2021年07月10日

(証し)私の立てた精誠をお父様はご存じだった! 《神明夫妻・ジャルジン他》



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神明先生ご夫妻の証し、
続編です。


忠昭さん:私たちは、一九九九年の七、八月にジャルジン四十修に参加しました。
 私はそのときUTSの責任者だったので、仕事が忙しく、
 少し遅れて行き、妻が一足先に行きました。

 真のお父様は、「UTSから来たんだろう」と、
 妻に非常に関心を持ってくださいました。

 実は、妻は、この修練会に参加する前、
 百二十日間の特別精誠をささげていたのです。

澄江さん:同年九月から真の子女様がUTSに入学される予定になっていたので、
 お迎えするために一月一日から四月三十日まで毎日、
 UTSの敷地内にある聖地で精誠祈祷をささげたのです。

 それは七七七家庭の韓国婦人と共に行いました。
 自宅からUTSまでは、車で一時間半ほどかかったので、
 私はそれまで一年に一度くらいしか
 自分で運転してUTSに行く機会はなかったのです。

 遠いので、夫は週末だけ家に帰ってきていました。
 また特に、冬の期間なので、雪や雨が降ると大変でした。
 ひどい雪のときには、学生に運転をしてもらって行きました。

 そのような精誠条件を立てるようになったきっかけは、
 真のお父様ご自身がUTSを設立される前に、
 そこに三年間通われ、建物を購入された
 と聞いたことがあったからです。

 私は、たった百二十日ですが、お父様が
 どんな苦労をされたかを考えながら歩みました。

 ですから、往復三時間の運転中は、いつも、
 真のお父様のみ言を聞いたり、聖歌をかけたりしていました。

 わずかな期間でしたが、そのような心情があったので、
 真のお父様が「UTSから来たんだろう」と声をかけてくださったのだと思います。

 本当に真の父母様は親であり、小さな精誠でも
 お分かりになるのだなと感じました。


忠昭さん:今回は、慕わしい真の父母様との心情的な思い出を
 中心に語らせていただきましたが*
 一九七三年に米国に来てからの活動面を少しだけ話しますと、
 私は渡米直後にニューヨークで原理講師として英語で講義をしたり、
 国際指導者百日修の伝道部門の現場監督を務めたり、
 初期の米国原研の総責任者をさせていただいたりしました。

 UTS卒業後は、他の大学で神学博士号を取得してから、
 一九八五年にUTS教授として教鞭を執り始めました。

 UTS教授のとき、突然、真のお父様から教会関係の仕事も
 並行してやるようにというみ言を受け、一年間という短い期間でしたが、
 当時の米国大陸会長の立場にあられた韓国人リーダーの特別補佐官として、
 教会関係の会議を取り仕切ったり、巡回や説教をしたりしました。

 一九九四年にUTS総長に就任した後、UTSはニューヨーク州当局以外の
 米国の大学認可団体による精査を受けて、無事認可されましたが、
 そのための準備には並々ならぬ困難がありました。


 今後の抱負としては、第一に、今まで統一神学関係の学術論文を
 たくさん書きましたが、それを体系的にまとめて
 統一神学の本として出版したいと思います。

 真のお父様が説かれた統一原理こそ、
 今までのキリスト教神学ではどうにもならなかった
 神学的難問を解くことができるということを証したいのです。

 キリスト教には、神様と被造世界の関係、啓示と理性の関係、
 創造目的の不明性、アガペーとエロスの関係、三位一体論の謎、
 贖罪論の真の伝統の不在など、
 数え上げれば、切りがないほど未解決の問題があります。

 ところが、神様の心情と二性性相という画期的概念を持つ
「原理」を持ってくると、それらが解けるのです。

 それだけでも、真のお父様が再臨主であられることが分かります。
 これを世界の神学者と牧師たちに読ませたいです。

 第二に、自分なりに経験して捉えた、真の父母様が願われる
 信仰の伝統とは何かを兄弟姉妹たちにシェアして、
 たとえさまざまな困難があっても、それを克服するために、
 生きた神様が導いてくださっているという希望を与えていきたいと思います。

 第三に、神氏族メシヤ活動の勝利のために継続して頑張っていきたいと思います。


澄江さん:米国の有名牧師復帰と億万長者復帰と
 神氏族メシヤ活動が私の目標です。

 米国の有名牧師と目ぼしい億万長者には、
 真のお父様の自叙伝『平和を愛する世界人として』を送りました。
 今、祈りながらコンタクトしています。

 もちろん、実際、直接話す段階になると、
 夫にも手伝ってもらわなければなりませんがね。

忠昭さん:妻はすごいんですよ。あるとき、勇敢にも、
 ニューヨークの有名なユニオン神学校の総長までも、
 ある筋を通してコンタクトしてアポを取ったので、
 私が動員されて、妻と二人で話しに行ったことがあります。

澄江さん:二〇一六年七月、神氏族メシヤ活動のために日本に行って、
 親戚や古い友人、知人に会いましたが、神様の導きを感じました。
 毎年、定期的に訪日して、この活動を継続していくつもりです。

慕わしきわが主、わが父母 真の父母様との思い出
第16回ベルべディア家庭教会(ニューヨーク州)
神明(しんみょう)忠昭・澄江(777家庭)
(「世界家庭」2017.2/P.72〜81)
「深い神様の心情圏に没入し、一刻一刻を過ごされるかた」
*神明先生が語られた部分は、
次回以降何回かに分けて紹介します


奥様の精誠の証しは、
「なるほど」と思わされました。

「UTSから来たんだろう」
というお父様のみ言。
その人がどんな精誠を捧げておられるか、
お父様には一目瞭然なのでしょう。。。

実体のお父様はおられませんが、
お父さまに覚えられるような
そんな精誠を捧げていきたい、と思わされました。

また、神明先生が統一神学を
書き記そうとされる動機も
素晴らしいな、と思いました。

天を動機として歩めば、
天が取ってくださるのだ、と感じます。

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posted by ten1ko2 at 10:04 | Comment(0) | 私と御父母様 ・信仰の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月09日

「日本を愛した文先生の足跡」 写真と証しで綴る新シリーズ 《仙台篇》


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文先生が書かれた揮毫(1965年2月10日) 仙台市内を走る「希望の日」フェスティバルの宣伝カー(1975年)


8月24日はお父様が聖和されて
9周年になります。

そのことを記念して、Blessed Lifeでは、
「日本を愛した文先生の足跡」と題して、
15回にわたるシリーズを企画してくださいました。

今日は、仙台特集です。

 
  1965年2月10日午前0時56分

1965年2月10日午前0時56分、仙台の地に歴史的な
1ページが記されることになりました。

9日早朝札幌を出発された文鮮明(ムン・ソンミョン)先生ご一行が、
仙台に到着されたのです。

文先生は午前1時40分から
「神と逢う所」と題してみ言を語られました。

午前4時からは西川勝(韓国名・崔奉春〈チェ・ボンチュン〉)先生を中心に
交流の場が持たれ、気がついた時には朝日が部屋を照らしていました。

午前10時45分、マイクロバスとハイヤーに分乗して、
青葉城に向かいました。
聖地を決定するためです。

文先生が決められた聖地からは、
仙台の街を一望のもとに見下ろすことができます。

また文先生は仙台のために「天國花仙台」という
揮毫を下さり、午後1時発の飛行機で羽田に向かわれました。 

 
  深々と頭を下げて祈られる後ろ姿

次に文先生が仙台を訪問されたのは、
1967年7月18〜19日のことでした。

当時、仙台教会にいた中村武子さんは語ります。

「お話しの後、先生がお休みになったのは
午前2時ごろではないかと思います。

寝室に入られた後、着替えをお持ちでなかったことが分かり、
急いで汗で濡れたワイシャツを洗濯し、
朝早くアイロンをおかけして
先生のお部屋の前までお持ちしました。
まだ5時前でした。

何気なく洗濯物を戸の前に置こうとして、びっくりしました。
ふすまの隙間から先生のお姿が見えたのです。
布団の上に正座され、両手をついて
深々と頭を下げて祈っておられる先生の後ろ姿でした。

先生はいつもわずかな時間しか眠られないと
伺っておりましたが、そのお姿を目のあたりにし、
私は一瞬そこに立ちすくんでしまいました。

先生は多分1時間か2時間くらいしか
眠られなかったのではないかと思います」

(「ファミリー」1983年5月号より)
 
「イエス様のことをお聞かせ下さい」。
これが仙台教会の一室で
文先生に最初にお会いしたときの私の質問でした。

先生は「かわいそうな男だよ」と、
たった一言、振り向かれて答えられました。
その時の先生の悲しそうな、その言葉と表情は
今も忘れることができません。

(山岡建雄氏、「ファミリー」1981年8月号より)
 
◎聖地を決定された意義

韓国で勝利した基準を、
世界まで因縁づけてあげなければならない。
すなわち、韓国の子女によって、
全人類をアダム、エバの堕落直前の立場にまで
昇格させてあげたいので、
ここに土地が必要なのである。
これが、世界に聖地を定めた理由である。


(「御旨の道」より)


1965.0210 (2).png 
聖地決定に際して、聖塩で聖別される文先生。  
後方は久保木修己初代会長(1965年2月10日、青葉城内)


1967.07.jpg 1967.07 (2).jpg                   
  み言を語られる文先生   (1967年7月、仙台教会所蔵)   仙台駅にて  


日本を愛した文先生の足跡(1)
仙台
(光言社『グラフ新天地』382号[2000年5月号]
「日本を愛される文先生の足跡」より)


お父様は早稲田の学生時代、日本の地で
多くの精誠を尽くされましたが、
公式的な立場で最初に日本に来られた1965年、
この時に8大聖地を決定されたのでした。

それ以降、草創期には何度も日本を訪ねて
愛してくださいました。

今回は、仙台の地に残された足跡を振り返りました。
誰よりも日本を愛された真の父母様。
その心情の一端を感じることができました。。。
ありがとうございました。




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posted by ten1ko2 at 08:44 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月08日

こんな私に神が「行け」といわれるのはなぜ?! その心は 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》

「行け」というのも神、奇跡を起こすのも神・・・



210708-John Martin-Moses dividing the waters of the Red Sea.jpg
モーセが紅海の水を分ける


李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生の
「信仰と生活」のみ言より
「心を土台として神がやる」です。


神は、一遍に三つ、四つのことを命令する時があるのです。

そういう時は、「行け」と言っても、行くのを見るのが目的ではなく、
「行け」という命令を受ける時の、その人の
「行きたい」という心構えを見るのが目的なのです。

だから、「こんな人間に、あれやこれやと忙しく仕事を
させなくてはならない神は、かわいそうだな」という
神に対する同情心がわき上がるくらいの心情があるならば、
こんな自分も神にとっては必要であり、
こんな自分をも信じてくれるのだという
縦的な因縁を発見するのです。

そのように、神と神が命令した人との間に、
相対基準ができれば、たとえその場に座っていても、
あとは神がやってしまうのです。

そういう信仰がないと、「体は一つなのに、
あれもこれも……」と不平を言いやすいのです。


モーセに率いられた六十万の民は、紅海を前にして、
「たくさんの人を連れてきて、どうするつもりか」と、
モーセに不平を言ったのです。

もしもその六十万の民が、
「エジプト軍の馬の足に踏まれて死ぬのは恥である。
海の中に飛び込んでも、私たちをここまで連れてきた神が、
滅ぼすはずはない」と信じたならば、
モーセが杖で海を打つ必要もなかったのです。


だから、ああやれ、こうやれという事情がぶつかってくる時には、
「人間はたくさんいるのに、神様、こんな者を
選ばねばならないのは、本当にかわいそうですね」
と祈ってみれば、自分も涙が出るのです。

その涙は、神の涙です。
その時に神の悲しみを体験するのです。
そのあとで、我知らず「やるぞ」
という誓いが出てくるのです。

すると、神が仕事をやるのです。

命令は神がして、なすべき結果も神がするのです。
人間は復帰摂理に加担しているけれども、
仕事は全部神がしているのです。

私たちの「心」を土台として、神がやるのです。
私たちが伝道に出た時など、特にそれを経験するのです。

何かに成功しても、神の前には「それは私がやったのです。
私でなければできないことです」とは言えないのです。
縦的関係において、「やりたい」という気持ちがあれば、
仕事は神がやっていくのです。

1.牧会
心を土台として神がやる

信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」
李耀翰
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)


神様を動機として歩むこと。
結果はどうだったとしても、
すべて神様が主管される。。。
そのように思うことが重要だと思います。

私たちは、結果に左右される堕落性があります。
ダメだった時は、反省し、
悔い改める、というより、
ただ悔いるだけで終わってしまったりします。

また、結果が良かった時には、
神様を忘れてしまって満足してしまう、
つまり栄光在天ではなく、
自分に返してしまうこともあるでしょう。

置かれた環境に、神様の意図、配剤を感じる。。。
いつの時にも、しっかりと心を神様に向け、
神様を中心に歩んでいけるように、
あらためて心がけていきたいと思います。




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