2010年07月30日

被害者の妻から見た「拉致監禁」2

妻の手記二回目です◇


海外宣教に行った頃の、私の好きな御言葉のひとつが、これです。

私の一生の目的は唯ひとつです。
すなわち、私はいかにしたら昨日よりも、
感謝の念で今日を生きるかということです。
今日はもっと感謝し、
明日は今日よりも
もっと感謝して生きるということです。
これが私の人生の目標です。


女性として最も尊敬している文総裁の奥様、
私たちがお母様と慕う韓鶴子(ハン・ハクジャ)女史の御言葉です。

この御言葉を、きっと心底味わわれた末に語られた御言葉でしょうが、
その頃の私には「感謝」という言葉の重みも、
貴さもわかっていなかったと思うのです。

理想に燃えて、まだ共産化時代の爪痕が深く残る、東欧の地に行きました。

思いもかけないことに、たくさん遭遇しましたが、
前の年の八月に祝福を受けたばかりの相手(主人)が、
拉致監禁で奪われそうになった時ほど、深刻な時はなかったかもしれませんし、
今思うと、そういう試練の中だったからこそ、
逆に最も輝いた期間だったかもしれません。

東欧の任地で私は、主人が拉致監禁に遭う前から、
御父母様(文先生ご夫妻)の夢を再三見ました。
それは、決まって日曜の朝だったように記憶しています。
三週連続で夢を見たことになります。

神様は、すでに主人の監禁をご存知だったんでしょうね。

最初の夢の中で、ご夫妻は私と主人に向かって
「信じ合っていくんだね」と、言ってくださいました。

私はそういう夢をあまり見るほうではありませんし、
夢の中のご夫妻の様子が優しくて、なぜ、そんなことを、
と不思議にも思ったのですが、
そんな中を私は慣れない宣教地での歩みをしていました。

その頃、早朝に起きて、ベランダで祈るのが私の日課のようになっていました。

祈りの中で、「この活動は三年を全うしなければならない」と思わされました。
私はまだ家庭を持つ前の身軽な立場でしたし、
日本と行き来するにはそれなりの資金が掛かりますから、
三年間ヨーロッパに留まるのは、わたしには適った内容でもあったと思います。

電話は日本には通じないと言われ、電話局に行くにも慣れない現地のこと、
言葉も英語すら通じないので、日本への連絡は手紙だけという感じでしたが、
航空便は一週間掛かるし、メールもインターネットも存在はあったのでしょうが、
パソコンも一台もない地方都市のセンター(住居及び、事務所)でしたから、
まるで違う時間が流れているようでした。

私が日本へ送った手紙は届いたでしょうが、まだ彼からは返事がなく、
心待ちにしているそんな頃でした。
夢での恵みを受け、内的な決意も固まって、
現地メンバーと関わりながら、活動している最中に、
1本の日本からの電話を受けたのです。

また不定期に連載します。続きをお楽しみに。



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