2021年07月16日

和やかに過ぎた7月のあの日 54年前、高知で・・・ 《文先生の足跡 高知篇》



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「日本を愛した文先生の足跡」と題し、
写真と証しを紹介するシリーズ
今回は、高知特集、54年前
お父様の2回目の来日の際のエピソードです。


1967年7月、文鮮明(ムン・ソンミョン)先生が
初めて高知に来られることになりました。

高知教会においては、お迎えするための
具体的な準備が進められました。
大藤(おおとう/旧姓津野)弘子さんは当時を振り返って話します。

「みんなで手分けして教会の掃除をしました。
私はおふろの担当でした。
『メシヤという方に対してどれくらい丁寧に洗ったらいいのだろう。
とにかく全部ピカピカに新品のように』と思って、
一生懸命にタイルを磨きました」


7月10日、ついに文先生が乗られた飛行機が高知空港に姿を現しました。

文先生は教会に着くと
1階の礼拝堂に集まった教会員にみ言を語られ、
翌11日には「本郷之都地上天國」と揮毫されました。

また高知城内でひととき、バナナやスイカを食べながら、
文先生と楽しい交流の場を持つこともできました。

ベートーベンの「喜びの歌」、「禁じられた遊び」のギター演奏、
その他、琴、フルートなどそれぞれに練習した成果を披露しました。

なごやかな雰囲気の中で、時は過ぎていきます。

ところがそこに一人の浮浪者のような人が来て、
果物をじっと見るのです。
そこにいたメンバーは
「早くどこかに行ってくれないか」と思っていました。

その人はしばらくすると、去っていきました。
すると文先生が「果物を上げてきなさい」
と言われたのです。

文先生は語られました。

「人間が一生を…短い眼目でもって見ると…
 不公平のように思うんだけど、
 2000年とか何千年単位として
 この一つの周期を見てみると、
 宇宙は絶対公平というんですね。

 だから一度栄えた国は必ず滅びる。
  …滅びないための方法としては、
 どうしたらよいのか。

 …栄えたすべての財物を、その谷の下の方に
 下ろしておけというんですね。
 そうすればまた上がる。

 …だから高くなればなるほど、
 下の方に心をつめて、
 そこに忠誠を尽くせというんです」

(『日本統一運動史』より)



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高知空港に着かれた文先生。   板書しながらみ言を語られる文先生
上から2人目(1967年7月10日)      (1967年7月10日)

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文先生が高知のために書かれた揮毫 教会の2階で食事される文先生(1967年7月)

(光言社『グラフ新天地』383号[2000年6月号]に掲載)
【文鮮明総裁聖和節記念】
日本を愛した文先生の足跡 2〜 高知 〜

(blessed lifeより)


浮浪者に関してのお父様のみ言。
とても重みのあるみ言ですね。

一人の人を見つめながらも、
お父様は歴史を見つめ、
全体を見つめられるのだな、と思います。

栄光在天、地に忠誠を尽くされる、
真のお父様が偲ばれるのです。






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posted by ten1ko2 at 10:36 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月15日

囚人たちが一番恐れるのは・・・ 人生最強の言葉は「ために生きる」 《浅川先生》



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浅川先生の自叙伝書写講話。
「意味のある人生を生きる」です。


加藤諦三(たいぞう)・早稲田大学名誉教授は、著書の中で
「私はアメリカの刑務所の中で、囚人たちに
『何を一番恐れるか』と聞く調査をしたことがある。

彼らは何と言ったか。
『最も恐れているのは意味のない人生です』
と答えた人が圧倒的に多かった」(『失敗を越えることで人生は開ける』12ページ)
と述べています。


意味のある人生とは、どのような生き方なのでしょうか?
文鮮明先生は「ために生きる人生」だと言われます。

聖書に「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、
それはただ一粒のままである。
しかし、もし死んだなら、
豊かに実を結ぶようになる」
(ヨハネによる福音書12章24節)
とあります。

自分の命に固執して自己中心的に生きれば、
自分だけの人生になりますが、
自分の命を人のために捧げれば、
豊かに実を結ぶというのです。

人生の価値と意味は、私の行動によって
幸せになった人々がもたらしてくれるのです。
ために生きた人が多いほど、人生の価値と意味が高まります。

限られた時間の中で、意味のある人生を送るためには、
時間を大切にしなければなりません。

誰にも、時間は平等に与えられています。
一日は二十四時間、一年は三六五日。
誰にも共通に与えられている時間を、
ために生きて有意義なことに費やすべきです。


「自分よりも人のために、
 自分の家庭よりも隣人のために、
 自分の国よりも世界のために
 生きなければなりません」


(『平和を愛する世界人として』257ページ)


「時間を必要度に応じて細かく刻み、
 一瞬でも無駄に使わずに一生懸命働けば、
 その人生は本当に貴いものになります。

 人が一本の木を植えるとき、
 自分は二本、三本の木を植えるのだ、
 という勤勉で誠実な姿勢を持って生きるべきです」
(同、256─257ページ)



◎ポイント
時間を大切にし、勤勉で誠実に、ために生きる。

浅川 勇男・著
(光言社・刊『幸福を引き寄せる家庭の生活習慣』より)
第二部 幸福を引き寄せる昼の生活
意味のある人生を生きる

幸福を引き寄せる家庭の生活習慣 41
意味のある人生を生きる

(blessed lifeより)


お父様の人生哲学ともいうべきものですね。
私の人生、一挙手一投足が何のためにあるのか、
改めてただされました。

与えられた環境、仕事、公的な責任分担(役目)も、
天のみ旨を推し進めるためのものであると同時に、
私たちの人生に彩りを与えるものであり、
幸福につながるものです。

そして、私たちの歩みは、個人や家庭の幸せだけでなく、
世界平和にも直結します。
微力な者であっても、
歴史の黄金期である、今このときに、
精誠に精誠を重ねていきたいと思うのです。




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posted by ten1ko2 at 07:50 | Comment(0) | 自叙伝書写(浅川先生) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月14日

子どもを信じていますか?! 子の本性(ほんせい)を信じると・・ 《蝶野部長》



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蝶野家庭教育部長による子育てエッセー
今回は、「待っている子女」です。


  親の愛を通して確かめる

自身の存在の根拠が愛であったという体験を通して、
人は生きる力を得るようになっています。

信仰の道においても、神様の愛を確認できた時、
信仰の力がみなぎってくるのと同じように、
子女も自分が愛によって生まれ、愛によって存在している
ということを、親を通して確かめたいと願っています。

親に捨てられ孤児院で育てられたという子でさえも、
「親が自分を手放したのは、そうせざるをえなかった
難しい理由があるに違いない」と、そして
「時が来れば、両親が愛の涙で迎えにきてくれるかもしれない」
と、親の愛を信じたい心を持っているといいます。


  親を信じている子女の愛

親の愛の基準がどのようなものであったとしても、
子女はすでに親の愛を信じています。
生まれながらに、親を信じるという
愛を持って生まれているのです。

信じている心が先にあるのです。
これも神様が本来子女自身に与えてくださっている
「子女の愛」なのです。

しかし、親から愛の投入が途絶えていて、
愛を確認できないと感じる時には、
子女自身の内面にある「親を信じている心」を
裏切ってしまうことになります。

ですから、それが原因となって心を閉ざしてしまうことや、
反発することもありますが、
そのような子女の不安や痛みは、もともとは
「親を信じていた子女の愛」からくるものなのです。

親が子女を愛し、信じているのだという話はよく聞きますが、
子女も親を信じているのです。
それは神様がお創りになった子女の愛というものを
信頼することでもあるのです。

そうすれば、いかに難しく見えるときでも、
子女に対し、どこまでも信じてあげながら、
真実の心を変えないで対することができます。

本性を信じてこそ、愛も復帰されます。

子女は愛を確認できれば、同じ基準のものは
二度と求めないようになっています。

それは、子女自身も完成しなければならないという目的性の中で、
段階的に成長を遂げるようになっているからです。

本性の要求しているものと、自分自身が体験したことが合うと、
納得して、自ら次の段階に進んで上がっていくように
なっているので、親である私たちは、
「子女の愛」を信じ、今見えるものの中から、
子女の本性が求めているものに関心を持って、
それと関係を結ぼうとすることが大切です。

『ムーンワールド』で連載中

孝情を育む 9
「待っている子女」
家庭教育部長 蝶野知徳
(Blessed Lifeより)


子女も親を信じている、
親を信じている心がある、
そうなんですよね。。。

親としては当然、子女を愛しているのですが、
その愛が子女に届いていなくて、
それでもずっと信じて待ってくれている
ということにあまり気づきません。

うまく表現できないのですが、
子どもが親を信じてくれているわけなので、
さらに愛していきたいし、
あきらめることなく、信じ続けていきたい
そう思わされます。

また、私たちも親なる神様に対して、
絶対に信じていかなければ、と思います。

神様は必ず愛してくださっています。
たとえ今は感じなかったとしても、
実感できる時が必ずやってきますので、
信じ続けていきましょう。






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