2021年06月13日

恩恵を受ける証しの聞き方?! 人が受けた啓示を自分のものに 《金元弼先生》



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金元弼先生の平壌開拓時代のお話の途中ですが、
今日は、信仰講座的な内容になります。

「自分のこととして話を聞く」
霊能者の話の続きです。


霊能者に啓示があった時には、自分にはなかったとしても、
そういう人たちの啓示を自分に与えられたものとして
受け入れてくださるようにお願いいたします。
それが知恵のある人なのです。

皆さんは、いろんな先輩たちや
諸先生方の証を聞いていると思います。

その人たちが、二時間にわたって証をしているとすれば、
今まで三十年、四十年、五十年の生涯をかけて積み上げてきたものを、
たった二時間でお話ししているのです。

それを聞くことによって、その人を通じて
神がどのように苦労なさったのか、
どのように導いてくださったのかという、
その神を私の神として受け入れることは、非常に大事なことと思います。

その人の幼い時から今までの話を聞きますと、
自分がその人と共に生まれて、一緒に育ってきたように、
そういう親近感を感じるようになるのです。

ここに一人の人がいるとしましょう。
今までは何も分からなかったので、
この人は普通の人だと思っていたのに、話を聞いてみれば、
お父さんが王様であるということが分かったとしましょう。

そうしたらそれから後は、この人に対する態度が
どんなにか変わっていくことでしょう。

キッチンで働いている人がいるとしましょう。
この人は、かつて死にかかっている人を救うために、
自分のすべてを投入して助けたという
経験をもっている人だとしましょう。
そうしたら、皆さんはどんなふうに考えるようになりますか。

それと同じように、人を知るということは大事なのです。
そうすれば兄弟を大事にするという考えが出てくるのです。

最も大事なものは、心の中にすべてあるのです。
目に見えるものだけを見て知ろうとするだけでは、
その人の価値がよく分かりません。
秘められているものを知ることによって、
初めてその人の価値をはっきりと知るようになるのです。

ですから、いろいろと聞くお話は、その人のこととしてではなく、
自分のこととして受け取るようにしてほしいのです。
そういう人は、啓示を受ける人よりも、
もっと大事なことをすることができるのです。

 
イエス様が亡くなって、復活してお弟子様たちに現れた時に、
イエス様は生きていないと考える人と
生きているという人がいました。

疑った人の代表はトマスでした。
それでイエス様が「それでは、
私の傷あとに手を当ててごらんなさい」と言われたのです。

このようにしてみますと、直接啓示を受ける人は、
実際に見て信じる者と同じです。
人の話を聞いて信じる人は、見ないで信じる人と同じなのです。

啓示を受けて信じた人と啓示を受けないで
他人の話を自分に告げられたものとして聞いた人と、
神はどちらを最も信仰ある者と見るでしょうか。
分かりますね。

I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々
「自分のこととして話を聞く」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題



人の話を自分のこととして、
受け取ることができる人は、
「啓示を受ける人よりも、
もっと大事なことをすることができる」

このみ言はとても重要だと思います。

一人一人は個性真理体です。
無限分の一の個性を
神様から与えられているわけです。

その人が通過した心情は、
神様もともに通過してこられたのです。

ちなみに、渡邊教会長は、時間があれば、
できるだけ多くの食口たちと面談されています。

先日、ある婦人が、教会長との面談で、
「3時間しか話せなかった・・
もうちょっと話したかったのに」
と言っていたそうです。

3時間も話した、と誰もが思いますよね。
3時間、話を聞いていた教会長は、
本当に素晴らしいと思いました。

「人の話を自分のこととして聞く」
そのことにより、多くの恩恵が与えられます。
心して、実践していきたいと思いました。



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posted by ten1ko2 at 07:02 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする