2021年12月07日

どんな人が中間霊界に行くのか 家庭連合食口のいく霊界とは 《李相軒先生》



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李相軒先生の『霊界の実相と地上生活』より
今回は、「霊界で見た中間霊界」です。


  中間霊界

霊界で見た中間霊界は、
地上で考えていたのとは違った所でした。

地上で功労が多く、国家、世界に対して
功績があった人たちの中で、神様に仕えなかったとか、
宗教に対して関心がなかった人たちなど、
地上で功績はあるが、
信仰と関係ない人たちがたくさん集まる所です。

ここでの暮らしは、天国のようでも、
地獄のようでもなく、地上生活と似ていました。

食事時間に例えれば、厨房(ちゅうぼう)で働く人、御飯を炊く人、
器を洗う人、食べ物を用意する人がいて、
みんな共に苦労して、苦労した程度の対価をもらっている所です。

また、人々の表情を見れば、天国では明るく、
地獄では不安な顔ですが、
ここではいつも休まずに熱心に働いて忙しい様子です。

すべての人が熱心に暮らしながら福を受け、
豊かに暮らしていますが、
神様と宗教に対して関心さえない所です。


ここで「統一思想」を講義しましたが、ある人が質問するに、
「『統一思想』とは、文字どおり思想を統一するということですが、
人ごとに持っている思想が統一されれば、
個体的な特性というものがなくなって、
全く同じ人だけが暮らす世の中になりませんか」
という、間抜けな質問をしました。

ここでは多くの時間をかけないと、
伝道できないような感じがします。

中間霊界とは、天国でも地獄でもなく、
いろいろな階層が多い所です。

そして、「統一思想」を理解させるのは難しく、
「原理」も神様も理解させにくい所でした。


一言で中間霊界といいますが、
それは膨大な世界であるために、説明するのは大変です。

中間霊界では、統一食口(シック)と一般人が、特別に区別されています。
統一教会の信仰をしてここに来た食口の姿は、
躍動感があり、難しい表情が全く見えません。

また、平和な姿をしていて、とても熱心に活動します。
例えば、ワークショップとか、宴会、ゲーム、和動会等、
いつも忙しく楽しくしています。

統一教会の食口でないほかの一般人の姿は、
それとはとても違います。

彼らが生活する姿には、元気がなく、躍動感がありません。
活動する姿は大抵受動的であり、怠惰で、
仲間同士が集まって、退屈な顔をして暮らしています。


ここで中間霊界に関して、
統一食口と一般人の差について述べようと思います。

我々食口たちは、能動的であり、活気に満ちて生活しているのに反して、
一般人はそうではありません。

なぜ受動的であり、つまらない退屈な顔をして暮らすかというと、
彼らには望みとか、希望がないからです。

しかし、中間霊界にいる我々統一食口たちは、神様の根本のみ旨を知って、
そこで神様の特恵を待って暮らしているために、望みと希望を持っています。

そのように同じ中間霊界といっても、我々統一食口たちがとどまっている所は、
一般人たちがとどまっている所とは違うのです。


しかし、気の毒にも、統一霊界圏に行けない食口たちもたくさんいます。
その理由は以下のとおりです。

第一に、祝福を受けても片方が脱線して、家庭を成せなかった。

第二に、祝福を受けてもみ旨と関係なく暮らした。

第三に、祝福を受けても軌道から離脱した暮らしだった。

以上のような例が多いのです。

彼らは食口といっても、名前だけでしたが、中間霊界に来ています。
この食口たちは、神様や真の父母様、興進(フンヂン)様の特恵があるとき、
公式的に恵沢を受けることができます。

ここには食口の代表たちが、時々行って信仰指導や原理講義をしながら、
レクリエーションもします。
それゆえ、望みがあるのです。

そしてまた、神様も興進様も、
ここに関心を持っておられる姿をよく見ました。


したがって、中間霊界とは、一般の人も来ることができ、
我々食口たちもいる所ですが、
特別に統一食口たちは、まるで特殊学級が別の教室に集まって、
特別な指導を受けるように、意外な待遇を受けています。

これは驚くべき事実です。

祝福の意味は、地上に暮らす時はよく分からないでしょう。
目に見えないからです。
しかし、天の国では、とてつもなく特別な待遇を受ける条件になります。

今、祝福の門が広がり、真の父母様がわずかな条件で、
あらゆる人に祝福を下さるのは、すべての人に福を与えるためなのです。
その理由は、父母であられるからです。

真の父母様の地上生活は、多くの子供たちに福を与えてくださる期間です。
それゆえ、我々は周りの人たちの鼻をつかんで引っ張っていってでも、
祝福を受けさせなければなりません。
それが彼らに福を与える道なのです。


  楽園

楽園は、天国と地獄の中間地点にある所だと
すべての者が考えていました。
しかし、ここ霊界で見た楽園は、地上で考えていたのと違っていました。

楽園や、中間霊界は、地上で考えているように
きっちりと境界線を引いて説明することはできません。

例えば、オーストラリアには、オーストラリア人だけが
暮らしているのではないのと同じです。
そこでは、いろいろな国の人たちがグループを形成して暮らすように、
よく気が合う人たちが集まって暮らしています。

例えば、コリアタウン、チャイナタウン、
ジャパニーズタウンというように、
中間霊界においても、天国と地獄を除いたすべての霊人たちが、
自分の階層、グループを形成しながら、
仲間同士で集まって暮らしています。

(1997年6月1日〜7月28日)

(光言社刊『霊界の実相と地上生活』より)
第一部 霊界の実相と地上生活
第二章 霊界で見た暮らしと地上生活
三 霊界で見た中間霊界


中間霊界という表現は、
お父様も話されていますし、
スウェーデンボルグも話しているように、
実際に存在する世界だと思います。

ところが、統一食口もグループを作って、
中間霊界に留まっている・・・
ちょっと衝撃的なメッセージだと思います。

前に聞いたところによると、
家庭連合霊界というのがあって、
その中でも上下に段階があるということでした。

ですから、天国に入れる基準ではない人は
中間霊界に大勢いるということでしょう。
罪を犯した人も、同じ場所にいなければならず
その罪がまる見えの状態だそうです。

今は、天国(天一国)の扉が開かれたと言いますし、
清平役事の恩恵、時代的勝利圏の恵沢などにより、
霊界の様相も大きく変わってきているに違いないと思います。

現段階でどうなっているのか、詳しくはわかりませんが、
少なくとも、地上の信仰生活が影響していることは
間違いのない事実です。

やはり、天寶修行の生活を心がけ、
自己牧会プログラムのごとく、
良心を中心とした生活を送ること、
このことがなによりも重要であることを思うのです。




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posted by ten1ko2 at 09:15 | Comment(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする