2010年08月06日

被害者の妻から見た「拉致監禁」4 〜思いがけない拉致監禁〜

◇妻の手記4回目、今日は私たちの出会いや
監禁前の私の家族についてなどです◇


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Kさんの婚約者のお話は、あまりにも身につまされるもので、私も当時の、
忘れていたと思っていたことがいろいろ思い出されてきました。

主人の家族は、私が彼と初めて会った時点で、既に反対牧師につながっていて、
主人は一度監禁を受け、その前には軟禁の経験もありました。

拉致監禁を起こす家庭は、特別と思われるでしょう。
しかし、主人の家庭もそうですが、ごく一般的な家庭なのです。
義父はとても温厚な優しい人でした。
義母は以前から仏教系の宗教を熱心にする、とても愛情に篤い人でした。
先祖供養は私たちよりもずっと一生懸命にしていました。

両親とは、私も祝福後、海外に出るまでに2回会う機会がありました。
最初は両親の家へ挨拶に行きました。よくもてなしてくれて、
義父は「本当に嫁に来てくれるのか?」と喜んでくれたのです。

そして、韓ハクジャ総裁の東京ドームの大会の際も来てくれて、
私の母とも顔を合わせました。
その前後から、教会主宰のクリスマスパーティーに来てくれたり、
監禁する直前には、お母さんが水澤里の修練会に参加してくれることになっていました。

主人は、両親が反対牧師につながっていることは、当然知ってはいたのですが、
「両親は変わってきた」と喜んでいたのです。その矢先の拉致監禁でした。


私と主人は、1992年の3万双での祝福を受けました。
私たちは、今でもお互い正反対のところも多いのですが、
その反面、雰囲気が似ていると当初からよく言われていました。

主人の家庭は反牧につながっていましたが、
私は、母から伝道されて、弟も祝福家庭というように、
補い合うように神様が与えてくれた関係かと思います。

彼は、祝福を受ける前まで好きなコーヒーを断ってくれていて、
ソウルで久し振りのコーヒーを一緒に飲みました。
それだけでもとても幸せな時間でした。

ロッテホテルに宿泊して、行事の合間に、教会関係の施設や、
ロッテワールドなどに行ったことも懐かしいです。

その後は、彼は関東、私の実家や所属教会は関西だったので、
頻繁には会えませんでしたが、
文通と、時々の電話のやり取りをして、祈り合ったりして過ごしていました。

そして、私が渡欧したその日に、私たちは入籍しました。
家庭は出発していませんし、パスポートも旧姓のままでしたが。

東欧の任地国での活動を始めていた時、受けた一本の電話の内容は、
にわかに信じられない内容でした。
主人の所属教会からの、主人が拉致監禁されたという内容で、状況の説明を受けて、
「すぐに帰国してほしい」と言われました。

傷ついて生きることに疲れたとき
神様に祈ってみなさい
生きる勇気を与えてくださいと。

悲しみに涙がとまらないとき
思いを馳せてみなさい
もっと大きな悲しみに
涙を流している人に。

喜びがあなたの心を満たすとき
祈ってみなさい
この幸せが多くの人にも与えられるように。

「こころの四季」より


◇不定期に続きます◇


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