2021年09月11日

教会にいろんな人がいる理由 難しい道を行く人もいる 乞食もいる 《金元弼先生》



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金元弼先生のみ言
今回は、「歴史を蕩減復帰する私たち」です。


先生は、6000年の縦的な歴史を横的に全部復帰する摂理なので、
同じ統一教会の中でも、楽に行く人もあれば、
ちょっと難しい道を行く人もいるし、
いろいろな人がいるとおっしゃいました。

それで先生は「統一教会のメンバーの中には、
こじきもいるんだよ」と言われたのです。

それは、今までたくさんの歴史的な人たちがいましたが、
それを蕩減復帰する道が必要だからです。
その人たちを解放する使命をもっている人もいるというのです。

つまり、歴史に起こったいろいろなことを蕩減復帰するために、
同じような状況がありえるということです。
私たちによって、そういう人たちの心情の世界が解放されていくのです。

そういう人たちは霊界に行っても恨みがあります。
ですから私たちが同じ立場に立って、真の親と神を中心として、
これを感謝して受けていけば、
そういう人たちが全部解放されていくということです。


ではこの世に生を受けた人たちは、どのように
恨みをもっていたのでしょうか。

例えば、この世でこじきの生活をして
恨みをもって霊界へ行っている人たちがいるとします。
そのために、メシヤと神が私たちを救うために
こじきの生活をして、食べる物も食べず、
おなかが減るという生活をしたというのです。

先生でも、そういうこじきの生活をせざるを得ないのです。
それでこじきの生活をなさっていたわけです。
こじきの生活をしても、神を考えながら
感謝していたならば、恨みが残らないのです。

しかし、先ほどの人たちは、感謝できないで
そのまま霊界へ行ってしまったので恨みが残っているのです。
どんなに惨めな立場に置かれても、
神に感謝して、神をたたえていくならば恨みは残りません。

 
ではどうしたらそういう惨めな時に、
神に感謝する心が出てくるのでしょうか。

自分のことを考えると、恨みを抱かざるを得ないのです。
例えば、他の人はみんな良い生活をしているのに、
なぜ私だけがこのようにならなければいけないのかと考えます。

それで自分の親を恨んだり、神を恨んだりするのです。
しかし、神もこういう生活をしたのだと考えれば、
かえって神を慰めることができるし、
また、そうした神の苦しみを分かるようにしてくださった
神に対して、感謝する心が生ずるのです。

こじきであっても、人のために尽くすならば、
絶対にこじきのままでいるはずがないのです。

ですから、人に奉仕し、私はこのようなこじきには
ならないのだと心を変えていくならば、
絶対に恨みになることはないのです。


こじきはなぜこじきになったのでしょうか。
働かず、奉仕もせず、自分のやりたいことを全部やってしまって、
お金を全部使ってしまったからです。
そして働かないからお金は入りません。

もしその人が神を考え、人のために尽くすならば、
「こじきになりたい」と100年間祈っても、
こじきになることはありません。

ところがそれができなくて、霊界へ行ってから初めて分かるのです。
しかし、悟った時には既に肉体をもっていません。
時既に遅しです。
だから恨みがあるのです。

 
では、その恨みはどのようにしたら払うことができるでしょうか。

それは、地上にいる同じこじきが心を変えて、
人のために尽くすことによって、
神に感謝し人に感謝する心をもつようになれば、
霊界のこじきはその人によって恨みが払われていくのです。

ですから、私たちが周囲の人たちのことを考える時に、
互いに過去の人の恨みを解放してあげなければならない
という道を行っているのだと考えると、
お互いを尊重し合う心も出てくるのです。

私たちが、どういうことであっても、
先生のみ言どおりにやっていくことによって、
いろんなものが全部蕩減されていくのです。

だから一番大事なことは、先生のみ言に従っていくことです。
それによって全部が解かれていくのです。

先生自身がすべてのことに蕩減条件を立てておられるからなのです。
先生はこじきの生活をされましたし、
この世のすべての生活を経験されました。

そういう先生のみ言についていけば、
私も同じ立場で蕩減したという条件が成り立つのです。

I 平壌開拓から興南解放
第二章 いつも弟子に関心をもたれる先生
「歴史を蕩減復帰する私たち」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題


教会には、本当にいろんな方が来られます。
具体的なことは差し控えますが、
普通に会話していても通じないような、
やはり、恨みを持っておられるんだな、
そんな方もおられたりします。

すべての人が神様の子女であり、
これまでに生きて死んだ無数の人たちの
恨み、無念な思いを代わって晴らしていく
立場にいると考えるなら、
貴重な一人ひとりです。

お父様のように、真の父母様のように
真の愛をもって対していくしかないな、
そう思わされます。

また、私自身においても、
「こじき」とは言わないにしても、
決して経済的に裕福な生活を送っているわけではありません。

横と比較してみると、
様々な思いになってしまいます。

だからこそ、元弼先生のみ言のごとく、
感謝していく必要があると感じます。

すべてに意味があると思い、
感謝する生活を心がけていきたいです。





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posted by ten1ko2 at 09:07 | Comment(1) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする