2021年08月13日

訓読会の伝統は、どこから始まったか?! 《鄭元周秘書室長の証し》



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鄭元周(チョンウォンジュ)総裁秘書室長が、
お母様の前で、訓読をされている夢を見ました。

私たちも行っているみ言の訓読会。
真の父母様は、いつから出発されたのでしょうか。

以前紹介した証しです。


お母様はどのみち一度経なければならない更年期の憂鬱症も
お一人でかみしめて苦痛を忍ばれました。

ご自身の苦痛を考えられる前に
お父様のことを考えなければならず、
ご子女様たちの困難を解決されなければなりませんでした。

大変でお一人で苦痛を受けられても、
何事もなかったかのように美しい微笑でお父様に対され、
耐えきれず涙を流されても慈愛に満ちた愛の眼差しで
ご子女様たちとお孫様たちに対されました。

24時間終始、お父様の傍らでお父様の健康のために
最善を尽くされるお母様、
ご子女様たちの困難を見られながらも、
ご一緒にいることができず、
神様とお父様のみ旨だけのために
すべてのことを後回しにされたまま、
お父様と共に歩まれなけれはならない
お母様の困難な路程を見守りながら、
私はそのお母様がどれほど感謝であるか分かりません。

そのかたがおられたからこそ、今日の私たちがあり、
また天一国を迎え、天一国の主人として
登場することができるのではないでしょうか! 


21年のイーストガーデンでの生活の中で、
ご父母様に侍って訓読会を通して、
私は本当に霊肉合わせて成長したと自負しています。

訓読会の伝統は、すでにかなり前から
ご父母様が立てられてきました。

私がイーストガーデンに入る前からももちろんありましたが、
私が入った1983年から、明け方4時や5時になると決まって
お父様の前でみ言集を2、3時間ずつ読んでさしあげました。

1986年からは、み言を録音して聞かせてさしあげました。
一日も欠かさずにそのような生活をしてきた中で、
1997年から公式的な訓読会の伝統を立てられることになったのです。

ご父母様はそのように
み言に酔って生きてこられたかたです。

「真の愛の勝利者」より


訓読会の伝統は、すでに真の父母様ご自身が
立てて来てくださったのでした。。。

しかも、鄭元周秘書室長が、父母様に侍るようになった時、
1983年から出発された、ということですから、
秘書室長は、訓読するために、責任を与えられたことになりますね。

真の父母様の前で訓読されて、
もう40年近くなるのですね。

毎日、2時間、3時間と訓読を受けられる真の父母様。
真の父母様は、み言に酔っておられるのです。

真の父母様が立てられた、み言訓読の伝統、
真の父母様の心情圏を相続できるよう、
私たちも守っていきたいと思います。




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posted by ten1ko2 at 07:32 | Comment(0) | お父様・お母様の路程 証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月12日

疲れて帰宅すると、妻が夕飯も作らずイビキをかいて寝ていたら・・・ 《浅川先生》



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浅川先生の自叙伝書写。
今回は、「夫は妻を至誠の限りを尽くして愛する」です。


夫が家に帰ってきたら、妻が夕食の準備もせず、
いびきをかいて寝ていたらどうですか?

短気な夫であれば、激怒して妻をたたき起こすでしょう。
その結果、妻は安眠を妨害されたことに怒り、
夫婦げんかになってしまいます。

実は、夕食を作りたかったのに、過労で
ついつい寝てしまったのかもしれません。
妻には妻の言い分があるはずです。

しかし、仕事で疲労困憊(こんぱい)した夫の夕食を
作る気持ちにならず、テレビドラマを見すぎて
寝てしまったとすれば、夫は、
妻の無責任さを怒ってもいいように思えます。

ところが、文鮮明先生は、そんな場合でも、
妻を怒鳴ってはいけないと言われるのです。

「家に帰ってきたとき、
 妻が横になって寝ていたとしても、
 『私が責任を果たせなかったので
 待っていないのだなあ』と、
 そのように考えてみたことがありますか。
 御飯も作らず、昼寝ばかりしていても、
 そのように考えなければなりません」


(『愛天愛人愛国』70ページ)


夫に、妻の苦労を理解せず、要求ばかりしていた、
愛の不足を反省しなさいと諭(さと)されているのです。
妻が夫の夕食を作る気になれないのも、
夫が妻を愛する責任を果たしていない結果だというのです。

妻は、夫の限りない愛情を感じれば、要求されなくても、
喜んで夫のために生きるのです。
夫は愛の主体、妻は愛の対象なのです。

だから、
「夫は、至誠の限りを尽くして
妻を愛さなければなりません」

(同、69ページ)
というのです。


◎ポイント

妻の不作為は、夫の愛不足の結果である。

浅川 勇男・著
(光言社・刊『幸福を引き寄せる家庭の生活習慣』より)
第三部 幸福を引き寄せる夕べの生活

幸福を引き寄せる家庭の生活習慣 46
夫は妻を至誠の限りを尽くして愛する

(blessed lifeより)


「妻の不作為は、夫の愛不足の結果である」
なかなか厳しいみ言ですね。。。

浅川先生が語られている妻の例題、
いびきこそかいていませんが、
我が家にも似たようなことがあり、
また、恥ずかしながら夫の態度も、
似たようなことがあったりします。。。

夫婦というのは、
愛を与えあう存在のはずですが、
要求もしやすいのかな、と思います。

本当に、自分の問題であると、
心から感じる私になれるよう、
愛の器を広げていかなければならない、と思うのです。





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2021年08月11日

私とお母様にとっての「聖和」とは 孝進様との9年間、父母様の52年 《文ヨナ様2》



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2015.8.16


文姸娥(ムン ヨナ)様の2015年の
メッセージの続きです。


  52年もの間、喜びも悲しみも全てお父様と共にされたお母様

私たちが真のお父様から学んだ
「聖和(ソンファ)」の基準とは何でしょうか?

霊界においては新しい誕生日であり、
花嫁が嫁入りするときのような、ときめく気持ちで
霊界に入城する喜びの日であるということです。

私はそのみ言を守ろうと、孝進様を霊界にお送りしたとき(2008年)、
個人的な悲しみに陥るまいと多くの努力をしました。
孝進様の行かれる道を損なってはいけないと思ったのです。

ですから真のお父様が聖和されたとき、
私は夫を亡くしたという同じ経験を持つ身として、
少しは真のお母様のお気持ちが分かるはずだという
傲慢(ごうまん)な考えを持ってしまいました。
ところが、それは大きな思い違いだったのです。

そのことを知ったのは、真のお父様の聖和2周年
(2014年8月12日)の朝、天正宮(チョンヂョングン)博物館での
記念敬拝式で上映された映像を見たときでした。


それは、お父様がダンベリー連邦刑務所(米国・コネティカット州)に行かれる直前に、
アメリカの食口(シック)たちにみ言を語っておられる映像でした。

そのときの真のお父様のお姿は、これから刑務所に
入ろうとする人のようではありませんでした。

「この道を行けば、この山を越えれば、その後に
天が準備した新しい世界が開かれる」
という、
この上なく大きな希望とエネルギーに満ちたみ言を、
しかも笑顔で語っておられたのです。

そうして食口たちの勇気を奮い立たせてくださったお父様でした。


でも皆様は、真のお父様のお気持ちを
痛いほど分かっていらっしゃるはずです。

そのときのお父様の置かれた状況は絶望的なものでした。

右も左も分からない幼い食口たちを置いていかなければならないのです。
「どうにか生き残ってくれ、離れていくな」という切実なる思いが、
その笑顔の向こうにあったことを私たちは知っています。

しかも当時は、まだおむつをして、よちよち歩きの子女様も
いらっしゃったのです。
お兄様、お姉様に手を引かれて、真のお父様に
お別れの敬拝をささげる、あどけないお姿を覚えていらっしゃるでしょう?

父母であるならば、どれほど心配であられたことでしょうか。


そのような映像を見ながら、
「私は真の父母様を表面的に捉えて、
分かったつもりになっていなかっただろうか」
と考えさせられたのです。

私は、孝進様が聖和なさったときの自分自身について振り返ってみました。
私が孝進様と一緒に生活したのは9年余りにすぎません。

その間も孝進様は、ベルベディア(米国・ニューヨーク)のスタジオで作曲したり、
映像を制作したりと、いつも忙しく過ごしていらっしゃいました。
ですから実際に共に過ごした時間はさらに短くなるわけです。
そういう中でも私は、孝進様からたくさんの貴重な教えを頂きました。


孝進様は常々、「真の父母様のみ旨を
どんなことをしてでも助けてさしあげたい。
音楽と文化とメディアを通して、天のみ旨を
成し遂げるためにお役に立ちたい」と語っておられました。

孝進様が聖和された後、私はその願いを成し遂げてさしあげたい
という思いをずっと胸に抱いてきました。
にもかかわらず、それを進めることができずにいました。
なぜなら、私は音楽やメディアの専門家ではないからです。

それでも私が思ったのは、たとえ私ができなくとも、
子女たちのうちで素質のある子女が父親の遺志を
継いでくれるかもしれないということでした。

さらに、たとえ直系の子女ではなくても、
二世圏の中で継いでくれる人が出てくるかもしれない
という希望も持っているのです。
もしそういう二世が出てきてくれるならば、
私はどんなことをしてでも協助するつもりです。

こういう思いを持つのは、私が孝進様をおそばで見ていたからです。
1万曲を作曲するとき、どれほど精誠を投入されたか。
皆様の前で公演するとき、どれほど苦しみながら舞台に立たれたか。

よく知っているからこそ、その孝進様の願いを放棄できないのです。
9年しか共に暮らせなかった私ですら、そのような思いが強く湧いてくるのです。

 
では真のお母様はどうでしょうか?

真のお父様と共に金婚式を越えて
52年もの間、過ごされたではありませんか。

お母様は全ての良い瞬間、悪い瞬間を、お父様と共にされました。
お父様が喜ばれるときも泣かれるときも、
つぶさにごらんになってきたお母様なのです。

ご存じのように真のお父様は、
ただ温和なだけのおかたではありません。
み旨の前に、どれほど真剣で、すさまじいおかたであることか!

天の父母様と約束した「孝」の道を全うするためならば、
子供だろうが妻だろうが、全てを犠牲にしてこられた
お父様だったではありませんか。

そのような真のお父様のおそばで暮らしながら、
愛なしに越えていくのは容易なことではないでしょう。
そんな真のお母様が、お父様のみ意(こころ)を忘れることがおできになるでしょうか?

「どんなことがあっても、お父様が成し遂げようとされた
み旨の完成を見てからでなければ、
霊界に行くことはできない」と思われたに違いないのです。

私でさえ、孝進様の願われていたことを
何とか協助してさしあげたいと思っているのですから。

そう考えると、「ああ、真のお母様は、
真のお父様が聖和されてから、
『大変だ』と思う時間すらなかっただろう」と思うようになりました。

では、真のお父様の願いとは何でしょうか?
それが正に、「天の父母様が思う存分、運行したいと思われ、
主管したいと思われる国を探し立ててさしあげること」
であると思うのです。

国際祝福家庭の集い
2015年8月15日東東京教区新宿教会
(『世界家庭』2015年10月号に掲載)

私たちの真の父母様
〜文姸娥様のメッセージ〜
真のお母様は今、何を見詰めていらっしゃるのか(2)

(blessed lifeより)


貴重な証しをありがとうございます。

真の父母様は、壮絶な歩みをしていかれました。
それは、妍娥様も同じような歩みをされたからこそ、
そのご心情がわかるのではないでしょうか。

私たちも足りないながらも、
み旨の道を歩み続けることは、
簡単なことではない一面もあります。

しかし、どこまでも感謝であり、
幸せな道であると感じます。

私だけが苦労している、と思うのではなく、
真の父母様はどのような思いで乗り越えていかれたか、
父母様の心情を相続するための歩みであると思いつつ、
困難を乗り越えていきたいと思うのです。




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posted by ten1ko2 at 09:54 | Comment(0) | ご子女様・真のご家庭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする