの上に
降り注がれていたのです。

私は、お母様の愛のみ言に感動した
絶対善霊たちの涙によって、
私たちが洗い清められ、新しい日本の出発を
成すことができると感じました。

そのような世界がセッティングされて、
この大会があるのだと感じたのです。

『真のお母様感謝します』より
お母様のみ言に感動の涙を流した絶対善霊
森山操(1800双、2015年聖和)


清平役事を通して、
霊界が大きく開かれています。

森山先生が証しされているように、
1992年の大会の時と2013年の時、
絶対善霊の数は全く違うといいます。

さらに言うならば、2013年と
現在2021年を比較したら、
さらに拡大されているに違いありません。

リモートで、全食口対象に
全国、全世界に開催されるようになりましたので。。。

霊的恩恵がさらに拡大されていることを確信して、
霊肉合同作戦をもって、
み旨に邁進していきたいと思いました。

なお、森山先生の証しは、紹介したことがあるのですが、
『真のお母様感謝します』にまとめられていたので、
改めて掲載させていただきました。





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posted by ten1ko2 at 09:30 | Comment(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月14日

人類の救い(復帰摂理)は、宇宙の法則(創造原理)で解かれる 《篠崎先生》



200801-1885GustaveDore.jpg


篠崎先生の「喜びと幸せの生活伝道」
今回は、『時代的な恵沢』です。


私たちは、天一国基元節入籍祝福式を通して、
本然のアダムとエバの位置に立つという恩恵を受けましたが、
それにふさわしい実体になっているでしょうか。

  
『原理講論』の緒論に、

「復帰摂理とは、堕落した人間に創造目的を
 完成せしめるために、彼らを創造本然の
 人間に復帰していく神の摂理をいうのである。

 ……復帰摂理は、創造目的を再び成就するための
 再創造の摂理であるから、
 どこまでも原理によって摂理されなければならない」


 
(271ページ)
とあります。


また、真のお父様は、

「創造原理が分からないと、
 堕落論とか復帰路程が分からない。
 それは創造原理を適用して解いていくからだね」


 
(1967年、原理大修練会「蕩減条件と聖書」)
と語られています。

復帰とは創造原理によって再創造することです。

 
堕落した人間が本来の位置と状態に復帰するためには、
蕩減条件を立てる必要があります。

それは、復帰過程において
人間が果たすべき責任分担と言えます。

ところで、私たちがみ旨を歩むとき
「責任分担」という言葉を聞くと、
少し重荷に感じるのではないでしょうか?
蕩減の意味がそこに含まれているので、そのように感じるのです。

本来、責任分担は、親である神様が子女である人間を愛し、
その成長を願われるがゆえに、人間に与えたものです。

人間の責任分担は、み言によって自己創造し完成することです。
すなわち、神様の心情と理想に一致することなのです。


人間始祖の堕落から始まったため人類歴史は、
神様の復帰摂理歴史となりました。

神様は、堕落人間が蕩減条件を立てて神様の心情と理想に
一致することができるまで成長するのを待ち望まれました。

そして、原罪を清算するために、
真の父母であるメシヤを送ってくださったのです。


復帰摂理歴史において、神様はその時代ごとに
信仰のためのみ言を与えてこられました。

神様はモーセに「旧約のみ言」である
十戒(律法)を授けられました。

このとき、人間は堕落以降初めて、
神様から直接み言を受けることができたのです。

十戒には、神様への信仰姿勢と、
人間への戒めが示されていました (出エジプト記20章2〜17節、申命記五章6〜21節)

 
次に、神様はイエス様を通して
「新約のみ言」をお与えになりました。

イエス様は

「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、
 主なるあなたの神を愛せよ』。
 これがいちばん大切な、第一のいましめである。

 第二もこれと同様である、
『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。

 これらの二つのいましめに律法全体と
 預言者とが、かかっている」


 (マタイによる福音書22章37〜40節)と語られました。

イエス様は福音によって、
神様と人を愛することを強調されたのです。

 
真のお父様は、
堕落人間が立てなければならない蕩減条件が
「信仰基台」と「実体基台」であることを解明されました。

創造原理に、霊人体は
神様から与えられる生素と
肉身から与えられる生力要素によって成長する
と述べられているように、
復帰摂理を歩む私たちは、
信仰基台と実体基台を立てることを通して
これらの要素を得、霊人体を成長させ、
完成させることができるのです。

お父様が解かれたみ言は、
神様の契約が成されるという意味で、
「成約のみ言」と言われます。

篠崎 幸郎・著(光言社・刊
『氏族伝道講座 喜びと幸せの生活伝道 み言の原点に立ち返る』より)
第二章 主と出会った者の行くべき道
二、蕩減条件と責任氏族伝道講座
「時代的な恵沢」

喜びと幸せの生活伝道〜み言の原点に立ち返る(16)

(blessed lifeより)


み言が与えられていることが感謝であります。
また、何よりも真のお父様は、
創造原理を解明してくださいました。

人生の目標、ゴールをあたえられたことが
何よりも感謝であると思います。

明確な目標がなければ、
どこに向かって進んでいいのかわからくなります。

堕落論も復帰原理も
創造原理が解明されたからこそ、
解かれていくのです。




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2021年06月13日

恩恵を受ける証しの聞き方?! 人が受けた啓示を自分のものに 《金元弼先生》



210613-tomas.jpg


金元弼先生の平壌開拓時代のお話の途中ですが、
今日は、信仰講座的な内容になります。

「自分のこととして話を聞く」
霊能者の話の続きです。


霊能者に啓示があった時には、自分にはなかったとしても、
そういう人たちの啓示を自分に与えられたものとして
受け入れてくださるようにお願いいたします。
それが知恵のある人なのです。

皆さんは、いろんな先輩たちや
諸先生方の証を聞いていると思います。

その人たちが、二時間にわたって証をしているとすれば、
今まで三十年、四十年、五十年の生涯をかけて積み上げてきたものを、
たった二時間でお話ししているのです。

それを聞くことによって、その人を通じて
神がどのように苦労なさったのか、
どのように導いてくださったのかという、
その神を私の神として受け入れることは、非常に大事なことと思います。

その人の幼い時から今までの話を聞きますと、
自分がその人と共に生まれて、一緒に育ってきたように、
そういう親近感を感じるようになるのです。

ここに一人の人がいるとしましょう。
今までは何も分からなかったので、
この人は普通の人だと思っていたのに、話を聞いてみれば、
お父さんが王様であるということが分かったとしましょう。

そうしたらそれから後は、この人に対する態度が
どんなにか変わっていくことでしょう。

キッチンで働いている人がいるとしましょう。
この人は、かつて死にかかっている人を救うために、
自分のすべてを投入して助けたという
経験をもっている人だとしましょう。
そうしたら、皆さんはどんなふうに考えるようになりますか。

それと同じように、人を知るということは大事なのです。
そうすれば兄弟を大事にするという考えが出てくるのです。

最も大事なものは、心の中にすべてあるのです。
目に見えるものだけを見て知ろうとするだけでは、
その人の価値がよく分かりません。
秘められているものを知ることによって、
初めてその人の価値をはっきりと知るようになるのです。

ですから、いろいろと聞くお話は、その人のこととしてではなく、
自分のこととして受け取るようにしてほしいのです。
そういう人は、啓示を受ける人よりも、
もっと大事なことをすることができるのです。

 
イエス様が亡くなって、復活してお弟子様たちに現れた時に、
イエス様は生きていないと考える人と
生きているという人がいました。

疑った人の代表はトマスでした。
それでイエス様が「それでは、
私の傷あとに手を当ててごらんなさい」と言われたのです。

このようにしてみますと、直接啓示を受ける人は、
実際に見て信じる者と同じです。
人の話を聞いて信じる人は、見ないで信じる人と同じなのです。

啓示を受けて信じた人と啓示を受けないで
他人の話を自分に告げられたものとして聞いた人と、
神はどちらを最も信仰ある者と見るでしょうか。
分かりますね。

I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々
「自分のこととして話を聞く」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題



人の話を自分のこととして、
受け取ることができる人は、
「啓示を受ける人よりも、
もっと大事なことをすることができる」

このみ言はとても重要だと思います。

一人一人は個性真理体です。
無限分の一の個性を
神様から与えられているわけです。

その人が通過した心情は、
神様もともに通過してこられたのです。

ちなみに、渡邊教会長は、時間があれば、
できるだけ多くの食口たちと面談されています。

先日、ある婦人が、教会長との面談で、
「3時間しか話せなかった・・
もうちょっと話したかったのに」
と言っていたそうです。

3時間も話した、と誰もが思いますよね。
3時間、話を聞いていた教会長は、
本当に素晴らしいと思いました。

「人の話を自分のこととして聞く」
そのことにより、多くの恩恵が与えられます。
心して、実践していきたいと思いました。



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