2022年09月30日

厳しく言うだけでは、人は従わない・・文先生をフォローするのは 《金元弼先生》




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ダビデとサウル王


金元弼(ウォンピル)先生のみ言。
今回は、「一体化のための分別」です。


皆様が兄弟に、
「こうしなさい」と話したとしましょう。
そしたら、その人は、「はい」と答えます。

しかしそれで終わったと考えてはいけません。
必ずその人が喜んで帰るようにさせなければいけません。

涙を流して出ていったりさせてはいけないのです。
涙を流しても、出て行く時には
喜んで行くようにしなければいけません。

話した人も、その人に対して、
本当に良いという心が残っていると
言えなければなりません。

 
先生はたびたび私たちをしかる時があります。

しかし、その後でいつも、この人が
本当に喜んでいるのかいないのか、
感謝しているのかどうかを見つめます。

それでたびたび慰めてあげることがあります。

ですから私たちは、いくらしかられたとしても、
いつもいつも先生に対して
ありがたいという感謝の心が出てくるのです。

 
先生も牢屋の中で、あのようなかたちで帰った
(先生の)お母様(忠母様)を考えると、
天情と人情をはっきり区別しなければならない
世界があるというのです。

お母様の涙を見る時には、
先生でも弱い心が起こるのです。
先生は誰よりも人情が強いだけに、
そういう心があるのです。

先生も神から、こういうふうに訓練された
ということをお話ししてくださいました。

 
これから先は、いくら近いものでも、
長い間付き合ったものでも、
神のみ旨を中心としては、
厳しく切らなければならなくなるでしょう。

二十年、三十年、五十年、長い間付き合って、
深い情の関係をもっている人であっても、
神のみ旨を中心としては、
厳しく分別しなければならない時があるでしょう。

その時に切ることができるかどうか。
神は先生をそのように訓練するというのです。

 
皆さん、サウル王のことを考えてごらんなさい。

神様はサウル王に、
「アマレクを撃ち、そのすべての持ち物を
滅ぼしつくせ」(サムエル上一五・三)とおっしゃいました。

しかし、そうしないで、
いろんな貴重なものを持ち帰ったのです。

サウル王が神の言いつけを守らなかった
というのは、そういうことでした。


分別の時というのは厳しいものです。
神がこういうふうにお告げになるのも、
先生が人情の深いお方だから
なおさらのことだと思います。

ですから先生も、牢屋の中で
いろいろな試練がありますけれども、
もう一つの試練は、お母様(忠母様)の情を
いかに乗り越えるかということであったと、
私は考えております。

 
分別の目的は何ですか。(統一すること)。

神と一体化することはいうまでもないですが、
その次に忠告する人と一体化することです。

いつも自分というものが介在します。

私があなたに、「こうしなさい」と
話したとしましょう。
そう言う前の私の気持ちは
一体化できない状態ですので、
いい感じではありません。

その人自体が嫌になるのではなく、
先ほども話したように、早く神の道を中心として、
神のみ意を中心として一体化しなさい
ということなのです。

ですから言う前より、言った後の方が、
もっとその人に近くならなければいけないということです。
それをはっきり分かってほしいのです。

人間は、分別してあげよう、
よくやってあげようと思って始めるけれども、
往々にして結果は反対の状態になるのが現実なので、
先生の路程の中で
注意しなければならないことをお話ししました。

平壌開拓から興南解放
第四章 天情と人情
「一体化のための分別」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題


分別の目的は統一すること。
一つになることを前提に分別する、ということです。
ですから、分別の背後に愛がある、ということだと思います。

一つになるための分別なので、分別された側が、
愛をもって言われているのだ、
そのように思えるように、分別することが重要だと思います。





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posted by ten1ko2 at 08:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月29日

神は見えないからいないのか 信じられないのはなぜ? 旧統一教会の教理のぞき見 《入山部長・統一原理3》




220929-Homo Vitruvianus.jpg


家庭連合(旧統一教会)の教えの
核心である統一原理を、
とてもわかりやすく説明しています。

入山部長の『幸福な人生には原則があった』
今回は、「神が信じられない理由」です。

第1講座 神の実在
神が信じられない理由(前半)

皆さんの中には、「神など信じない」
と言う方もいらっしゃるでしょう。

実は、「神が信じられない理由」があるのです。
そのことを考えてみましょう。

 
第一に、唯物論の影響です。

唯物論というのは、簡単に言うと、
すべての存在の根本は物質であるという考え方です。

目に見えず実証できない存在は信じないというのです。
こうした考え方の影響を受けると、
目に見えない神など信じないということになります。

たしかに人間は五官で物質を認識しています。
すなわち目で見て(視覚)、耳で聞いて(聴覚)、
口で味わって(味覚)、鼻で匂いを嗅いで(嗅覚)、
手足で触れて(触覚)、物を認識しているのです。

この五官で認識できないものは実証できないのだから
存在していないと唯物論者は言うのですが、
それは本当でしょうか?

 
五官の一つ、目に見えないからといって、
存在しないと言えるでしょうか?

例えば、「空気」はどうでしょう?
目に見えません。

空気は見えませんが、確かに存在しています。
しかも空気がなければ生きることができないほど、
人間をはじめ生命体にとって大切なものです。

また、皆さんは携帯電話を持っているでしょう。
通話するとき、相手とは何でつながっているのでしょうか?
電波です。
電波も目に見えません。

さらに、心は目に見えますか?
見えません。
愛が大切だと言いますが、愛は見えますか?

 
サン・テグジュペリというフランスの作家が書いた
『星の王子さま』という本があります。
ご存じの方も多いでしょう。

これは子供だけでなく、大人にも通じる教訓が
たくさん含まれていることで有名です。

その中で、星の王子さまに、キツネがこう教えています。

「じゃあ、秘密を教えるよ。とてもかんたんなことだ。
 ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。
 いちばんたいせつなことは、目に見えない」

(サン・テグジュペリ著『星の王子さま』新潮文庫)


このように、目に見えなくても存在しているものはたくさんあります。
むしろ、目に見ないものほど大切であるとも
言えるのでないでしょうか?

ですから、「神」も目に見えないから存在しない
とは言えません。

 
第二に、進化論の影響です。

進化論は、サルから人間になったと教えています。
義務教育の学校の教科書にすら、そういう図が出ています。

これは、神が人間を創造したということを否定するものなので、
「神を信じない」ということにつながり、
人々の考えに大きな影響を与えているのです。

日本人は昔から先祖を大切にして生きてきました。
この考えだと、私たちの先祖をたどっていくと
サルということになりますが、そうでしょうか?


もしこの進化論が間違いだとしたら、どうでしょう。

『「大発見」の思考法』(文春新書)という本があります。

これは、iPS細胞で有名な山中伸弥先生(2012年ノーベル生理学・医学賞受賞)と、
理論物理学者の益川敏英先生(2008年ノーベル物理学賞受賞)の対談集です。

その中に次のようなやりとりが出てきます。

山中 「進化論」はまだ誰にも証明されていない……。
   なぜか日本人は、人間はみんな猿から進化した
   と信じていますが、証明はされていない。

益川 「ヒトは猿から進化したのか、それとも神が作ったのか」
   と訊(き)かれれば、日本人はなんとなく
   「猿から進化した」というほうを信じますが、
   それは何の根拠もないわけです。

山中 そのうち、ダーウィンの「進化論」は間違いだった、
   ということになるかもしれません。
(187ページ、「神はいるのか」より)

 現代の科学の最先端を行く二人が、
「進化論は仮説であって実証されていない」と言っているのです。

実は、進化論は化石を並べて、
「こうだったかもしれない」という仮説を立てただけで、
それを実証した人はいないのです。

2014年に「STAP細胞」事件がありましたが、
実証できないことから、大変な騒ぎになってしまいました。
進化論も、科学的実証性から見ると同じようなものなのです。

もし進化論が間違っているとするなら、
神が存在して人間を創造したことを
否定することはできないでしょう。

 
次回は、「神が信じられない理由(後半)」をお届けします。
お楽しみに!
入山 聖基・著
(光言社・『幸福な人生には原則があった』より)

幸福な人生には原則があった 3
第1講座 神の実在
神が信じられない理由(前半)
(blessed lifeより)


神様は目に見えないので、存在しない、
と解釈する人は多いのではないでしょうか。

私も路傍伝道をしている時、
「神なんていない。
いるってことを証明してみせろ、
神がいるなら、ここで見せてくれ」
そんなことを言われたことがあります。

目に見えない物ほど、貴いのですが、
そのことはわからないんでしょうね。。。

また、入山部長が言われているように、
進化論という問題もあります。

有識者の方も言われているように、
神様の存在を肯定している方もいるのですが、
日本は、理科でも進化論を学んでいたり、
テレビでも「人はサルから進化した」
と明言しているように、進化論が正しい、
と思う風潮があるように思います。

進化論は、晩年ダーウィン自身も
間違いに気づいていたといいます。
そんな進化論が一人歩きして、
神がいない根拠にされてきました。

そして目に見えない神を
さらに目隠しして、蓋をして覆ってしまいました。

一つの固定概念をぬぐい去っていくと、
目に見えない神様の存在が
見えてくるのではないでしょうか。





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2022年09月28日

湧いてくる義憤、しかし、本当の私は怒っていない──良心の声 《自己牧会プログラム》




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自己牧会プログラムの証し。
今回は、「本当の私は怒っていない」です。


(女性 40代)

真のお父様天宙聖和10周年に向けて、
「お父様に会いに行きましょう!」の
スローガンのもとで始まった40日の歩みの中で、
家庭連合に対する否定的な報道の嵐に直面し、
とてもつらい気持ちで過ごすことになりました。

それでも毎日の生活は続いていくのですが、
どこからともなく激しい怒りが込み上げてきて、
やり場のない思いを子供や夫にぶつけたりしていました。

そういう中で、ふと、
「私は誰の、何に対して怒っているのか?」
との思いが湧きました。

この怒りをなんとか解決したくて、
良心に「私は何に怒っているのですか?」と尋ねると、
「本当の私は怒っていない」という返事がありました。

「え?」と思い、「私は怒っていないのですか?」
と何回か尋ね直しましたが、
「そうだよ、怒っていない」との答えでした。


その時、気が付きました。

今の嫌な気持ちが発端になって、
過去の嫌なことをさまざまに思い出しては
妄想を膨らませていただけだったのだと──。

それからは、イライラしても早めに
「本当の私は怒っていない」と
心に唱えてみると、落ち着くようになりました。


ところがまた、心がかき乱されることが起こりました。

田中富広・家庭連合会長が記者会見の時におっしゃった
「祝福結婚は離婚率2%」という内容に対して、
「好きでもない人と結婚して、そんなわけないだろ!」
と反応するSNSでの投稿を目にしたのです。

しかしこの時も、ふと、
「確かにどうしてこんなに離婚率が低いのだろう?」
という気持ちになって、
「離婚しないと誓ったから?
信仰心?
仲が良くなくても一つになる努力をし続けているから?」
などと思いを巡らせてみましたが、
どれもしっくりきませんでした。

それを良心に尋ねてみると、
「祝福結婚の夫婦は最初から一つだよ。
私から見たら、すでに一つなんだよ」
という答えを発見しました。

「そうか! 神様から見たら、私たちは
すでに一つになった夫婦なんだ!」と気付き、
心がとても落ち着きました。

神様は最初から、「あなたたちは一つだよ」
という前提で祝福を与えてくださっているんだ、
すでに三大祝福は与えられているんだということを
実感することができたのです。

こうして、夫や子供たち、信仰の親に
改めて感謝したら心がうれしくなり、
ようやく笑顔のお父様に出会うことができました。

私の心の中にいる神様 139
本当の私は怒っていない
(blessed lifeより)


本題とは話しが異なりますが、
昨日は、安倍晋三元首相の国葬儀でした。
貴い方を失ったことを改めて思いを馳せました。

海外からも多くの要人、有識者が参列され、
世界から見ても、貴重な人であったと感じます。
本当に残念で残念でなりません。。。

「本当の私は怒っていない」
すべての事象を良心を中心に考えると、
素晴らしい答えが返ってくるんだな、と思います。

良心に尋ねる生活を
常に心掛けないといけない、と思うのです。




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posted by ten1ko2 at 09:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする