2011年09月25日

慰安婦問題は解決したのか?


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☆巨文島の朝☆


ネットのニュースを見ていたら、こんな記事がありました。
日韓外相会談で玄葉氏「慰安婦問題、解決済み」

玄葉外相は24日午前(日本時間同日深夜)、
ニューヨーク市内のホテルで韓国の金星煥(キムソンファン)外交通商相と初めて会談した。
金氏が、いわゆる従軍慰安婦問題を巡り元慰安婦の賠償請求権問題を取り上げたのに対し、
玄葉氏は「1965年の日韓請求権協定で解決済みだ」とした上で、
「この問題が日韓関係全般に悪影響を及ぼすことがないようにするべきだ」と述べた。

すでに日本政府として謝罪と賠償が行われたので、
もう解決しているというのです。

しかし、韓国側はそうではないと主張しています。
元慰安婦の気持ちを考えると解決にいたっていないということなのでしょう。

最近、ネットでは嫌韓論者が幅を利かせているといいます。
上記の記事に対するコメント欄も、
ほとんどが嫌韓論者の方たちばかりです。

「これ以上、韓国に金をやる必要はないと思う人はクリック」
「珍しい、当たり前だけど民主党政権なのにマトモな対応している。
ちょっと驚いた」
このようなコメントに「私もそう思う」のポイントが高くついています。

さらに挙句の果てには、
「拒否以前にこんなつくり話は存在しない。
協議すること自体、無価値」
まるで「拉致監禁はなかった」と統一教会の拉致問題を
完全に否定している反対派のようです。

「私はそう思わない」のポイントが高かったのですが、
こんなコメントもありました。
「いじめでも何でもそうですが、
被害者が受けた心の傷というのはいくらお金を払おうが、
いくら謝られようが、一生消えることはないのです。
加害者である日本が『解決済み』などという
安易な発言をするのはいかがなものでしょうか?」

やはり、いつまでもこの問題が解決できていないというのは、
単なるお金だけの問題だけではないのだと思わされます。

文先生は、「韓国は父の国、日本は母の国」と語られますが、
この問題も解決しない限り、父母が一つになることは、
まだまだこれからなのかも知れません。


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posted by ten1ko2 at 09:13 | Comment(6) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こちらのブログ村では、日韓の歴史問題について触れられている方も多々おられるようです。その研究自体を否定するものではありませんが、しょせん我々は専門家ではありません。知っていることも限られていますし、自分の足で現地に行き、多くの「慰安婦」と呼ばれる方々のお話を一対一で直接聞いてきたわけでもないでしょう。あくまでも、他人の作った文献を読む。ネットで検索する。など

他人からの受け売りで判断しているにすぎません。

そういう伝聞証拠しか入ってこない立場で物事の真否を論じるとき、判断基準は「確固たる物的証拠」とするべきでしょう。韓国側の主張を否定される方々は、これが「無い」あるいは韓国側の捏造などの可能性もあり「大変疑わしい」と考えている方が多いということです。

これは「従軍慰安婦問題」に限りません。「強制連行」や「米の収奪」など日本統治時代の日本政府や軍への非難は、「被害者」と呼ばれる方の証言に基づくものがほとんどです。ここでは、あえて彼女たちがウソをついているという表現はしませんが、証言の内容がコロコロと変わるということはよく指摘されています。証拠能力としては低いと言わざるをえません。

反対に「強制による従軍慰安婦」などはなかったという方のサイトを見てみれば、多くの写真や資料を提示してその事実を否定されているようです。

論点がズレてしまいますので、ここでは事実としてあったのかどうかということは触れません。大事なことは、事実としてそのような過去があったのかどうかという証明が十分になされていないにも関わらず、韓国側の(あるいは教会側の)主張をそのまま受け入れてしまっていることです。

統一教会は韓国発祥の宗教団体であるために、どうしても韓国寄りの主張になってしまいがちなようです。ある意味それは仕方のないことなのかもしれませんが、最初から日本だけが一方的な「加害者」として話を進められると、反対・批判のなかにも正当な理由があるということが分からなくなってしまうのではないでしょうか?

もちろん、これらここで述べたこと全ては「否定派」の方にも言えることです。お互いがもう一度冷静に歴史を検討すべきだという点で反省すべきことは同様です。最初に結論ありきでは、議論はどこまで行っても平行線でしょうからね。


さて歴史問題はこのくらいにしておきます。最後に、私はこの「反対・批判のなかにも正当な理由がある」と受け止める謙虚な姿勢こそが、今の統一教会においてもっとも必要なことだと思います。

以上、長くなりましたが統一教会の将来を考えるならばと思い、老婆心ながらご意見させていただきました。
Posted by michitaka at 2011年09月26日 07:13
そうですね・・・家の主人も言いますが、歴史教科書問題で日本の過去をあまり教えないで、過去を終わったこととして封じもめるような、そんな所が納得できないようです。私もそうですが、教会に来て、原理を聞いて、テモニムに生々しい慰安婦がなにをされたか?具体的に聞いて、初めて歴史を知り、申しわけないという感情が出てきたたちですから。心からの反省が無いと韓国の人は納得できないのでしょう。韓国の人もただしつこく過去にこだわるのではなく、やはりまず過去何があったかくらいもっと歴史で教えるべきなのです。
Posted by なぎさ at 2011年09月26日 07:35
michitakaさん、コメントありがとうございます。

>「反対・批判のなかにも正当な理由がある」と受け止める謙虚な姿勢こそが、今の統一教会においてもっとも必要なことだと思います。

michitakaさんのように、統一教会の負の部分に対して、客観的にコメントをしてくださっているものに関しては、本当に謙虚になる必要があると思っています。

しかし、怨み、つらみを土台とした、感情的な批判に対しては、謙虚になって受け入れることが出来るかと言えば、これは簡単ではないですね。

歴史問題に関しては、いずれ真偽がはっきりする時が来ると思っています。
Posted by ten1ko2 at 2011年09月27日 01:13
なぎささん、コメントありがとうございます。

日韓歴史共同研究もなされているようですが、立場が違う両国が一つになって、結論を出すのは、なかなか簡単ではないようですね。

なぎささんは、韓日家庭のようですので、こういう方たちが、夫婦ひとつになることも、未来の日韓を切り開いていく、重要な立場なのかなと思います。

今後ともよろしくお願いします。
Posted by ten1ko2 at 2011年09月27日 07:40
韓国に留学していたころ、聖日礼拝は李ヨハネ牧師よりみことばを拝しておりました。私はすでに教会と距離を置くようになって久しく、現在ヨハネ先生が統一教会においてどのような位置におられるのか知りませんので、コメントもしずらいのですが・・・

ヨハネ牧師は今でも私の心のなかで最も尊敬する師です。教会の負の部分に矛盾を感じることは多々あっても、ヨハネ先生との出会いのチャンスを作ってもらえたことに関しては、とても感謝しております。

さて、管理人さんがコメントされた「怨み、つらみを土台とした、感情的な批判に対しては、謙虚になって受け入れることが・・・」という部分についての私なりの考えですが、

我々は当然ながら不完全であり、多くの欠点を抱えた存在です。ですから、自分とは意見が合わない相手の、嫌な部分欠点だけをあげつらって、その人のすべてを否定するのは簡単です。サタン呼ばわりしたり、原理が分かっていないと一刀両断にすれば気持ちも清々するかもしれません。

しかし、それは本当に正しい行為でしょうか?

私は元教会員ですので、管理人さんをはじめ現役の教会員の方に原理を説くような立場にはないかもしれません。しかしひとつだけヨハネ牧師のみことばを引用させてください。

「怒っているのは私なのか、神様なのか?」
「自分の怒りなら問題であり、神様が怒っているのなら怒っていい。」
「それは正義の怒り。神様の怒りである」


聖日礼拝が終わり食口たちが食堂でカレーを食べるとき、牧師はご自身の手で、一人一人の兄弟に給仕をしてくださったこともありました。決して偉ぶることなく、末端の信者一人一人をまるでわが子のように愛しんでくださるその姿に、とても感動したことを覚えています。

私は現在の日本の責任者たちが、このヨハネ牧師の半分でも謙虚なる気持ちで、兄弟や自らを批判する者たちに接していたなら、今のような様々な教会批判を浴びることもなかったろうにと残念で仕方がありません。
Posted by michitaka at 2011年09月27日 08:37
mishitakaさん。

そうですね。李ヨハネ先生の姿を思うと、とても足元にも及びませんし、顔を上げることが出来ません。。。

>「怒っているのは私なのか、神様なのか?」
「自分の怒りなら問題であり、神様が怒っているのなら怒っていい。」
「それは正義の怒り。神様の怒りである」

このコメントも仰るとおりです。

反対・批判に対してですが、十把一絡げに見ようとは思っていません。
反省すべき点も多々あると思っています。
特に組織的な観点でのご指摘、運営面などのご指摘は謙虚に受け止めるべきことが多いのではないでしょうか。

その一方で、michitakaさんと議論になってしまうのかも知れませんが、私自身は、拉致監禁に関する批判記事には敏感になります。
そして反対派の方たちには、根絶するまでは拉致監禁の不当性を訴え続けるつもりであります。
夜中に書いたコメントは、この点を強調したものであることをご理解ください。

そして、教会員の中にも文先生の教えをその如く実践されている方もいます。
今日の夕方の記事に出てくる方もその一人であると思っています。
教会長の中にも素晴らしい方は、いらっしゃいます。

しかしながら、(人のことはとやかく言うことは難しいですが)、文先生の教えを李ヨハネ先生の如くに実践していれば、自分の置かれた環境はもっと良くなっているだろうとも思いますし、多くの教会員が感じているところだろうと思います。
Posted by ten1ko2 at 2011年09月28日 00:13
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