2021年07月17日

「伝道以前の問題」 砂に水を注ぐことにならないための準備 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生の「信仰と生活」の
み言より「伝道以前の問題」です。

 
私たちは、信仰に出発する前に、既に
信仰の基盤をつくって、それからこの言葉に接したのです。

信仰の基盤がつくられていない人は、
言葉を聞いてもなかなか信仰に入りにくいのです。

私たちはみ言を聞いて喜んで、だれでも
この言葉を聞いたら、先立っていくだろうと思い込んで、
「原理」を紹介します。

ところが、案外聞きません。
その理由は、その人の今までの生活において、
善に対しての基礎がなく、基盤がないからなのです。

そういう人を伝道する時には、
まず自分もその人と同じ基盤の上にいると思うことです。

基盤ができている人は、別に苦労しなくてもついて来るのです。
「私も連れていってくれ」と言って、
向こうのほうから積極的に訪ねてくるのです。

だから伝道する前に一度、そういう基盤が
できているかできていないかを調べてみなくてはいけないのです。

それには普通、その人の喜びとか悲しみなどを調査するのです。
どういう条件でうれしがるか、どういう条件で悲しむかを調べるのです。
その人が情の基盤を公のものにもっていれば、
神に対して何も欲しくなくても、神が先に主管してくれます。

だから、一番初め、その人の話を聞いて、
どれほどの基盤がつくられているかということを分かってから、
その基盤の上に話を投げかけないと、
砂に水を注ぐように言葉を失ってしまうし、
その人は受け入れなくなってしまうのです。

開拓伝道などに出た場合、自分個人としては
信仰基盤を内的につくって出たけれども、
外的には、自分を中心として二、三人、
基台をつくってくれる人を探さなくてはいけないのです。

 
イエス様は、初め、家庭で基盤をつくろうと思った。
しかし、兄弟も母も全部応じなかったのです。

第二には、エルサレムへ行って祭司に当たっていった。
ところが祭司たちもまた、イエス様を中心とした
基台になることを拒んだのです。

第三には、洗礼ヨハネに話していったけれども、
洗礼ヨハネは応じることなく、その弟子たちも崩れてしまったのです。

それで、イエス様の路程は完全に崩れて、
自分自身で基台をつくるために再出発したのです。

それで、ペテロとヤコブとヨハネを相手に
基台をつくったのですが、
そういう人をどこへ行って探したかというと、
この世で捨てられた人、貧乏な人、無職者など、
その時代のユダヤ社会の一番下層の人たちのところへ行って、
イエス様もその立場に落ちて、
そういう人たちと基台をつくったのです。

それは信仰の基台というよりも、
その人たちの悲しみによる基台なのです。
その時代に捨てられた立場の者たちの基台なのです。
イエス様自身何もないから、何もない人に同情してやるのです。

初めの時、イエス様は、自分のもっている使命を中心として
祭司長と関係を結ぼうと思いましたが、それが失敗してからは、
自分の立場で基台をつくることをあきらめたのです。

悲しみの人間を慰めながら基台をつくって
育てなければならないという、第二の出発です。
だから、それはメシヤの立場ではなく、洗礼ヨハネの立場でもない。
悲しい人や病人に奉仕し、侍りながら、
その人を中心として、自分が基台をつくろうとしてきたのです。

それでも弟子たちは、この奇跡を見てだんだんと
イエス様という人を分かってきたのです。

弟子たちは、この奇跡の能力をもって、何か、
私たちの悲しみを除いてくれるのではないかというように、
自分を中心としてイエス様を喜んで迎えたのです。
そんなふうにしかイエス様を迎える人はいなかったのです。

あるいは、イエス様の霊的な実力を見て、
この人は将来、祭司長より成功するのではないかということで、
弟子の立場でイエス様を利用して幸福を得ようと、
そんな基準でイエス様を信じてきたのです。

  
韓国では、伝道に行って初めに何をするかというと、
その村とか町での、一番悲しい家族を探すのです。

例えば、夫が兵隊に出てしまった女性たちだけの家とか、
息子を兵隊に取られたおじいさんやおばあさんだけの家とかを訪ねて、
言葉をもって付き合うのではなく、
信仰問題には触れず、人格的に交わって、
相手の人たちが自分を利用して、
何か喜ぶようなことをしなくてはなりません。

だから、僕の立場で町へ来て、この肉体の力で
何かやる仕事はないかなと探すのです。

先生はそれをやる方法を教えてくださるのです。
それは、一番遅くまで寝ることができないで、
一番早く起きる家を探すのだといわれるのです。

また、聖書的にいえば、ある村を伝道する伝道者というのは、
その村の祭司長の立場です。
祭司長というのは、祭壇の火を徹夜して守るのです。

火を消さない理由は、心情をもって
この世を守るという意味なのです。

だから、先生はいつもおっしゃるのですが、
その村で一番遅くまで起きていなければならない家へ行って、
庭を掃いたりして奉仕するのです。

そうすれば、信仰のことは一言も言わずに
その人と情が結ばれ、それを基盤として汗と涙を流すのです。

神と相対しながら、その人のために奉仕する期間は
非常に成長するのです。
神との秘密をもった時、神は熱心に協助してくれるのです

1.牧会
「伝道以前の問題」

信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)


伝道を成していくためには、
基台を立てなければならない・・・

私たちが導かれる前にも、
先祖や親たちの功労や背景、
生まれてからの様々な出会いが
準備されていたことを、今思えば感じます。

イエス様はゼロから出発されました。
どれだけ基台を作られるのが、
大変なことだったでしょうか。

真のお父様も、同じように
すべてを失った立場から出発されたのです。

しかし、私たちには基台があります。
真の父母様の立てられた勝利圏があります。

今は、外に向かっていくときですが、
そのためには、
より、内部がしっかりしなければならないでしょう。
いわゆる「内部伝道」が必要です。

コロナ禍の時こそ、
内部充電をして、
蓄えていく時だと思うのです。




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posted by ten1ko2 at 08:19 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする