2010年07月19日

〜ザビエルとヤジロウ〜キリスト教の日本宣教と殉教の道(1)

藤田孝子姉の昇華祝祭において、小山田先生と梶栗会長がそれぞれ、
クリスチャンの殉教について触れていました。
私たち統一教会から見ればお兄さんに当たる、
キリスト教の日本宣教について考えてみたいと思います。

日本にキリスト教が最初に伝えられたのは、
1549年フランシスコ・ザビエルが
鹿児島に上陸してからだと言われています。
世界史の苦手だった私も《1549=以後よく 広がるキリスト教》
と年号を暗記したものでした。

フランシスコ・ザビエルが日本に来た一番の理由は、
マレーシアで彼が宣教活動をしている時に、一人の日本人に出会ったからでした。

名前はヤジロウ(アンジロウ)。

彼は、日本で罪を犯したため、マレーシアのマラッカに逃れ、
そこでザビエルと会ったのでした。
ザビエルを通して罪の許しを受け、
〔日本人最初のクリスチャン〕になったと言われています。

〔日本人最初のクリスチャン〕と括弧書きにしましたが、
実はもっと前にキリスト教が伝えられていたと言う説もあります。
ザビエルの日本宣教によってキリスト教が広まったというのが通説ですが、
以前の歴史についてもとても興味深い内容がありますので、
いずれお伝えしたいと思います。

ヤジロウはキリスト教学校に通うようになりました。
そして「日本人は知識欲が旺盛で必ず国中に布教することができる」
とザビエルを説得し、二人は一緒に日本に向かうことになります。

1549年8月15日鹿児島に上陸したザビエルはすぐに薩摩の領主、島津貴久に会い、
宣教の許可を得ました。

ザビエルは、日本人の資質を高く評価し、
「今まで出会った異教徒の中でもっとも優れた国民」であると見ました。
特に名誉心、貧困を恥としないことを褒め、
優れたキリスト教徒になりうる資質が十分ある人々であると見ていたそうです。

当時、戦国大名の中で、キリシタン大名になった者も数多くいました。
一つには、南蛮貿易や武器の援助など、
利益目的でキリシタンになった者もいたようですが、
純粋にキリスト教の教えに感化され、入信した者も少なくなかったそうです。

ここで、私が思ったのは、ヤジロウの存在です。
日本人で最初のクリスチャンになった割には
あまり知られていない人物です。
彼は罪を犯して、逃れるためにマレーシアに渡ったのですが、
その罪は何かと言えば、殺人罪だったということです。

(以下、私見です)
彼は、マレーシアに逃げていた時も、
心は罪責感で一杯だったにちがいありません。
そして、ザビエルから福音のみ言を受け、神様の愛に触れたとき、
心からの許しと悔い改めをしたと思います。
真の救いを実感したヤジロウは、キリスト教の勉強をし、
日本への福音を決意したのだと思います。

その頃の法律はどんなものだったのかわかりませんが、
自分が罪を犯した国に帰るということは
普通考えられないことなのではないでしょうか。

もしかしたら刑罰を受けるかも知れないのに、
自分が救いを受けた福音のみ言を伝えたい
そんな彼の一心が、ザビエルの心を動かして、
日本の宣教の出発となったのではないでしょうか。

ザビエルがインドに戻ってから、ヤジロウが一体どんな歩みをしたのか、
はっきりわかっていません。

しかし、この一人の日本人がいなかったとしたら、
日本のクリスチャンの歴史
(それは殉教の歴史でもありました)はなかったのです。

一粒の麦が地に落ちて死ななければ
それはただ一粒のままである
しかし、もし死んだなら
豊かに実を結ぶようになる

ヨハネによる福音書12章24節


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posted by ten1ko2 at 20:30 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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