2011年02月19日

被害者の妻から見た拉致監禁10 「続・中心に繋がらなければならない」


Die Himmelfahrt Marie.jpg


被害者の妻から見た拉致監禁8 の続きです。

その時、私が所属していた国の責任者(ナショナルリーダー、以下Nリーダー)に手紙を書いたことまで、お話ししました。
必死の思いで手紙を書いたにも関わらす、Nリーダーからは何も反応はなく、首都にいる日本のメンバーに聞いても、主体者(夫)の拉致監禁の話は、メンバーたちの前で公に話されることもなかったようです。みんなでお祈りしてほしい、ただそんな思いだったのですが…。

私は相次ぐ断食で体は衰弱しているはずなのに、不思議な力で守られているように元気でした。
さて、7日断食が明けてみると、食べるものに困りました。お米とりんごはあるのですが…。お豆腐が食べたいと思いましたが、贅沢は言えません。私は断食明けの食事に気をつけるたちだったので、しばらくは重湯で過ごしたのではないかと思います。

明けてすぐに、首都に集まるように連絡が入りました。
私がいる地方からは、日本で言う鈍行のような古びた電車で行くのが通常でした。飛行機もあって日本人の感覚では安いという気もしますが、電車やバスなどの金額に比べると、考えられないくらい高かったのです。

一日電車に揺られて行きました。
電車は確か八人掛けで一つの部屋に仕切られているような感じでした。
日本人メンバーMさんと、現地の男性メンバーと3人で行きました。
食事は不自由でしたが、気の合う仲間との小旅行という感じで、楽しかったです。
彼は英語がそれほど得意ではなかったのですが、(私たちも上手ではありませんが)乗り合わせた現地の人たちが珍しそうに私たちを見て、日本人だというととても喜ぶので、簡単な通訳をしてくれました。

主体者が拉致監禁中だということで、私の気持ちはいつも何かが詰まったような、通常の状態ではなかったのですが、そんな触れあいの旅には、慰められました。

首都には、既にヨーロッパの会長と、東と西のリージョンの責任者(リージョナルリーダー、以下Rリーダー)が来られていました。東欧のRリーダーは数ヵ月に一度来られますが、ヨーロッパの会長が来られるのは、年1回あるかないかです。
全国からメンバーが集まりましたが、100人に満たなかったと思います。

私は、断食明けでしたから、心が少しハイになっていたのかもしれません。記念撮影する時、みんなを笑わせながら私がシャッターを押したことを覚えています。

メッセージの後、日本メンバーが呼ばれた際、その時の私たちの代表だった先輩のAさんが、私の夫が拉致監禁されていることを伝えてくれました。
Rリーダーは日本人でしたから、拉致監禁の情報にも通じていて、それをそのまま目の前で流暢な英語で会長の耳に入れてくださいました。
今まで、彼の拉致監禁について、関心を寄せてくれる人がいなかったのに、Rリーダーとヨーロッパ会長に伝わったことは、信じられないくらいの出来事だったのです。

日本では、祝福の相手が拉致監禁にあったといえば、教会の責任者は親身になって聞いてくれ、何かできることはしてくれるでしょうし、ただちに教会を挙げて祈ってくれるでしょう。そういう当たり前のことがようやくできたのです。

今まで感じていた厚い壁が取り除かれたような、そんな感覚でした。
みんなで祈ってほしい、ただそれだけの願いが叶い、そして、中心につながりたいという思いが果たされた時、どんなに心強く感じたかわかりません。

実は、ちょうどその時、本当に目に見えない壁が崩れ始めていたのです。

あれ以降、日本からは連絡はありませんでした。それは幸いだったかもしれません。
ちょうど同じ頃、彼は脱会届を出し、拉致監禁を解かれて、反対牧師の教会での生活に移行した時でした。

私は、中心につながったことを心の支えに、しばらく首都に滞在してから、地方の任地に戻りました。
私の環境も変わり始めていました。Nリーダーも考えてくれていたのでしょう。それまでのリーダーに替わり、新リーダーを私たちのために呼んでくださっていました。


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